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June 08, 2012

アリラン

 SNSで、キム・ギドク監督は嫁に行きたいほど好きと書いて、皆に熱いねぇとコメントを頂いた。ここで、何度も書いているけれど、キム・ギドク監督が好き。
 エロくて、歌舞伎町に入り浸っていたって、廃人として扱われていたって、彼のインタビュー記事を読んだって、彼の根本にあるものが大好きなのだ。
 アリランは、私の未見の「悲夢」の撮影中、演技者が死にかけたことにより、監督自身が内省的になり、人と離れて一人自問自答を繰り返した日々のセルフポートレートを描いた作品。
 これに出てくる彼を見て、話を聞いて、到底好きになれるものではないのだけれど、これも見ても感じるように・・・

 日本って、言霊ってあるでしょ。言葉には霊が宿り、それにより影響力を与える。でも、最近思うのだけれど、出ていない言葉がたくさんあふれているんだ。
 大人になると、不用意な言葉は使わなくなったり、人を誘導するために、わざと反対の言葉を伝えてみたり。
 まぁ、それは私の姑息なやり方でもあるんだけれど、

 出ていない言葉はたくさんあると思うんだ。好きな人に好きって言えないってのが、代表選手かな。

 キム・ギドクの今回の映画で発信している言葉は、かなり想像される言葉たち。何度も出てくる「自虐」は、彼の映像の中で見せる行動を見ていたら分かる。
 孤独と、情けない哀れな姿と、何度も何度も自問自答して、何度も何度もそんな自分を殺す姿。そして、生理的な毎日。

 いつもの彼の映画の中で感じる本来の彼がここでは描かれていない。こんなにも、彼は言葉では態度では出せないシャイで寂しい人物なのだ。

 彼を愛しいと思ったのは、彼の映画を観る度、彼の中にある愛の枯渇が全面にあふれ出しているから。
 それに共鳴したのはきっと私だけではないはず。

 私は悪い男という作品で彼を知ったが、主人公の無口な男性は、監督そのままで、その映画の中で、飢えた愛の固まりを一人の女性に注ぎ込んだ愛は、映画の中の彼女じゃなくても、これを見た観客にも注ぎ込まれたはず。
 こんなに純粋に枯渇した愛を探し求めている人はいるのだろうか。

 それ以降、彼の作品を見る度に愛のテーマは、アガペーにもなり、監督が充足されない姿を何度も見ることになってしまう。

 まぁ、勝手なファンの妄想だけれどね。

 でも、彼の伸ばした手をずっと握り続けていきたい。

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