November 25, 2008

歴史のもしも -高杉晋作

歴史のもしもと言う番組が最近好きで、たまにお茶碗を洗いながら見ていたりするのだが、先日は高杉晋作をやっていた。

 なかなか面白かったので、最後の方はしっかり腰を落ち着けて聞いていたのだが、

もし高杉晋作が生きていたら・・・。陸軍は山県有朋ではなく彼が仕切っていたはずだから、アジアを侵略するようなことはしていなかったと思うと言う意見が出ていた。奇兵隊を作り、身分を関係なく徴用、上海で奴隷のようにこき使われている自国民である中国人を見ているから、それはなく、本当の意味のアジアの助けになっていたかもしれない。

香港のように島を明け渡せと迫られた時に、高杉が凄い形相ではねのけたのだね。アーネスト・サトウが通訳をした時のことを後に書いているそうだ。香港のようにならなくてよかったけれど、高杉が居なかったから、沖縄や北方領土は取られちゃったんだ。

それと面白かったのが、私の座右の銘である高杉の辞世の句「面白きことの無き世を面白く」この後に、彼を看取った3人の女の一人が下の句を付けた。それが合わないというか、いらない!ってはなしを言っていたが、私も同感である。

早くになくなった人達が、明治維新を生きていたら、どんな国が作られただろう。高杉や坂本龍馬、吉田松陰、20代30代の若くして死んでいったが、明治政府が出来た頃に生きていたとしても、活躍出来る年齢だ。坂本は別として、多くのよき人達が居なくなって、出来上がったニッポンというのは、勿体ないことをしたんだなぁ。

高杉のように、国を思い、強くて、カリスマ性のある人物が明治政府にいたら、諸外国のいじめにも屈せず、全然違う方向で、第二次世界大戦にもならなかったのでは、とか勝手に考えていくのも面白い。
でも、坂本龍馬が、「俺は世界の海援隊をつくるぜよ。」と言ったら、高杉も日本なんて小さなことを考えずに外に飛び出していったのかもしれないなぁ。

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January 27, 2008

神戸市史の歴史講演会

 今日、文書館主催の歴史講演会に行ってきた。文書館とは以前ここでも記事にしたことがあるが、神戸市史を編纂している5時までしかやっていない所だ。5時までだからもちろん見学者は偏る。そう、この講演会も偏っていた90%が60代以上の男性で構成されていた。女性は僅か、若い人に至っては片手で足りただろう。
 こんなに面白そうな神戸市史もレベルが高く、帰りのおじさん達のセリフは、「難しすぎてねてもたわ」が多かった。決して難しかったわけではなく、歴史の細かいところを突いている内容だったからそう思えたのだと思う。

 最初に16世紀前後の北区山田町の話をしてくれた。京都に行く道と山を越えて海に出る道当たりにある山田やや淡河の村同士の揉め事を古文書で紐解く作業はなかなか面白そうな内容だった。500年の前の書き付けを置いているという所も凄いし、制圧区域の話しも面白い。別所長治の名前を久しぶりに聞いた。地元の歴史を紐解いていくともっと面白いものが見えてくるんだろうなぁ。

 しかし、私のレベルよりも高すぎるので、もう少し神戸市の歴史を古代から優しく知りたいものだ。

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October 20, 2007

日本を攻撃する

日本を攻撃する

と言う言葉が韓国で流行っているらしい。私が登録しているメルマガの記事に載っていたのだが、それをコピペしたサイトを見つけたので、興味があるならこれを読んで貰うと分かると思うのだが・・・。

 どういう理由であれ、このような言葉がまかり通っているのは気分が悪い。韓国だけの話ではなく、最近の人は簡単に酷い言葉を人に投げつける。
日本を攻撃すると言う言葉は、個人の面識のない人物に
おまえ死ね
と言っているのと同じような恐怖を感じる。
最近、何でも冗談が過ぎている。韓国で報告通りの言葉の荒れようなら、日本の若者とそう変わらない。
日本と違って儒教の国だから、もっと、物事を大事にしている民族だと思っていた。事の発端が一部のソウル市民のコメントだったとしても、それに広がりをみせ、このような形になったのなら、そういうことなんだろう。
日本を攻撃すると言われたときより、韓国の善き国のイメージが変わってきたのが私にとっては残念である。

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September 29, 2007

NHK情報 BSマンガ夜話復活!

