« 取りあえずまた決まった | Main | ニライカナイからの手紙 »

June 29, 2005

源平合戦の道を歩く⑥

suma01suma02suma03 一昨日須磨区にいた。梅雨なのにいい天気。須磨の海岸は海開きに向けて急ピッチで海の家を造っている。基礎はH綱なのね。125ぐらいの小さなものだった。ちょっとびっくり。しかし、まだまだ出来ない海の家を尻目にねーちゃんやにーちゃんは浜辺でわいわいしていた。この須磨海岸に来るのは、観光客が多い。地元は明石の林崎の海岸が綺麗なので、山電に乗ってとことこいくのだ。そこにはおしゃれな海の家もTVの取材もないが、えー海が広がっている。長いこと水着で人の目を苦しめていないなぁ~。やっぱ、痩せなきゃいけないし、お呼びじゃないよなぁ~。
 この日は、私の入っているところでの内輪での源平合戦巡り。チラシまで作ったけれど、大して集まっていない。まぁそれの方がいいんだけれど・・・。私の福原京からの簡単な源平合戦の説明を集合場所で聞いて貰ってから、敦盛塚へ。義経が駆け下りたのは須磨区の一ノ谷じゃない話をすると、みんなへぇ~と驚いていた。やはり、知盛が生田の陣から西の守りの長田区まで来てそこから船で逃げる話とかすると、自分も楽しくなってくる。これって、平家物語の琵琶法師が語り継ぎたくなるような面白みが分かるってことかなぁ~(笑)。
sumaurakouennekisumaurakouen 須磨浦公園を通って東へ。ここは、花見の時期になったらたくさんの宴会が行われる公園だ。子どもの頃ここに良く連れてきて貰った。その頃と今も変わらない。残念ながら、遊んでいる子どもはいない。住宅地より遠いので、簡単には遊びに来にくいのだ。この上に須磨山上遊園がある。昔ドレミファ噴水パレスちゅうのがあったので、その話をわいわいする。記憶にないが、昔CMで、「どれみふぁどれみふぁ噴水パレス、わぁ~♪」ちゅうのを聞いたような気がする。
sumaurakouen03 こんなんあった。震災時に落ちたから震災モニュメントになった。公園を抜けて、北に向かう。
itinotanichoitinotnicho02kazunomiya 一ノ谷町を上に上がると、階段の上にこんなんが。車通るわけでもないのにね。もしかして、広いから間違って下りようとする車が入るのかも・・・。んなわけないか。そこを過ぎたら、マンションの入り口にとてもかわいい置物が置かれていた。盗られる心配がない所なんだとみんな感心する。その近くに安徳天皇内裏跡がある。ここの説明書きに二位の尼こと清盛の妻、ドラマでは松坂慶子が安徳天皇を抱いて入水したことが書いている。「神戸みなもとの道」パンフを持っている人、質問の答えはこれだよ。その時に、三種の神器と一緒だったはずなので、天皇側は見つかったとしているが見つかっていないだろうから、今見つけると継ぐことが出来るかなと、みんなで笑っていた。須磨の海に朽ちてあるかもしれない。徳川埋蔵金より確実かな?最後の写真は和宮の像だ。何でこんな所にと思われるだろうが、須磨区にある離宮公園とか垂水区の舞子ビラとかは有栖川宮の別邸跡のはず。この場所を北東に行くと離宮公園がある。有栖川宮が東京に入り込んだときに、持って帰ってきたのかもしれない。有栖川宮と皇女和宮は婚約していたにもかかわらず、公武合体の犠牲になった。そういう経緯だ。須磨の山奥に置かれていたのをここに移転させたそうだ。今じゃ、有栖川宮って聞くと、あの夫婦を思い出すね。そうそう、モルガンユキのなんかがあるとも書かれていたが、確かめてこなかった。モルガンユキって何ってきかれ、明治頃に貴族か金持ちの所に嫁いだ日本女性だ。NHKでドラマもしていたはずだよと、説明する。何って聞いて貰うのがめちゃくちゃ嬉しい私であった。自分に対して何が一番の褒め言葉かっていうのは、18歳の時に25歳の人からホーンブロワーって知ってると言われ、帆船ものでぇ~って説明すると、「なんでも知ってるなぁ」と言われたことだった。そうそう、中1でサド侯爵とザッヘル・マゾッホの話が出来るぐらいだったのだから、そこから大したことがないのに変な自信が生まれてしまったのだな。
 そこから、さくらの季節なら素晴らしいだろう道を通って、須磨寺へ。
sumadera02sumadera_aobasumadera_atumorihakasumadera01sumadera03sumadera04sumadera05
 800年代にはこの寺があった。敦盛の首はここで洗われて、首塚に納まっている。ここには、敦盛関連のものが多く残っているのだ。有名なのは、青葉の笛。京で雅やかな暮らしをしていた平家の人達は歌や楽器に素晴らしい才を持っていた。この敦盛も16才にして笛の名手だったらしい。今で言う高校生の年齢で、戦っているのだ。昔の16才は今の30才と言うが本当にそうだろう。この寺にはマニ車とかも置いているのだが、ぶじにかえるという石像もあって、忙しい人は目を回して、借金に苦しんでいる人はかえるの首を回すと言ったしゃれもある。あとは、どこにでもある3ざるが5ざるになっている。時計は1時間おきにあらわれるからくり仕掛け。運よく見られる時間にいた。
sinohara この中の休憩所でお昼を食べた。私だけがお弁当を持ってくるのを忘れてしまって、須磨寺の商店街でいつもTVの取材が来る志らはまでお弁当を買ってくる。この写真ので900円。このあたりではめちゃくちゃ有名店なのだ。もちろん美味しかったよ。でも、水分補給しすぎで、おなかがぽんぽこりんになってしまった。
sumadera_isininngyou 須磨人形と言って、石で人形を作っている。ここには須磨琴というのもある。弦は1本だけだ。
IMG_0032 この須磨寺の近くに池がある。綺麗な色のトンボが飛んでいた。あとは、須磨寺駅に行って解散。と言っても、全員JRなので、須磨駅に行った。須磨駅では海の家がないからかトイレの中で着替えをしていた。入ってされるとトイレに入る人を待たして悪いのだろうが、トイレを待つところで他の人がいるのにどうどうと着替えをしていた。しゅごい。

