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May 05, 2005

”最後は一人”

 神戸新聞に上野千鶴子さんの老いのことを書いた本の紹介らしきインタビューが載っていた。書かれているように、どんなに子だくさんでも死ぬ間際は独りで住んでいるお年寄りが多い。前の仕事関係で、お年寄りの家によく行っていたから、女の人のお年寄りが多いことが分かる。
 私は、一人っ子なので、「身元不明」に敏感だ。この間の大事故も、身元が分からないという報道にドキドキしていた。心配する一緒に住む人がいなければ、長い間身元不明になってしまうだろう。運が悪ければそのまま名前も分からず納骨されてしまう。年齢が上がってきたからそんなことを思うのかと思われそうだが、私の場合は子供の頃からだ。おばばさまが人嫌いなので、仲良しの親戚も別にいないし、両親が私の子供の頃から暗くて自殺願望がある人達だったので、いつ一人になってしまうんだろうという不安があった。だから、子供の頃一人になる前に、どこかに逃げていきたい願望が強かったのかもしれない。
 よく一人っ子って寂しくない?と聞かれるのだが、兄妹を持ったことがないので亡くしたなら寂しいかもしれないけれど、元々無いんだから寂しいもへったくれもない。しかし、子供の頃から、すり込みのようにおばばさまから、一人やったら寂しいでとか、あんたの将来一人で死ぬと思ったらつらすぎて眠れないとか月1回はほざくので、その時が来たら、最初からいないから寂しくないとか言えない状況に陥るかもしれない。今はどうか分からないが、体育などで2人組になって下さいと先生がよく言った。学校生活も今も運良く相手がいたけれど、最後の時に言われるとちとつらいかも。
 誰でも最後は一人かもしれない。でも、私の友人達は皆兄妹がいて、結婚していない人でも兄妹に子どもがいるので、全く血のつながりが途絶えるって訳ではない。おばばさまの同僚なども、全然連絡がなかった弟が、末期ガンで離婚していて子供無しって状態で何十年かぶりに姉に連絡してきて、それ以降入院費を出して、看病に行っている。また仕事で見つけたお位牌を親戚がいないので、離婚した前の奥さんがわざわざ遠くから取りに来られたってのもあった。離れていても血のつながりや戸籍のつながりってちょっぴり羨ましいところがある。
 上野さんの話では、血のつながりではなく本当の繋がりを作るってことを書いていた。忘れたが女流作家が年の離れた友人と最後は懇意にしていた例を挙げていた。上野さんならそんな人物が出来そうだけれど、寂しい大人達にはそんな人物が出来るわけでもなく、介護保険に頼らざる負えないだろう。なんか、じじばばくさいはなしだなぁ。
 今思いつくひとりの不便は、保証人と自分が死んだあとのことだなぁ。出来るだけ、おばばさまのあとに死ぬようにしたいし。

 本当はね。最後に一人も別段寂しいわけではないんだと思う。みんな寂しさに耐えて生きている?寂しい環境なのに、寂しいと思っていない人なんて山ほどいるではないか。私も寂しい大人が慣れていく?
 前に書いた友人A2は私には珍しい一人っ子の友人。家族を亡くして寂しいから男と住みだして、愛情が無くなっても、家族がいない寂しさが怖いから、離れられずにいる。いなくなった寂しさはいっぱいある。彼氏と別れてとか、家族が死んでとか、1-0=0になったら寂しい。でも、本当は寂しさって体験していない想像のものかもしれない。寂しいかもと思うことが悲しいのかもしれない。A2には早く寂しさが偽りの感情かもしれないことに気付いて欲しい。

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