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October 30, 2005

こころのじかん

たまに、あるでしょう

一番近い言葉は、空虚かな

なんか、思わず空を見上げてしまいそうな
天井の照明に手をかざしたら、自分が半分消えかけているような

そんなきぶん

たまにはあるでしょう

ざわめいた街の中でスピードを落とし、ふりかえる
かこもみらいも存在していないじぶん

なぜ現在(ここ)にいるのか
ふと忘れかける
なにがあるのだろう


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 そんな気分に年に数回陥る。きっかけは何?仕事でも友人関係でも家族でも恋愛でもない。何かにふと襲われる。バイオリズムが下がっているとき?ホルモンのバランスがおかしい?
 私にとって必要な心の時間なのかも。忙しくて向き合ってあげていない、本当の自分。私の本来の姿は、空虚か?
 むかしこのような手紙を送ったら、優しい友人が自殺すると思って電話をかけてきた。本人はけろけろしているので、ショックだったらしい。自殺なんてするわけない。
 でも、15歳の頃、嫌なことがいっぱいあった。
 ませて、自信過剰な勘違い野郎だったし、家庭は見事に崩壊していたから、そのときにあと半分、30歳ぐらいで死んでいいから、思いっきり生きてやる、生きさせてくれと思ったら、不幸な元凶は行ってしまい思いっきり生きた。自分の中でもめちゃくちゃ面白い人生の期間だった。で、そんなこんなだったから、その年齢になったらおだぶつだと思った。
 生きていると言うことは、残りの人生はおまけの人生のようなもの。って思っていた。
 もう、いつ死んでもいいやってやつには頑張りがない。熱いやつを見たら、過去の自分を見て鬱陶しくなる。
 私もこんなやつ嫌いである。だから、自分のことがなんなんだと思う。

 いつ目が覚めるのかなぁ
 いつ生まれてくるのかなぁ
 生命体としては、本当に終局の時間にはいるので、新しい力は湧いてこないのかなぁ

 なんて、いろいろ書いてみました。

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Comments

夢野久作「ドグラマグラ」の中の「胎児の夢」によれば、私が感じているこの世界は胎児が見ている夢であって、この夢が終わってはじめて私は生まれるのだ、ということである。
つまり私はまだ生まれていない。

Posted by: 54notall | December 06, 2005 at 05:05 PM

★54notallさま
 コメント有り難うございました。
 何度も挫折して完読していない本にそんな記述がありましたか。
 夢のままなら、そのままの方がいいかもしれません。夢なら耐えきれない辛さはないように思うから。
 でも、きりがいいので、来年からは生まれ変わります。何度も脱皮して、皮を引きずり回していますから、ちゃんと脱皮出来るかどうか分かりませんが・・・(笑)。

Posted by: 海音 | December 06, 2005 at 11:47 PM

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