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April 06, 2005

「感じない男」を読んだ

 う~ん。
 ずっと、この本読んでると書いている以上、どんな稚拙な感想でもここで書かないといけないなぁとは思うのですが、稚拙な文章が恥ずかしいというよりも・・・。
 作者の森岡さんの自分の性を研究対象として、一人称で赤裸々に書かれていることに、大変敬意を表したいと思う気持ちが、この感想文を私も一人称で書かなければ申し訳ないのではないかという、なんというか、そんな気持ちにさせられてしまうのが、こわいと思うのです。
 「エターナルサンシャン」という映画を見たあとに、この本が読めずに何で読めないのかと感じた気持ちを書いた。はっきり言って、作者や感じない男の人が、気分を悪くする内容だから、載せるのを止めようと思ったのだけれど、単なる感情論でも、上記のことで、思ったことも書いておこうと思ったのだ。

 この本を読んで一番の感想は、男性の知らなかった部分を知ることが出来たということ。恋愛関係になったことがない相手で、そこまで聞けそうな友達にも、答えて貰えない話だと思う。

 この本の最初にミニスカについて書かれている。見えそうで見えないものに惹かれるということが、私は思ってもみないことだった。ネットでは性が氾濫し、ブロガーでも気軽に脱いだ写真をUPしている世の中で、どうして手鏡を持って女性の下着を覗き込みたくなるのか、その心理が分からなかったのだ。
 男性は女性のヌードや水着姿に興奮を覚え、そのような雑誌を購入するということは、思春期のときから知っていた。でも、なんでそんなものが見たいのかが女性では分からない。同じように女性が男性の裸を見たいと思ってそういった写真集を買う人が多いなら、そんな疑問も浮かばなかっただろうと思う。確かに、自分の好きな人やタイプの人の上半身を見ると、恥ずかしくなって目のやり場に困ったりすることがあっても、服を開いて見せてくれってのは思うことがないのだ。
 それと、本書で陰部を汚いものと表現していたが、他の人はどう思っているか分からないが、男性も女性の陰部も両方とも汚いものだと私は思ってしまう。綺麗なものを入れる所をそこにつけるという行為が、私にはすごいショックなことだった。
 これは、本書で書かれているような汚れというのではなく、排泄の場所の近いということだと思う。男性にはそのまま気にせずに楽しいものを求めて、作者のように悩まず過ごしている人も多いのではないかと思う。
 作者が書いている汚れに関しては、女性が生理時等につけるようなものの男性版をあてがうことは出来ないのだろうかと素朴な疑問を感じた。今は人と違うことは出来ないだろうが、最近の男の子達は母親のしつけで、便器が汚れるから、座ってさせられる子がいると聞いたことがある。だから今は出来なくてもいつか、何かをあてがったりして、汚れを意識せずに済むのではないかと考えてしまう。
 事が行われた後の敗北感や焦燥感は、ホルモンの影響が大きいと思うのだ。そういったたぐいのことは本当に検索する気持ちも起こらないので、全く知らないのだが、生理的に女性が行為をすることに充実感を与えられるのが、種の保存に向かっているのなら、男性は何度でもその気になるのが必要なように作られていて尚かつ、優良な種を作り出すためには、行為自体を主とせずに、本当に自分にとっていい女だけに向かうように制限をかけられているのではないかと考えたりする。女性はその行為に対して能動的に動けない代わりに、優良な種を迎えるために、美しさを求め、着飾り、異性にアピールするように出来ているのだと、本当に節足動物のレベルみたいだが、そう思ってしまう。
 もう一つ、汚れに関して、思春期に父親が嫌になる女性が多いと思う。これは、作者のように夫婦間の行為を想像して気持ちが悪いってものではないと思う。私の場合は、身近な異性で体の構造が違うことによる拒否反応だと思う。これは、異性があらかじめこわい存在かもしれないという遺伝子的なものがなせる技何じゃないだろうか。思春期で体が出来上がり、大人の行為が出来るようになっているので、快楽を求める前に異性はこわいという拒否が働いて制御しているのではないだろうか。今、思春期の性の反乱は、異性がこわいという気持ちが起こらない、私が書いているように遺伝子的なものなら、その進化若しくは欠落。また、父性を大人の男とは感じられないようにもなっているのかもしれない。父性の不在も原因かもしれない。
 実際、その時期に父親世代は拒否するのに、同級生はまだ大人の男になっていないので、気持ち悪いとかこわいとかの感情を持つことはなかった。

