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June 20, 2005

源平合戦の道を歩く⑤~兵庫区歴史花回道

 兵庫区は神戸発祥の地です。と書かれたパンフレットを持って、兵庫区内を歩きまくった。昨日は福原京コースを巡る。パンフレットの順番通りに回ることにした。前のウォークラリーと違ってのんびり気味で歩くことにしたので色々寄り道が出来た。
bigmanbigman2 まず最初は、神戸駅から出発。番号①にビックマンとあるが、何かの店があるのかと、新開地商店街の南端をうろうろしていると、今どき珍しいパイプを持ったおじさんが声をかけてきた。ビックマンしらんなぁと地図を見てくれて、もっと西やとそっち方面に行くから一緒に行こうと歩いてくれた。で、結局おじさんが言うところにも無く、おじさんとは別れを告げた。神戸には当たり前にいる気さくなおじさんなのだが、いまから愛人との旅行やねんと嬉しそうで行ってしまったパイプおじさんは新開地ならではかも。友人達とあの服装にあのパイプどんな職業の人だろうとあとで話題が出た。朝早かったので、聞く人も歩いていないと思っていたところ、シャッターを開けたおじさんを見かけ、ビックマンを聞くと、そのおじさんも知らないのに、こっちとちゃうか、こっち行くから一緒に行ったげると、新開地商店街に戻った。で、やっとスタンプ発見。それが置かれている理容室の主人が出てくれて、ビックマンの説明をしてくれた。それは、商店街の南端にあるゲートのこと。近くに寄ったら何のことか分からないけれど、離れてみるとチャップリンの形に見える。公募を募って完成させた作品で、高専の先生が作ったらしい。その先生は、この作品で有名になり、学校を辞めてフリーで活躍しているそうな。その主人がこれもって行きと、新開地100年記念の冊子をくれて、それに載っている喫茶エデンに行くことにした。そこまでついてきてくれた親切なおじさんとT1との話は満州まで遡っていたらしい(笑)。
eden4eden2 三菱で船を造っていたドイツ人に設計して貰った喫茶店で、懐かしい昭和の臭いがぷんぷんしていた。ここで、ミニサンドが付いたモーニング350円をとり、懐かしいおばあちゃんの家はこうだった話をした。私にはこんなところに住んでいるおばあちゃんちがないからいいよなぁとは思った。チャコールグレーの色合いってなぜか過去にタイムスリップさせる魅力があるね。
minatogawa_kohen1minatogawa_kohen2tenpu 最初からのんびりムードで始まった散策。このあと、新開地商店街を抜けて湊川公園にはいると、骨董市をしていた。そばには将棋にいそしむおじさん達。友人達は古いものに見入っていた。2枚目の写真。とっても気になるけれど、手に取るのが恥ずかしかった。まだまだ修行が足りないなぁ~。3枚目は、夢の栄町の店舗にいいなぁと思った木製ののらくろ看板。骨董屋の主人にどこに店があるか聞いておいた。これで、1枚1万3千円らしい。高い?安い?本当に店を始めるなら、ヨーロッパも東京も骨董市回るよきっと。
minatogawa_kohen そこを過ぎると、公園の北東に足つぼ歩きや健康器具の場所があった。靴を脱いで試すと私は肝臓のところが痛い。でこぼこのところを歩いたら、痛い痛い、思わずつま先歩きになっちゃう。いいなぁ~こんなの家の近くにあったらいいのになぁ。
 ここを過ぎて荒田町の界隈にはいると、安徳天皇の菩提を弔う為に建てられた宝地院、清盛の弟・頼盛の山荘跡に建つ荒田八幡神社に向かう。前と違って、「ただの通りすがりです」と念じながら、スタンプを押してきた。それから、平野に向かって北に上がり、途中、ここに市場があるねんと連れていったが日曜日は定休日だったので残念した。そこから北に上がり、清盛が自邸が出来るまでに住んだと言われる東福寺に行った。そこから、有馬街道沿いにある祇園神社に向けて歩いたのだが、地図のコースと違うところに行ってしまったので、修正しながら歩いていたら、えらいものを見つけてしまったのだ。
katukaisyuu1katukaisyuu3katukaisyuu4 勝海舟の寓居跡を発見したのだ。神戸の教練所のために来ていたときに使っていたらしい。と言うことは、その頃塾頭だった坂本竜馬も来ていたってことだ。神戸に詳しいと思っていたが、初めて知った。今日のめちゃくちゃ大収穫だ。でも、教練所は、元町商店街の西端神戸駅の近くにある。あんな遠いところにここから通っていたとは、確かに見晴らしは最高だっただろうけれど・・・。
gionjinzya1gionnjinzya2で、祇園神社から見た神戸。この祇園神社で、清盛が経ヶ島の築造の計画をここで海潮の響きを聴きながら練ったそうだ。この山寺で・・・、神戸がどれほど海に広がって作られたのかが分かる話だ。この神社が建つそばに有馬街道が走っている。この道を北に進むと鈴蘭台や六甲の裏を走る道路へと繋がる。北区住民が南に行くときに使う道路だが、新神戸トンネル以外にはここしかなかったので、混む道路だ。神戸が歴史的に他者の行く手を阻む街だと言われる所以である。その自然の頑固な守りに打ち勝った義経勢は凄かったってことか。
