われわれはあしたのジョーである
BSで行われていたあしたのジョー祭りが終わった。残念ながら、殆ど参加出来ず、アニメ夜話などのスペシャルのみ録画をして、色んな人のコメントを聞くだけで終わった。再放送組なので何度も何度も放映していたものを見た記憶はあるのだが、バビル二世やデビルマンを思い出せるかと言っても思い出せないわけで、同じ様に思い出すことは出来ない。ただ、一般的に知られている内容と、ホセ・メンドゥーサ戦の原作⑲と⑳を持っているから、学生の頃は、ラストシーンを読んでよく泣いていた。馬鹿な私は、あしたのジョー死なないでと、最終巻の最後のページに生きているあしたのジョーのリングで座った姿を書いている。アニメ好きは小学生の時からで、アニメージュを購入していたからあしたのジョーのラストシーンのポスターも大事に今でもとっている。・・・でも、詳しく覚えていないのだ(笑)。
ETV特集と始まったときのんとアニメ夜話を観たのですが、あ~全部観たかったなぁと改めて思いました。
タイトルに書いたのはよど号事件の犯人達の声明文の言葉である。よど号って何?って、殆どの人は知らなくなってしまった。もちろん私だって知らない。ただ、今定年を迎えつつある戦後しか知らない団塊の世代人達の青春の一部だったことは間違いないだろう。あしたのジョーが世に出たのは、1967年12月15日、1945年8月15日に戦争が終わってから、21年と4ヶ月。その間に生まれた20代から小学生までがオンタイムであしたのジョーと共に、高度経済成長を、大学紛争を、日米安保を、日本赤軍を見てきたことになる。この頃アメリカでもキング牧師暗殺やベトナム戦争があり、懐疑的な世界が混沌と広がっていたのか、或いは分かりやすい方向性が生まれていたのか。1970年3月24日に寺山修司が力石徹のお葬式を行い、その月の31日によど号ハイジャック事件があり、この声明だ。この時、丈は”あした”を亡くしてしまっていたのだ。彼らのジョーは”あした”を無くしていたんだろうか?
興味深かったのは、偶然が必然になった事実である。原作者の梶原一輝は、ちばてつやが原作を変えてもいいか言う最初の約束に「手塚治虫とちばてつやなら仕方がない」と答えており、最初の頁からちばてつやは変えてきていて、もちろんラストも梶原一輝の「白木邸で余生をおくる」案が却下され、あの伝説のラストシーンが出来ている。だから、ちばてつやと梶原はお互い意図をあまり語り合っていなかった為に、梶原はちばが描いた少年院にいたニヒルな少年をライバルに使おうとストーリーを作り始め、ボクシングをあまり分かっていなかったちばが、梶原が当然分かっていることと思って指示していなかったライバルを頭一つ上に描き上げてしまった。その為に彼らは同じリングに上がることが出来ないライバルになってしまったのだ。しかし、主人公とライバルはお互いの存在が必要不可欠の世界に繰り広げていき、力石が減量と言うことになって死に向かっていくのだ。今の私達が考えたら、力石は自分の階級で成功を収めているのだから、何も減量して戦わないと行けない程の相手ではないのだ。たしか、二階級落とさないとバンタム級にはなれなかったはずだ。普通でも充分必要な筋肉だけで戦っているので脂肪などはないはず、その大事な筋肉を落としてまで力石が戦わないと行けなかった相手であった丈もまた、力石にとっての”あした”なのか、そう言えば番組で白木葉子の存在も要因だったと言っていた。あのコップの水を流すシーン、白木葉子が涙を流したから、我に返り、彼女のために・・という理論もある。
なんというか、今書いているこういう事をまことしやかにコメンテーターは語るのだよ。昔から、漫画やアニメの評論は好きで見たり聞いたりしているのだが、こんなに深く、また実際にいたんではないかと思わせる程の影響力が、普通の漫画やアニメとは全然違うのだ。聞いている方は、実際活躍したボクサーの話を熱く語られているようなのだ。実際、丈のような戦法をとっていたたこ八郎がモデルと言われたり、その当時有名だったファイティング原田をモデルに力石は創られている。二次元の姿ではあるけれど、実際いたボクサーに近いところに存在し、彼らの内情をも見せて貰っているということなのだ。
アニメ夜話で、痩せた岡田さんが「長いこと”あした”が何か分からなかったけれど、やっと分かった。あしたのジョーは、我々の明日がジョーであるということなのだ。」と言っていた。この言葉、この答え、私が待っていたものです。高度成長の中で鍛え上げられた人達は、親の愛情を充分受け、幸せな青春を謳歌している中、丈は家族も親も行く場所も何もない、全く何にもない、そんな中で「オレに残されているのは自由だけなんだ。」といっている。何にもないところから這い上がり、人を奮い立たせ、感動させている。その姿が、その当時の若者にも今の若者にも無い”あした”だったのかもしれません。
また、お互いの存在を求め合うことで、丈と力石は死すらも越えていく。そんな失った人間的な姿にも理想的なものをみいだしてしまうのです。 丈がほほえんだラストは、力石が丈と戦うときにほほえんでいた姿と同じ。何かを越えた二人の姿は、自分たちでは手に入れられないものなのに、憧れてしまいます。
ちばさんが死んでいるか生きているかのラストにはっきりした答えを出していません。以前どこかの番組で生きていると言っておられたそうですが、丈にとっては、生きていたとしても、真っ白な灰になって、”生きた”という実感が得られたので、生き終わったということなのだと思います。力石にしてもあの対戦が、丈と同じ気持ちだったからなのだと考えるからです。素晴らしい精神性のドラマです。主人公丈の生き様に惹かれた人達は彼と関わることで人生が変わっていきます。彼らの私達の丈だったからです。ほんと、国生さんの「愛のドラマ」も、片岡鶴太郎さんの「丹下段平になりたい」というのも、そのことを表していると思います。
あと、アニメの演出よかったです。音楽も、崎枕というのは出崎さんの事だったんですね。岡田さんのあしたのジョーのオープニング解説は凄かったです。「あしたのジョーはミュージカルだ!」は面白かった。
あー、もう一回やらないかなぁ~。
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