ジェリー・イェンのホスピタルが10月4日から始まります。
ジェリー・イェンは、前にここでも記事に書いたF4の一人、台湾、アジアの超人気俳優です。
BS2木曜の11時からです。

もう一つ、面白そうな海外ドラマは、アグリー・ベティ
さえない女の子が、ファッション業界で成長していく物語です。プラダをきた悪魔のドラマ版のような感じかな。
10月1日(月)午後11時00分~ スタートです。

私が観たいと思う映画のご案内

衛星映画劇場 ロストロポーヴィチ 人生の祭典 2006年・ロシア ELEGY OF LIFE.ROSTROPOVICH.VISHNEVSKAYA.
BS2 10月2日(火) 午後10:00~午後11:43

衛星映画劇場 モロッコ 1930年・アメリカ MOROCCO
BS2 10月4日(木) 午前0:40~午前2:13(3日深夜)

ハイビジョン金曜シネマ ロバと王女 デジタルニューマスター版 1970年・フランス PEAU D’ANE
BShi 10月12日(金) 午後10:45~午前0:16

BS世界のドキュメンタリー

50年後の未来の再放送が11月にあります。面白かったので、おすすめです。 全部観られなかったので、とても楽しみ。

ニュールンベルグ裁判も再放送が来週にあります。

10月の知るの楽しむは、昨年の再放送ですが白州正子さんです。

日本の伝統芸能は今月から、歌舞伎が始まります。

BSマンガ夜話 11月27日から3日間復活です!嬉しい~。待ってたよん。

マンガノゲンバ 10月2日(火) 深夜24:00~24:39 [BS2] / 10月3日(水) 午後6:00~6:39 [BShi]
次回はゴルゴ13特集です。

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August 18, 2007

夕凪の街 桜の国 -とても大事なことなのに、自分に置き換えて考えたことがなかった

やっとまた一人死んだと、アメリカさんは喜んでいるのかなぁ


何で、広島におちたんや

違うよ、落ちたんじゃない、落とされたんだよ

ネタばれになります。

 上記のセリフは大分怪しい(笑)けど、インパクトがあり心に残ったセリフだ。
 死ねと思われてピカを落とされたのに、まだ生きている。妹は背中の上で長生きしてねと言って亡くなったのに、幸せだったりしたら、誰かがそれは違うよって、そっちの世界じゃないよって言いに来る。
 被爆した20代の女性と、被爆者を遺族に持ち、自分にも遺伝しているだろうということで考えないようにしていた現在に生きる20代の女性を描いた作品は、全編タオルが離せない程の悲しくてつらい話が続く。
 昔、広島で行われた少年団体の総会に出席したことがあり、その時に平和のワークショップに参加した。私は原爆に対する知識も平和にも薄かったから参加したのだが、数多い広島からの参加者に圧倒したことがあった。これほどまでに認識が違うものなのだと。内容は違うが、震災を受けて、地元の深さを感じることが出来たので今ではよく分かる。その当時は、これだけの歴史認識の凄さをなぜ日本国中の学校が教えることが出来ないのだろうかと思ったものだった。同じような教科書でも意識の違いがそうさせるのだ。ましてや、今でも続いている苦悩の数々に考えたくなくても、否応でも襲ってくる内容なのだ。今年は、戦争が風化されすぎたのか、公式の場に出る人のあほな発言が出て、余計に意識するようになった。そのおかげか、マスコミの広島、長崎、終戦記念日の扱い方が変わってきたことに気がついた。もう、戦争や原爆を知らない人の日本になってきたのかも知れない。こんな時にこの映画の公開で、再認識させて貰えて良かったと思う。
 この作品、2部構成になっていて、前半の被爆体験を持つ皆実の悲しみが染み渡る。隣の見知ら年配の女性は私と共にタオルを握りしめ、大泣き状態であったが、後半の桜の国では、寝息が聞こえてくることがあった。
 やはり、前半がインパクトが強かったせいもあるのだろう。普通の幸せを迎え入れることが出来るはずの女性の悲しみは大きすぎたのだ。しかし、後半の話も、過去を振り返りながら、忘れていないというメッセージと、忘れてはいけないというメッセージが含まれていて、実際におられるであろう被爆者遺族の苦悩を意識していなかった自分を恥じた。
 漫画原作は読んだことがないが購入したいと思う。平積みしている表紙の絵は、皆実を演じる麻生久美子がぴったりの配役とも思う。七波のように突っかけで携帯持っただけで飛び出して旅行に出かけたいものだ(笑)

夕凪の街 桜の国 公式サイト

とりあえず、今年観た映画の順位 怪しいけど・・・

善き人のためのソナタ
ブラッド・ダイヤモンド
ディパーテッド
長い散歩
ダイ・ハード4.0
世界最強のインディアン
サン・ジャックへの道
ボルベール<帰郷>
舞妓Haaaan!!!
それでもボクはやってない
バブルへGO ~タイムマシンはドラム式
不都合な真実
墨攻
夕凪の街桜の国
スパイダーマン3
キサラギ
アヒルと鴨のコインロッカー
パイレーツ・オブ・カリビアン/ワールド・エンド
300
ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団
約束の旅路
腑抜けども、悲しみの愛を見せろ
しゃべれどもしゃべれども
ホリディ
あなたを忘れない
どろろ

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August 15, 2007

夏は戦争を知る季節 私って何にも知らなかったんだ!

