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February 08, 2013

ストロベリーナイト

 ドラマが面白かったので、再放送で復習して、映画見たあと、テレビでやっていた映画の後日談まで観ました。
このドラマを見ていていつも思っていたことは、自分の仕事感覚に似ているところがあるってこと。その頃を思い起こしていました。当然、仕事内容は異なりますが、その頃姫川という名字でもないのに、姫と呼ばれていました。
私の同僚は男ばかりで、男性に指示をする仕事を初めて行った頃、何も分かっていないから、色んな人達に鍛えられて、まだまだ分かっていないから、姫と呼ばれていたんだろうと思います。偉そうだし(笑)
 だから、異性の中で仕事をする彼女に、色々感じるところを重ねていたところがあります。

 あと、もう一つ
 男女の性の感覚の違いをこのドラマは意識させてくれました。以前ドラマを観ていたときにここまで思っていたかは分からないけれど、マイミクさんの女性の性の方が恵まれているという日記を読むようになって考えるようになったのかもしれません。それと、先日会社の新年会の時に、2次会で二人の酔っぱらいの対処をすることになり、眠りこけて起き上がれない女子を酔っぱらっているから、起きあげさせることが出来ないと私が変わって頑張って引き上げているときに、その酔っぱらい男子に胸を鷲掴みにされ、無理やりキスされそうになりました。
それ以後電車に乗せるまでの間、ずっとセクハラ行為を続けられて逃げ回りながら連れていった。
その時に彼が言った言葉が、「減るものでなし」
こんなすごい酔っぱらいのセクハラは初めてでかなりショックだったし、彼が翌朝覚えていないことも知っているから余計に悔しかった。
その話を男友達にしてみると、本当にそうだと、減るものでなしの方に同意した。

 なんか、女性の性はいつも一人歩きして、個人の持ち物なのに、他人がいいように考えられてしまうようだ。
 主人公姫川のように10代でナイフで脅されて犯されたのと、私のように年齢が経っているものの性はあくまで平等ではない。裁判があったとしたら、年若いものにおかした罪の方が重いような気がする。でも、それもその人個人の考えを度外視したような一人歩きのような気がする。女性の性は、何か社会的なものなのかもしれない。
確かにマイミクさんが日記で書くように、性を商品として売ることもできると言われると否定出来ない。観たことはないが、やわらかい手という映画は、手術費用のために祖母が風俗で働く決意をする話だが、どうしてもの手段に女性は性を使えるのだ。といって、それに対する結論は出せない。ただ、複雑な気分と言えばいいかなと。

 このドラマの演出は小気味がよくて、タイトルと納め方がおしゃれだ。
今回の映画も個別の人物像をあげている訳でもないのだが、映画で初めて出てきた和田さんの描き方もあの記者とのやり取りだけで彼の人となりがわかる演出で深い。立ち上がらなかった記者がたくさんの物語を読ませているのだ。

また、人物像の描き方の脚本もいい、牧田に言わせている台詞と、菊田の無口の対比。原作にはない菊田の思慕、今回の恋の完結も相応しい男の出現もサイドストーリーが盛りだくさんで深みに花を添える。
草食系菊田も素敵だが、肉食系牧田に映画中惚れた♪
当然だろう、女性はいくつになっても求められたいんだよ。まるで分かっているようなことを言ってきて、スルッと心に入り込もうとする。それと、ベルばらのアランのような激しいキス!!菊田アンドレのように待ってなくていいから、分かりやすく、好きだといってほしいものなのだ。

映画本当によかった。姫川班が無くなってしまったのが、一番寂しく思っているのだが、これでいいんだよね。

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