|

« 取りあえずまた決まった | Main | ニライカナイからの手紙 »

「歴史」カテゴリの記事

「神戸」カテゴリの記事

Comments

須磨海岸で思いだした。先月中学生達が関西弁を話をしていたのでどこから来たと聞くと神戸の須磨海岸のそばと言っていた。神戸の中学生たちは、修学旅行は東京なんだとその時わかった。神戸弁で話かけたら、よーけ話をしてくれはった。
須磨区は、板宿・グリーンスタジアム・須磨のユニクロ・スシローぐらいしか行ったことがないので、ちょうど須磨海岸の話が出ておったので・・・
んで・・・H鋼なんて言葉なんで知っとう?
鉄が好き書いとったけど・・・

ちょぃと書き子しました。

Posted by: 神戸西市民病院 | June 29, 2005 at 03:59 AM

>神戸西市民病院さま
 東京にお住まいなんですか。いいですよね。私の学校も私の上の学年は東京だったのに、私の時はそばアレルギーなのに信州で毎日つらかったです。あんまり食べていなかったので、ぐったりして信州の印象が全然ないです。
 いいなぁ~東京。今までに3回しか行ったことがないです。

>んで・・・H鋼なんて言葉なんで知っとう?
 ひゃひゃひゃ(笑)。技術職だったんですよ。職種はいっぱい変わってるけれど、20歳ぐらいの時で月に30万は貰っていました。あんまり詳しく書くとばれてしまうかもしれませんので・・・。お水じゃないですよ。鳶でもないっす。その給料じゃ、両方安すぎるなぁ~。

Posted by: 海音 | June 29, 2005 at 08:24 AM

Post a comment



(Not displayed with comment.)




TrackBack

TrackBack URL for this entry:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/43685/4754131

Listed below are links to weblogs that reference 源平合戦の道を歩く⑥:

« 取りあえずまた決まった | Main | ニライカナイからの手紙 »