 日本は防衛費を国の中では多く回していると思っていたけれど、世界と比べたら大したことはないと思っていた。
NationMasterと言うサイトに2005年の世界の防衛費を比べたグラフが載っている
http://www.nationmaster.com/graph/mil_exp_dol_fig-military-expenditures-dollar-figure
ソースを探したら、CIAのサイトだったので、探したら2005年のは消えており、2007年分のをみた。
GNPの何%かということなら、ドミニカやガーナと同じ0.8%なのだが・・・。
https://www.cia.gov/library/publications/the-world-factbook/fields/2034.html
CIAのサイトでは、金額としては載っていなかった。
初めて、CIAのサイトを見るのだが、各国の軍に入る年齢とか書いてある。
強制的に入る義務があるのは、compulsory military ってことだよね。conscriptは徴兵されたってことだろうし。

Algeria
19-30 years of age for compulsory military service; conscript service obligation - 18 months (6 months basic training, 12 months civil projects) (2006)
Angola
17 years of age for compulsory military service; conscript service obligation - 2 years plus time for training (2001)
Armenia
18 to 27 years of age for compulsory military service, conscript service obligation - 12 months; 18 years of age for voluntary military service (2004)
Austria
18 years of age for compulsory military service; 16 years of age for voluntary service; from 2007, at the earliest, compulsory military service obligation will be reduced from 8 months to 6 (2005)

 Aだけでこんなに見つけちゃったよ。徴兵制の国が多いんだ。

 今、終戦特集が多いので、NHKでは色々やっているし、私もアホみたいにBSドキュメンタリーを録画しているので、この盆休みに見ている。
 先日、NHK総合で水木しげるさんのラバウルでの出来事をドラマ化していましたね。玉砕しに行って、生きて戻ったものを恥だとしてもう一度玉砕させる。昔、ITさんに水木さんの昭和史を借りて読んだことがあるのですが、詳しいことを忘れてしまいました。と言うよりは、戦争の話の中身が濃すぎて、このような一つのエピソードでも凄すぎて覚えられないってことでもあります。水木さんを演じておられた香川さんが水木さんに似せていてそれはうまかったです。
 南方での陸地戦の話で思い出すのは、ゆきゆきて、神軍という私が昔からよく書いていた奥崎謙三さんの出るドキュメンタリー作品です。この映画は、戦争のえぐい部分を掻き出している作品なので興味がない人にはお奨め出来ませんが、奥崎自身もニューギニアの戦地で闘い、復員中に兵隊達の食料を奪おうとした船長を刺しているところから反政府的な動きに駆り出されて行かれています。
奥崎のようつべ http://www.youtube.com/watch?v=4tFc0fiLzJg&mode=related&search=

 BSドキュメンタリーでは、ニュールンベルグ裁判をBBCのドラマを放映していた。W録画失敗で、ルドルフ・ヘスがちゃんと見られなかった。最後まで生きていたゲーリングは確かに凄い人物だったと思う。私はニュールンベルグ時の彼らのことを全然知らなかったんだと思った。中学生の頃に読んだルドルフ・ヘスの替え玉説の本が今でも脳裏に残っていて、今でも別人だと思いたい気持ちがあったりする。ナチの中で唯一人間的であったからかもしれない。もう一人悪役のルドルフ・ヘスのもドラマにしてくれたら良かったのにと思うが、さすがにおぞましくてドラマにするわけにはいかないのだろう。
 こぼれ話にひとつ。当時、日本人でもあまり知る人がいなかった坂本龍馬のことをヒトラーが興味を持っていたらしい。それを聞いた京都の老舗が坂本龍馬の文楽の人形をヒトラーに送ったらしい。親日家のイメージは無いのだが、自筆で丁寧なお礼状をヒトラーが送ったという逸話がある。当時、ムッソリーニも坂本龍馬に興味があったので同じように文楽の人形を貰っているらしいが坂本龍馬ではなかったらしい。木村幸比古さんの著書に出ている。チェ・ゲバラも坂本龍馬を尊敬していたっていうし。魅力的な人物なのだなぁ。

 先日、爆笑問題の番組で、ヒロシマ・ナガサキの賠償金を求めようという課題が話し合われた。あきらかに化学実験をされて、未だに後遺症が残り、多くの被害者が日の目を見られないというのは、日本軍がやってきた中国での細菌兵器の使用と人体実験と同じだなと思っていたら、そういった発言をする人がいた。それに対して、太田総理は、「それもこれも全部明らかにしないと行けない」ようなことを言っていた。同じようなことをしていたドイツは、戦後戦争教育が行き届いていて、自分たちの過去の遺物を忘れようとはしていない。
 なぜ、日本は復興を急がして、まだ歴史の時間が経たないうちに、日本軍がやってきたことをちゃんと検証していく部署を作らなかったのだろう。過去を踏まえなければ現在はないとドイツの首相が言っていたと思うけど、風化する前に真実を私達に残していく道もつくって欲しい。

 今日、はだしのゲンの作者がニュース番組に出ていた。色つやもよく見た目には、とても被爆したように見えなかったが、後頭部には当時のケロイドが残り、視力が悪くなっているので漫画が書けなくなっているらしい。広島に行けばその時のことをありありと思い出すと、今は他のところに住んでいる。生きている以上、悪夢を見続けるわけにはいかないものね。コメンテーターの江川達也さんが子供の頃に学校にはだしのゲンがあったので全巻読んだと言っていた。私の小学校にも中学校にもなかった。羨ましいなぁ。
 で、よみうりでは火垂るの墓の舞台を歩くイベントを取り上げられていた。私は本でつらい思いをしたので、アニメは見ていない。ラストの三宮構内までやって欲しかったなぁ。