 制服が売れているという事実に、思春期に戻って、綺麗な女の子に分岐して生まれていきたいという話まで進むなんて事も思いも寄らなかった。制服を汚すということも意味があるとは・・・。

 以前乳ガンの検索をしたときに、女性が陰部について多くの人が悩んでいるのを知った。確かに、自分以外の人のものを女性は見ることがないので、ただでさえ綺麗な形とは思えないものを本当にこれでいいのだろうかと悩んでいる人が多いのだ。そのために、形成外科での手術をする人がいることを知った。隠されたものに対して、知らないということがこんなに人を不幸にするのだ。りんごのおかげで、前を隠して知らないものを増やしてしまったのがそもそもの原因なら、女性も男性も悲しい遺伝子を持って生まれている。
 ここで、「以前乳ガンで~」と書いたように、わざわざ前置きをつけているのは、そういったたぐいに興味を持っていないという、私の性の興味に対しての否定の表れだと思う。
 本書では、よく研究のために、この書を書くためにと書かれている箇所があるのだが、作者がそういったたぐいに対して興味は持っていないということ、若しくはそれに対して否定している現れではないかと感じた。私が思う作者の根本的な問題ではないかと思う。

 男性が行為後に虚無感を持っているというのも、気持ちが冷めたのは隣にいて分かったとしても、態度が変わらなかったら、そのような程度のものなのだろうと思っていた。私は寄り添っているだけで幸福感が得られているわけだから、同じようになって欲しいと思っていても、急に冷めると言う話を聞いてしまっているので、合わせてくれているのだろうってのは思っていた。でも、相手も好きな人と一緒にいるということで充足していると思っていた。虚無感は心の不在が大きな意味を持っているのではないかと思う。本書に書かれているように、性技法に頼ったとしても、何の解決にもならないと思う。かといって、昨日のニュースで若者が結婚を望まない傾向で、子供を産みたいと思う女性が減っているので、恋愛関係や結婚などでの性の充実を味わうことが今後減ってくる世の中になっていくだろう。だから、つかのまの快楽に身をゆだねている人達が多くなっていくんだと思う。私はなんでもOKの所があるので、今のご時世は生きやすくなっているが、そのために色んな事の崩壊も膨らんでくる。崩壊とは言えないなぁ。私流でいうところの進化というべきか。こだわりを棄てたら、枠組みがなくなり、結婚していても他の人と体を重ねることが出来たり、恋愛の束縛も無くなってきていて、相手を信じて生きていくというのではなく、自分で生きていくといった個人主義の世界が広がっていくって事なのだ。だから、どのような性の不安も、相手の女性に充実感を与えて貰って、自己否定から解放されるっていうのも無い世界になっていくのだろう。今生まれている子供達はその世界でも生きていけるようになるだろうが、結婚や恋愛の倫理観、相手との相互間を相手に求めている世代にはつらい時代かもしれない。もう、同じような気持ちの相手を探すしか無いだろう。

 この本を読み終えて、作者や感じないと考える男達が悩んでいるなら何らかの解決を見つけて貰いたいと思うのだ。しかし、上記に書いてきたこと以外にもっとも大事なものを忘れていると思う。それは、価値観なのだ。今氾濫していて、これからも多くの小児性愛者が生まれたとしても、この時代はそういう男性が多くなって、その相手である女性は、そういった男性が多くいる時代を生きるために進化していくんだと思う。ロリコンがちまたに多いのを何とかしようとしたとしてももう止まらないだろう。書かれているように日本の重要な部分にそのような人達が多くいるから、これだけ氾濫してきているのだ。なら、それでもいいじゃないか。その中で、自己否定を止めて解放されることで、何らかの悩みが薄れていって欲しいと思う。 

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Tracked on April 06, 2005 at 01:19 PM

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