minatoyamaonsenyukiminogosyo この道路が出来ているのも、川があるから、谷間が出来ているからなのだ。その川はつい最近まで台風が来ると氾濫し、浸水を繰り返してきた湊川だ。その山裾に天然温泉が2つある。スタンプのある方は、写真の湊山温泉、もう一つは天王温泉だ。一度は行ってみたいのだが、ちょっと不便なところだ。駐車場があるので、車がある人は来やすいかもしれない。そこを南に下がり、夢野に向かうバス道沿いに、清盛の邸があったとされる雪見御所跡がある。2枚目の写真がそうだ。そのまま夢野に向かって、石井町から氷室神社に向かった。
himurojinzya2himurojinnzya1himurojinzya3 どうやらここは、兵庫区としての見解の義経の逆落としの場所らしい。各区とも見解が違うのも、義経人気がそうさせていると言うことなんだろうけれど、死者が多い長田区が義経が下ったコースではないかと私は思っている。ここに行くのは大変だった。親切なご近所さんに何度も道を尋ねながら、向かった。珍しいことにこんな住宅街の神社にお札を置いてお金を入れる入れ物を設置している。両方ともとる人がいるかもしれないが、昔ながらのところなのでそんなものをとる人はいないいても困っている人なんだろうといった下町感覚なのだろう。で、もう一つ珍しいのが、そのあたりに関係している漫画を置いていた。もう一度行って読んでみたい気もするが、もう二度とこの坂道は上らないかもしれない(笑)。そこから、熊野神社に行き、その南にある夢野商店街を通り南に下った。川崎病院から南に進むと願成寺がある。ここには源平合戦で死んだ平通盛とその妻達の供養塔が建っている。そこを南に下ったら、神戸のマンションの大手和田興産のマンションギャラリーがあり、その横でオール電化に対抗するために頑張っている大阪ガスのDelipaのイベントカーが食べ物を配っていて、声をかけられアメリカンドックを頂いた。中に入って見たら、3LDKで70㎡ってなんかこれせますぎるやん。で、3千万以上。おいおい一人しか住めないよこの広さ。いま住んでいるところを棚上げして思わず思ってしまった。お風呂は広かったかな。風呂の窓があるのは気に入ったけど・・・。
ippei で、神戸で有名なグリル一平でランチをする。友人T1がカレーをお昼に食べたら、家に帰ったら夕食カレーだったってことがよくあるんだよなぁって言っているのを聞き、私んちの夕食はカレーだった(笑)。ここは、オムライスが有名。オムライスにしていたらよかった。新開地商店街の北側は、パチンコ屋さんばかりになった。こんな大きい店舗どれだけ来るねんと思ったが、昼から前を通るとお客でいっぱいだった。昔、この通りを歩いてはダメと言われたって話を通りながらする。私はこの雰囲気が好きだから昔から一人で通ったりしていた。でも、昔の雰囲気が無くなってきていて、惹きつける魅力が無くなってきたのが寂しい。夫婦餃子って水餃子の美味しい店があったのに、それも見あたらなかった。綺麗で、誰でも歩ける商店街を目指しているのだろうが、ちょっと寂しい気もする。神戸の中心だったところだから、繁華街で当然なのになぁ。
 食べた後、最後の厳島神社に向かう。判子を見せて記念の弁天人形を貰ったが、すぐにどっかにお納めしないといけないので、貰わなかったらよかった。このコースのは、この日でおしまい。他のコースも回っていたクさんは、七辨天てぬぐいが貰えるのに、この神社では品切れで、もう別のコースを行く力もなく諦めた。残念。こういうのがあると、別に欲しくはないけれど、回ってみようと思うよね。兵庫区さん有り難う。
metrokobe_alice ここから、二人が行ったことがないというので、神鉄会館を下りて、メトロ神戸を東に向かった。ここには飲食店が並んでいる。お気に入りのじゃーじゃー麺が200円ぐらいで食べられる御座候の店が無くなっていてがっかり。この値段ならめちゃ美味しい所だったのにぃ~。新開地の駅を越えると、昔の大学生達が書いた壁画に出会う。もう何年見ているだろう。そこから、西にゲーセンがあり卓球場があり、古本屋街が続く。この古本屋は、元町の高架沿いにあった店が移転してきたものだ。子どもの頃、そんなところにまで古本や巡りしていた自分も凄いなぁと感慨にふける(笑)。そのまま、高速神戸に出て、ディオ神戸と繋がり、ハーバーランドまで繋がる地下道だ。
kihinnsitu 最後に神戸駅の中のイタリアントマトでお茶をする。なんと、天皇陛下が御召列車を待つ間に使われた貴賓室が奥で公開されていた。兵庫区も侮れないのだ。まだまだ知らないものを隠している。