 明日は終戦記念日だ。不思議なことに、60年以上も経ったので戦争が風化していくような気がするのに、世界ではたくさんの平和が失われているから、いつまでも近くに戦争を感じる。もしかすると、このまま私は軍歌を歌えるようになったり、第二次世界大戦時の陥落した基地名とか言えるようになっていくかもしれない。それは、冗談ですが、子供の時よりも賢くなってきているのは、いつも思うのだが、ボキャブラリが増える分、読める本が多くなるのと同じように世の中が分かってくると思うのだ。案外みんな100歳になったら、凄い人物になれるかも知れない。

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August 11, 2007

はだしのゲン見ました

 つらい話なので、今まで読んだことがありませんでした。昨日と今日の放映も、つらい話なので途中お風呂など入って逃げました。元気でたくましく生きる少年の話なのに、こんなにつらい話はありません。悲しくてつらい話と、人を騙す話は見ることが出来無くって・・・。

 はだしのゲンという作品は、ノンフィクションであるが、主人公の中沢啓治も原爆で父と姉と弟と妹を亡くしている。自分の体験が多く入っている作品と言えるだろう。

 前編の父親が戦争に反対して、非国民呼ばわりされているときに、笠智衆の映画を思い出した。タイトルは思い出せないが、同じように戦争反対をし、嫁が苦労し、子供達は父を恥だと思うのだが、最後には父の意図が分かるという映画だった。私も、子供達と同じように、「みんなと同じようにしてくれ」と、親に向かっていっていると思う。あの時代に、戦争を反対出来るという人の凄さを感じてしまう。
 今日の後編のご飯が食べられないのを見て、妹尾河童さんの少年Hを思い出しました。この時代に、キリスト教徒だといえ、貰ったものを分け隔て無く与えてしまう母親は凄かったんだなぁと思いました。私も子供達と同じように、「なんでぇ~」と自分らの分として残して欲しいと思っていました。
 生きていくのに色々大変なのは、どの時代も同じだと思うけれど、食べ物に困るのはつらいですね。

 画家の役をうちのおばばが、香取慎吾!と言ったのでそのつもりで見ていました(笑)。成宮寛貴だった。

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August 06, 2007

大河ドラマ篤姫にキャスト発表!

 今年の大河は、友人YNが好きな黒田如水なれども、私は人を騙す話は嫌いなので観ていない。で、期待の2008年篤姫大河ドラマのキャストの発表があった。なんと、幕末の小説には必ずこの方の名前が1個でも出てくるってぐらい有名なのに、殆どの人に名前を知られていない小松帯刀の役に先日から書いている瑛太が選ばれている。
 彼のコメントでは、親の祖先が鹿児島だと言っていました。他に共通点と言えば、彼と同じ12月生まれの射手座の人物です。楽天的な性格を持つ射手座に相応しく、面白い男坂本龍馬とも仲がよかったと言われています。生まれた日も彼と近いですしね。同じように30代の若さでなくなっています。来年の大河ドラマはみるぞぉ~!

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July 12, 2007

アフリカのこと 中編 その1

 いやぁ、中編が出るとは思っていなかったでしょう。有言不実行型になってもおかしくない日常なので、私も危ういと思っていた。後編がもっと怪しい・・・。
 さて、さて、前編を書いたけど読んだ人がいるのだろうか・・・、あんな長ったらしいの。何、自分のアフリカの知識が少しでも付けばと言うのんだけなので、とりあえず、名前や場所が分かったらなぁってのが望みなのだが、で、私は自分が書いて覚えようと記事までしたのに覚えているのだろうか・・・。
 えっと、書いた順番は、スペインの南側のモロッコからだった。その隣がチュニジア、ナイジェリア、リビア、エジプト、その南はスーダンで、スーダンの北東にあるのが、エリトリア、ジブチ、スーダンの南がソマリア。スーダンの西がチャド、ニジェール、マリ、マリの北東が西サハラかな。
 地図見て答え合わせをしたら、がーん、エチオピアが抜けているし、モーリタニアもすっかり忘れていた。もう一度頭に、順番に入れよう。あかん、頭が腐っていて地理が入らない。えーと、モロッコ、アルジェリア、チュニジア、リビア、エジプト、スーダン、エチオピア、エリトリア、ジブチ、ソマリア、スーダンの西隣が、チャド、ニジェール、マリ、モーリタニア、西サハラ。今書けても次回何が欠落するか・・・

 アフリカの地図
 では、続きを始めます。カーボベルテ共和国(首都プライア)は、セネガルの沖合にある島々で構成されています。大きさは滋賀県ぐらいの大きさです。なんと、wikiに載っていない国でした。さすがに本国のwikiには載っていました。http://en.wikipedia.org/wiki/Cape_Verde
なんと、ポルトガルが発見するまで15世紀まで無人島だったと書いています。それ以降は、船の要所として、奴隷の中継地として知られたようです。1975年に独立したが、アフリカから30キロ離れていることもあって、アフリカ大陸からは気にかけて貰えてないようで、ポルトガルの経済的支援に頼っているようです。私の簡単な要約が当たっていなかったら、ごめんちゃい。

