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January 17, 2010

阪神・淡路大震災から15年 神戸新聞の7日間を観て

 目が覚めたときに震災の時のことを考えていたから、夢の中でも考えていたのだろう。震災体験者にとっては深くつらい話だった。一筋の涙が要所要所に流れた。
 あの作品では短い時間で要点をうまくまとめていた。始めに語られた「一際郷土愛の強い市民性」というのは、他地域はどうか知らないが、震災後の神戸の最重要ポイントになる。写真を撮れなかったことも、よく分かった。私は写真が好きだから、台風の時に友人がメールで写真を撮りに海に行ったらあかんよ!とメールが来るぐらい、どんなときでもカメラを握って出かけるようなタイプだが、震災の時に半壊の状態だったので、容易とは言えないがカメラを取り出すことが出来るのに、カメラを持たずに朝一番水を買いに走った。その次の日も、業火で焼かれた母の勤め先付近を精神的に弱い母に変わって先に見に行こうと出かけたときもカメラはもてなかった。着いた先は、空爆にでもあったような焼け野原で今でも絵に描けるほど鮮明に目に浮かぶ。そんな状態でもカメラのことは撮りたいとも浮かばなかった。当事者だったからだ。
 自衛隊の友人が、地元神戸で潰れた家から遺体を探しているときに、震災から1ヶ月ほど経って、観光に来たカップルが潰れた写真の記念写真を撮っているときに、怒ったという話を聞いた。私はその時にも話したが、今でもそのような現場にいたら、胸ぐら掴んで殴っていただろう。
 でも、当事者ではなかった時の自分がそのカップルに見える。今15年経って、同じ阪神間の事ならわがことのように胸ぐらを掴めるだろうが、その他の地域のことは単なる傍観者に成り下がってしまった。
 当事者以外を攻められないし、鈍化する自分の感情を変えることは出来ない。他地域に震災があると、神戸で活躍した人達が作ったNPOがすぐに対応している記事を読む。その時の気持ちを忘れずに、本当に凄いことだ。
 社説で語られている今までの事故や災難の報道で本当に立場になって語れていなかったという話は、報道関係ではない私でも他の人達も、当事者になって初めて分かったと。
 しかし、多くの人が亡くなったとしても場所によっては感覚が違う。北区の友人はその日スキーに出発したし、私は4月までガスも使えなかったけれど、周囲に亡くなった人はいなかった。それぞれの震災体験があるのだが、今日17日に起きることも、東遊園地や新長田駅に行くこともない。たくさんの風化された記憶と気持ちが重なっていくことに年月が過ぎていく。
 私は、大事な商店街が丸焼けになったことで、元気なときの写真を撮っていたらよかったと悔いたが、復興する商店街を震災後直後からなぜ写真を撮っていなかったのだろうと悔いた。本当に当時の写真といったら、半壊申請用に外壁や内壁が崩れ落ちた写真だけだった。
 このドラマを見て、報道の有り難さを痛感する。当時の思いや記憶は、写真や文で残されている。同じような思いを味わい、泣き、悲しみ、そして希望を持った。明日への姿が、今でも観ることが出来るのだ。
 神戸新聞は当事者側から見た気持ちをたくさん代弁して元気づけてくれた。新聞を作らなきゃという気持ち、本当に有り難いと思った。当然、私は子供の時から神戸新聞を取っている。

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