« バレンタインデイ・キッス & 脳の話しなんだなぁ | Main | でもって、 »

February 12, 2005

源平合戦の道を歩く①

2005_02_13_012005_02_12_02atsumoriduka 神戸市では、大河ドラマ「義経」の放映で、歴史道を整備し、各区で義経の道を取り上げたイベントを催している。今日は、友人T1と須磨歴史倶楽部主催の源平合戦の足跡を訪ねてに参加した。
 まず最初に、敦盛塚に行く。内部には敦盛の骨はなかったそうだ。毎年11月に行われる六甲縦走の出発地点である須磨海浜公園近くの海を覗む所に建立されている。そこから、須磨海浜公園に戻り少し坂道を上がったところに、蕪村の句碑が建っている。
buson_kuhi
 春の海 終日(ひねもす)のたり のたりかな

 瀬戸内の海を現した。良い句である。案内人も芭蕉の「静けさや 岩にしみいる 蝉の声」も出して、情景の浮かぶ句だと話していた。のたりのたりが悪いらしいが、立っているところからの海はそれにぴったりだと思う。
 その後、ロープウェイで山上に上がり、「須磨明石殺人事件」の内田康夫氏もおののいたカーレーターで更に上に向かう。友人曰く「みかんになった気分」の簡易な乗り物だ。
2005carlater

 旗振山は名の通り、大阪商人達に知らせるため、畳2帖分の旗を振ったところだ。茶屋のメニューにかっぱえびせんがあると友人が喜んでいた。今は佐川満夫さんがオーナーらしい。
 この須磨までが畿内の端だった。ここから西方に向かうと帰ってこられないと言われたらしい。明石まで行った光源氏は帰ってきているが、明石の君は田舎者と意識していたのはこのためかもしれない。一ノ谷の合戦は、一ノ谷を下ったわけではなく、一の谷と二の谷の間の二の尾根を降りていったと言われている。
2005ninoone
 写真の道がそうなのだが、かなり細い尾根を馬で駆け抜けたのだ。眼下にはすぐに須磨の海が見える。平家の船がよく見えたであろう。そのまま、私たちは二の尾根を通って、一ノ谷町の抜けて、海浜公園で解散となった。
 お昼に新開地で長くから営業している所の支店である金プラで食事をする。新開地同様美味しかった。そのまま、綱敷天満宮へ。前に来たときのように、なすびの上に座って写真を撮った。受験前でお百度参りしている家族がいた。よくつなしきとあみしきを間違えるのだ。ここの名の由来は、菅原道真が九州に流されるときに、途中ここで休まれたのだが、地元の漁師が網にする綱を敷いたことが由来である。そのため私は、いつもどっちだったっけと迷うのだ。
IMG_0026

|

« バレンタインデイ・キッス & 脳の話しなんだなぁ | Main | でもって、 »

「歴史」カテゴリの記事

「神戸」カテゴリの記事

Comments

Post a comment



(Not displayed with comment.)




TrackBack

TrackBack URL for this entry:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/43685/2898790

Listed below are links to weblogs that reference 源平合戦の道を歩く①:

« バレンタインデイ・キッス & 脳の話しなんだなぁ | Main | でもって、 »