 モーリタニアの南にあるのは、セネガル共和国(首都ダカール)です。ここは、知る人が多い国。パリ・ダカールラリーで有名です。ここは、マリ帝国-ジョロフ王国-フランスの植民地-フランス領西アフリカに編入-自治国-、マリ共和国とマリ連邦を結成-マリ連邦としてフランスから独立-マリ連邦から離脱で今に至る。古くは奴隷市場の拠点となっており、世界遺産登録でその姿を留めている。

 セネガルが囲んでいるのはガンビア共和国(首都バンジュール)。ガーナ王国-マリ王国-英国の植民地-イギリス連邦の一員として独立-セネガルとセネガンビア連邦-連邦解体-軍政-民政に。昔あった「ルーツ」というドラマのクンタ・キンテがここ出身である。セネガルに取り込まれても不思議ではないのに、今も保っているのは公用語が英語とフランス語で違うからだろう。

 セネガルの南に位置するのが、ギニアビサウ共和国(首都ビサウ)。ここはポルトガルの奴隷の拠点で、ポルトガル植民地-カーボベルテ植民地から離脱して独自の植民地-ポルトガルの海外州-独立。独立運動には、カーボベルテ派にソ連・キューバが味方したが、独立後はカーボベルテ派は一掃。

 ギニア共和国(首都コナクリ)は、他のギニアの名が付くところとは関係がないらしい。奴隷市場が盛んな頃、フランスの植民地に、一部は英国の植民地だったのを譲られている。独立後、社会主義政策、軍事政権に移行し、現在に至る。今年、ゼネストが行われ、戒厳令が敷かれたが解除されている。軍事クーデターにより転換したが、1990年代には国民投票を実施するなど共和国らしくなっているそうだ。地図のない国として、プロジェクトXで放映されたそうだが、今でも国土基本図は未完成らしい。ボーキサイトの埋蔵量が世界第2位で、三菱商事が昨年探査権を取得している。ちなみに、ボーキサイトはアルミニウムの原料である。

 ギニアの南にあるのが、シエラレオネ共和国(首都フリータウン)。ここに初めて上陸した記録が残っているのは、ポルトガル人。しかし、それ以降攻防戦を繰り広げてきたのは、英国、フランス、オランダ。結局、英国の植民地、連邦の一員として独立。その後は、軍事クーデターや、学生デモを経て、近年、軍事クーデターが起こり、内戦が始まる。ここが、紛争ダイヤで有名な国である。ブラッド・ダイヤモンドの舞台とも言える。アミスタッド事件の犠牲者はここに住む人達だった。
 BS世界のドキュメンタリーで今週はアフリカを放映している。この現地取材を行った英国BBC放送のサムラ氏がここの出身だと言っていた。

 ギニアの東隣にあるリベリア共和国(首都モンロビア)。15世紀に胡椒に似たギニアショウガを手に入れたヨーロッパ人が胡椒海岸と命名。19世紀、アメリカの奴隷を解放したときに、彼らを返還した所がここである。首都のモンロビアの名は、アメリカのジェームズ・モンロー大統領の名から取られている。アメリカから独立後、先住民族は差別の対象になっており、圧政を敷かれていた。その為、隣国のシエラレオネが介入するような軍事クーデターを起こしかけたり、2度の内戦が起こっている。度重なる内戦の傷跡はまだ癒えていないが、相当な量の鉱物資源があると見られている。ここも紛争ダイヤモンドの所である。また、ゴム工場の児童労働が問題化されている。

 コートジボワール共和国(首都ヤムスクロ)。外務省が最近まで使っていた象牙海岸共和国の名がその国を表しているように、ここはポルトガルや英国の象牙と奴隷の売買をしていた国である。フランスの植民地後に自治国になり、1999年の軍のクーデターにより、内戦に突入した。カカオの輸出国なので、アフリカの中では経済的に成功している国である。アフリカの西側の国を書き始めているのだが、ここで初めて外務省の退避勧告が出てくる国になった。色々あった上記の国々よりも今はここが危険地帯なのだ。以前、ここで記事にしたILOの児童労働の写真展。小さな男の子の手がシワシワになっている写真載せました。この国や、他にカカオ輸出が多いガーナ、ナイジェリア、カメルーンの児童労働の実態はあまり報道では出てきませんが、この時期になるとチョコの話も少ないとも思うけれど、最近チョコブームなので、購入するときにとりあえずどこの原産なのかぐらい見るようにして意識してくるといいかなと思っています。やっぱり、カカオの値段の暴落が大きな影響を与えているようです。アフリカでは仕事がないんだから、子供でも働いていて当然って思う人が多いかもしれないけれど、自分の意思ではなく、誘拐されて奴隷のように働かせて作っているカカオだと言うことなのです。人権監視委員会がネスレやADMを訴えているぐらいだから、私が口にしているチョコの数々は怪しいんだろうと思う。ネスレの100%子会社ネスレ日本は神戸に本社がある。中国野菜やミートホープ問題を解決するのは、地元で生産、地元で消費と、ダーウィンの悪夢のようなことしないで、地元なら近いところで、みんなが見ているんだから、自給率100%にもなるんだから、それと同じように、地元企業も監査&応援なのだ。なんか、話がそれてしまった(笑)そうそう、カカオですが、監視下で栽培されているチョコを食べようと思ったら、フェアトレードの所で買うといいと思います。