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Comments

たいした健脚振りで、感心致します。

明治の地図を見ても大正の地図を見ても、神戸といえば兵庫区が中心ですからね。

懐かしい思いで読ませて頂きました。

Posted by: gaodayo | June 20, 2005 at 06:45 PM

gaodayoさん、コメント有り難うございました。
gaodayoさんの方が、よく緑の散策をされていて凄いではありませんか。
もしかすると、エデンとか行かれたことがありますか?
ご存じかもしれませんが平野から夢野に行くバス道より北側を少し行くと急な坂道が出てきます。それを上ると、烏原の貯水池って名前だったと思いますが、市の施設があり、散歩コースになっています。そこの帰りに、湊山温泉とかいいなぁと思うのですが・・・、まだ散策したことがありません。

Posted by: 海音 | June 20, 2005 at 10:13 PM

実は、“大開通りより南・新開地本通りより西”はあまり馴染みがないのです。
だから喫茶エデンというのも行ったことはありません。
子供の頃は新開地そのものが父親から禁止されておりました。
「繁華街に子供が行くもんやない!」ってなもんです。
とにかく言うことを聞かなければ殴る蹴る三昧の父親でしたから、逆らえません。

三宮に初めて出たのも17歳のときで、父親に連れられてのことです。
コーベブックスに行って本を一冊買いました。
なんてたくさん本があるところだろうと感心したものです。


それはさて、、、
石井町で一人暮らしをしてたとき、お昼にホカ弁を買って烏原水源地で噴水を眺めながら食べたものです。
そのあと、その辺を散歩。
それが嵩じて菊水山まで行くことになった次第です。

水源地周辺の散策ならガイドしますよ。

石井町とは別のところに住んでいたとき、湊山温泉だったか、天王温泉だったか、昼間まだ他の銭湯が開いていないときに何回か利用したことがあります。
石鹸とタオルと着替えを担いで400㏄のオートバイで。

そうそう、オートバイの免許を取ったのは20歳のときなんですよ。
父親に禁止されていたので。
・・絶対君主ってやつですな。

┐( ̄ヘ ̄)┌

Posted by: gaodayo | June 21, 2005 at 09:20 PM

>gaodayoさま
 健康的な一人暮らしをされていたのですね。凄いなぁ~。
 新開地は、私の子どもの頃には、浮浪者などが寝ていて、そういうイメージだったので、友達とかの親は、行ってはいけませんと言われておりました。私は、おばばさまこと母がそのあたりで入院していたので、子どもの頃うろうろしまくったことがあります。昼日中から大人の男が何でこんなに多いねんと思ったものでした。その頃もレトロな魅力にあふれてましたよ。商店街の路地を入ったところに色んな店がありました。色んな店があったけれど、こわい思いはしたことがなかったので、新開地はそんな風に思ったことがありませんでした。それに、昔の今で言う三宮・元町の中心地だったところ、西へ西へと広がっていったから、新開地・花隈・新長田は廃れてしまったけれど、その名残は素晴らしい財産でした。震災で無くなってしまったものが多いのが残念です。今の新開地は、浮浪者も見かけず、とても綺麗な街にどんどん生まれ変わっています。

 六甲縦走をしたのですが、菊水山と摩耶山は最難関でした。ラストはハイになって調子に乗って走って山をかけ下りたんですが・・。この2カ所はもう諦めて帰ろうと思いました。その縦走の前に、練習したときに菊水山を走って上がり下りしていた人がいました。菊水山散歩者恐るべし。
 もしかすると、gaodayoさんも走っておられたりして・・・。

Posted by: 海音 | June 21, 2005 at 10:34 PM

ホントに新開地の浮浪者どもはどこ行っちゃったんでしょうねえ。。
昼の日中からええ年したオッサンどもが酒をあおっていたり、道端に寝転んでいたりしていた、あの風景はどこへ消えちゃったんでしょうねぇ。。
綺麗になってしまって・・

だいぶ前は発砲事件なんてのもあったように思うのだけど。


菊水山、走りはしなかったけれど、ひょいひょいと登っていきましたよ。
その頃は手ぶらだったから楽チンでした。
それに家でスクワットして鍛えてたし。
鍋蓋山に向かうための菊水山の下りも岩の上をぴょんぴょん跳びながら忍者みたいに降りていきました。
そのとき、ボクの前に降りていく女の人が一人いて、痴漢だと思ったのかすごく警戒してたようです。


Posted by: gaodayo | June 22, 2005 at 02:17 PM

 やっぱり、山歩いている人は身のこなしが凄いのですね。
 前に行っていた会社には、山登りの人がいっぱいいて、よく皆さんのぼられていました。私は、日焼けに弱いので、頭がんがんになるから、山登りはあまりしないのですが、昔は軽く六甲山を登っていたので、体力と足は大丈夫だと思います。そうだ、震災前に行ったことがある芦屋のロックガーデンは、なめていたから、靴の裏がつるつるで行ったので、めちゃくちゃ怖かった記憶があります。足には自信があっても、腰がダメなので、スキーも止まるのが苦手です(笑)。

 ひょいひょいかぁ~。理想だなぁ~。

Posted by: 海音 | June 22, 2005 at 06:27 PM

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