http://mscience.jp/ftchoco.htm
http://www.ways.co.jp/goods/food/choco/choco.htm
 ちなみに、私がよく食べるフルタの生クリームチョコは原産国が日本で、カカオ原料の記載はないから、検索してみたが見つからなかった。やっぱり、他の会社も見たけれど、カカオの原産国はベルギーやフランスであっても、カカオ原料はどことかは書いていなかった。南米とかならよく書いているけれど、アフリカが原産だったら書きにくいのかな。

 ガーナ共和国(首都アクワ)。なんと、子供の頃の尊敬する人だった野口英夫はこの地で黄熱病で倒れた。ここは、紀元前1400年頃栄えたキンタンポ文化がある。2世紀頃には製鉄の跡があり、13世紀~16世紀にかけてサハラ交易の一端を担い、その後は黄金海岸とよばれ金と奴隷の交易場所となった。17世紀に王国が作られたが、英国が侵略し植民地に、独立後は、軍のクーデターなどがあったが、民政に移管してきたので安定してきている。ロッテのガーナチョコで有名だが、コートジボワールの次に多い輸出国だ。サッカーも強いのでこの国は有名である。

 トーゴ共和国(首都トメ)。15世紀にポルトガル人が渡来、19世紀にドイツ探検家がやってきて、ドイツの保護下におかれる。第1次世界大戦後はドイツは負けたので、英国とフランスの分割統治。その後、独立国になったが、クーデター後に就いた大統領の40年間における独裁政権を行った。独裁は2005年に終わったが、まだ勢力争いは続いている。主にリン鉱石が輸出財源であるが枯渇してきている。日本のODAが綿花などの輸入を行っている。

 トーゴの東隣がペナン共和国(首都コルトノボ)。17世紀にダホメ王国が成立、19世紀にフランスに征服され、植民地に、ダホメー共和国として独立をしたが、こちらは部族争いでクーデターが起こり、社会主義に、それが崩壊後、1990年にペナン共和国として民政が敷かれた。綿花の栽培が主だった生産物だ。ブードゥー教の発祥の地とされていて、イスラム教が多い周辺国と違い、ブードゥー教の信者がが50%もいる。教典もないし、憑依現象が行われていたから、タブー視されていたのだろう。昔懐かしい上岡さんの番組でペナン出身の方が出てこられていたから、ペナンという国を初めて知った。元マラソン選手で今はタレントをされている女性の人を見ると彼を思い出す。

 中編を仕上げようと思ったら、大変なことになっていつまで経っても、下書き状態。最初からその1カウントにしていたらよかったと、とりあえずUP

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July 06, 2007

BSを見る 今のおすすめだ

 京都の重文を解説付きで紹介している国宝 重文の見方 巡礼・京都の至宝が今の一押しです。
BSフジ毎週日曜 23:00~23:55

 最近、NHKの小さな番組(30分まで)にもはまっている。少ない時間に情報や癒しを感じさせてくれるんだ。で、紹介するのは、
こだわりライフ ヨーロッパ アート作品に宿泊ください~オランダ アムステルダム
 BS1 7月14日(土) 18:10~18:30 放送予定
 BShi 7月13日(金) 21:30~21:50 放送予定

世界遺産 100

美の壺

教育 : 毎週金曜 午後10時~10時25分
総合 : 毎週土曜 午前5時15分~5時40分(再) 毎週金曜 午前11時05分~11時30分(一部地域)(再)
BShi : 毎週木曜 午後6時25分~6時50分(再) 毎週金曜 午前7時~7時25分(再)

ニューヨーク街物語
世界の子どもたちを写す(仮)
BS1 7月14日(土) 18:30~18:50
BShi 7月15日(日) 23:40~【翌午前】00:00

 歩いて回る旅が好きだということで、世界ふれあい街歩きは毎週欠かさず見ています。
 BShi 毎週火曜日午後7時~7時44分 放送
 BShi 毎週金曜日午前9時~9時44分 再放送
 BShi 毎週日曜日昼~ アンコール放送

BShi 7月17日(火) 午後7:00~ マラケシュ ~モロッコ~(再放送)
BShi 7月24日(火) 午後7:00~ ザルツブルグ ~オーストリア~
BShi 7月31日(火) 午後7:00~ ヴェリコタルノボ~ブルガリア~


再放送 ETV特集・選  「今村昌平に捧(ささ)ぐ~スコセッシが語る映像哲学~」
教育 7月8日(日) 午後10時00分~11時30分

BS世界のドキュメンタリー BS1
エチオピア 飢餓地帯を行く
7月9日 月曜深夜[火曜午前] 0:10~1:00
さまよえるスーダン難民
7月10日 火曜深夜[水曜午前] 0:10~1:00
ザンビア エイズ多発地帯を行く
7月11日 水曜深夜[木曜午前] 0:10~1:00
モロッコ発 不法移民 決死の旅
7月12日 木曜深夜[金曜午前] 0:10~1:00
暗黒の歴史をたどる ~コンゴ河 4千キロの旅~ 前編
7月15日 (日) 午後10:10~11:00
暗黒の歴史をたどる ~コンゴ河 4千キロの旅~ 後編


ハイビジョン特集 フロンティア(国際共同制作) スーパーストーム 第1話 ストームシールド計画
BShi 7月17日(火) 後8:00~9:30

ハイビジョン特集 フロンティア(国際共同制作) スーパーストーム 第2話 隠された“誤算”
BShi 7月18日(水) 後8:00~9:30

ハイビジョン特集 フロンティア(国際共同制作) スーパーストーム 第3話 ニューヨーク直撃を回避せよ
BShi 7月19日(木) 後8:00~9:30

ハイビジョン特集 シリーズ 青春が終わった日 900番教室の2時間半 ~ 三島由紀夫 VS 東大全共闘 ~
BShi 7月23日(月) 後8:00~9:30

ハイビジョン特集 裁かれなかった毒ガス戦 ~アメリカはなぜ免責したのか~
BShi 8月10日(金) 後8:00~9:50


アニメ映画劇場 APPLESEED 2004年/日本
BShi 7月29日(日) 後11:30~前1:16

BS世界のドキュメンタリー BS1
美しき大宇宙 ~統一理論への道~ 第1回 アインシュタインの見果てぬ夢(再)
7月30日 月曜深夜[火曜午前] 0:10~1:00
美しき大宇宙 ~統一理論への道~ 第2回 “ひも”の振動が万物を生む(再)
7月31日 火曜深夜[水曜午前] 0:10~1:00
美しき大宇宙 ~統一理論への道~ 最終回 驚異の高次元空間(再)
8月1日 水曜深夜[木曜午前] 0:10~1:00

ドキュメンタリードラマ ニュルンベルク裁判 第1回 軍需大臣アルベルト・シュペーア
8月8日 (水) 午後11:05~翌0:00
ドキュメンタリードラマ ニュルンベルク裁判 第2回 空軍総司令官へルマン・ゲーリング
8月9日 (木) 午後11:05~翌0:00
ドキュメンタリードラマ ニュルンベルク裁判 第3回 ナチス副総統 ルドルフ・ヘス
8月10日 (金) 午後11:05~翌0:00
実録 ニュルンベルク裁判 前編
8月17日 (金) 午後10:15~10:58
実録 ニュルンベルク裁判 後編
8月17日 (金) 午後11:10~翌0:00
ドイツ“アウシュビッツ裁判” ~自ら裁いた大量虐殺~(再)
8月18日 (土) 午後10:10~11:00

 ルドルフ・ヘスの英国行きが、この時代を好んで読んでいたときの2番目に興味があった事柄でした。1番目は、クラウス・シュタウフェンベルグ大佐のヴァルキューレって書いたら、私もぉってうなずくひとはいますか(笑)中学生の頃好きだったことも、長い時間が過ぎても蘇る。だから、ぼけたら、昔の話が出てくるんだ。90歳(89歳までぼけないと思っている・笑)になったばばぁが、ヘルパーさんに「ルドルフ・ヘスはやっぱり本物だったんかねぇ」とか聞いているかもしれません。(笑)

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July 02, 2007

踊れ、グローズヌイ!

 チェチェンの舞踏家が子供達の舞踊団を作り、西側にチェチェンの実体を知らせるのと、資金集めの公演を行った。その記録とチェチェンの実体を描いている。
 この映画の中では、「ロシア兵が」といういい方がなぜかされていない。大人達は、次は自分たちに来るであろうミサイルを落とされる所や、ロシア軍が徘徊してどこかの家に入っていく姿を銃弾の跡が生々しく残る外壁の窓から覗き込んでいる。子供達は恐れおののき、子供ということでは許されずに尋問を受け連れて行かれる。その子供達が少しずつ生気を取り戻したと親が語るのがこの舞踊団のことだ。ロシア軍からチェチェンに対して行われていることは報道を通して聞くことが出来るが、自分たちと同じ普通の人達が衣食住もままならない状態で、いつ順番が回ってくるか分からない恐怖に耐えて生きている。その姿は、ニュースの何千、何万よりも威力がある。
 ロシアとチェチェンの抗争は、クリミア戦争に遡る。戦争後、ロシア帝国に併合されたイスラム教徒の多いこの場所は、ソ連消滅後第一次、第二次チェチェン紛争を起こす。ロシア連邦から離脱したいがために、行っているが、イスラム原理主義も関連しているので、複雑になっている。現在は、100年以上も続く抗争に住民達は疲れているというのが概ねの見方のようだ。日本では、モスクワ劇場占拠事件アンナ・ポリトコフスカヤの殺害事件で大きく取り上げられたが、ビルマなどと同じで、解決を見るのは長くかかりそうである。
 ちなみに、グローズヌイはチェチェン共和国の首都で、舞踏団の名前ではない。そー言う意味での踊れなのだ。

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June 25, 2007

アフリカのこと 前編(笑)

 私ってば、アフリカのことなんにも知らないんだよ。
 首都が分かるのって、当たっているかはさておき、恥を晒す形で頭の中身を出してみると、
エジプトーカイロ、エチオピアーアディスアベバ、ケニア-ナイロビ、モロッコ-カサブランカ、アルジェリアーアルジェ、チェニジアーチュニス、南アフリカ-ヨハネスバーグ
首都は思いつかないけど、ソマリア、スーダン、ナイジェリア、ペナン、ルワンダ、コンゴ、あかん、思いつかないのであいうえお出し(頭の中であから順番に考えていくこと、海音の造語)しよう。イエメンって中東になるかな?ウガンダ、カーサミアってあったような(笑)、赤道ギニア、タンザニアってあったよな。もしかして南米?モーリタニアってあったような、マダガスカル、セイシェル、・・・もう出ない・・・。早速、答え合わせで検索してみよう!

 アルジェはあっている。ウガンダの首都はカンパラ、エチオピアとエジプトあってる。ガーナーアクラ思いつかなかったなぁ、チョコレートなのに。ジンバブエ-ハラレも、リビアートリポリ、リベリアーモンロビア、セネガルーダカール、ボツワナーハボローネ、カメルーンーヤウンデ、コートジボワールーコナスクロ、マリーバマコ、モザンピーク-マプート、ジブチージブチ、スワジランドームババーネ、マラウイ-リロングウェ、チャド-ンジャメナ、トーゴーロメ、ナミビアーウィトフック、ニジェールーエアメ、ブルンジーブジュンブラ、よく聞くのに思いつかなかった。コンゴは、コンゴ民主共和国で、首都はキンシャサって、キンシャサ通信ってよく聞くのにコンゴだと思っていなかった。あー、コンゴ共和国ってのもある、首都はブラザビル。モーリタニアの首都はヌアクショット、スーダンはハルトゥーム、ペナン-ポルトノボ、ソマリアーモガデッシュ、タンダニア-ダル・エス・サラーム、セイシェルはヴィクトリア、マダガスカルーアンタナナリヴォって言うんだね。この二つはには行ってみたいんだよ。きゃー、南アフリカは首都プレトリアって言うのね。ははは。モロッコもラバトって言うんだ(笑)。ルワンダーキガリって映画で出てたのに、タンザニアはダルレスサラーム、っていうんだね。チェニジアじゃなくってチュニジアだった(笑)首都はあってるのに(笑)。カーボベルデとサントメ・プリンシベって面白い名前だから知っていたのに、首都はブライアとサン・トメ。赤道ギニアは首都マラボ。ザンビアールサカ、シェラレオネ-フリータウンは以前アメリカのHPの登録でシエラレオネと間違って入れてしまったのに・・・忘れていた。全然知らなかったのは、中央アフリカ-バンギ、ガンビアーバンジェール、ブルキナファソーワガドゥク、エリトリアーアスマラ、ガボンーリーブルビル、レソト-マセル、コロモ-モロニ、ギニア-コナクリ、ギニアピサウ-ピサウ、ギニアっていっぱいあるんだなぁ。

 まとめてかきゃよかった。いっぱいでわけ分かんなくなっている。イエメンって、中東だった。カーサミアって、INAXの外壁の安物タイルじゃん。それで名前が出てきたんだね。なんか、聞いたことがある名前が多いなぁ。世界のニュースをあまりしてくれない日本なのに意外と私如きでも聞いたことがあるんだ。覚えようと書いてみたけれど、覚えられないよなぁ。うーん。

 地図を頭に入れてみよう、それの方が覚えやすいかも。地図検索したら、他にも国がいっぱいあった、ははは。
 まずは、北から覚えよう。スペインの南にあるのが、カサブランカの映画で有名なモロッコ、ここは首都はラバトだった。その東というか右横にアルジェリア、ここはマレーネ・デードリッヒの外人部隊の舞台になった所で首都はアルジェ、その右、地中海沿いに行くとチュニジアーチュニス、青い空と白い家で一度は言ってみたいところだ。その隣がリビア-トリポリ、テロ支援国家だったし、カダフィ大佐の所だよね。なんとか渓谷がテロ養成所になっているっちゅう、ちょっと、検索してみよう。
 なんか、これ思い出した。

阪神淡路大震災が起きた際にはカダフィは「経済力で悪魔に奉仕してきた日本人に天罰がくだった」と国営ジャマヒリア通信を通じて声明を出した。

ベカー渓谷だ、でもレバノンだった。その隣がエジプト、エジプトの南側がスーダンーハルトゥームで今でも難民キャンプがあるはず、エジプトに行ったときに、エジプトにスーダンの難民が流れていたのを聞いていたはず。で、約束の旅路のエチオピア-アディスアベバがスーダンの南側にある。その北側に、エリトリアーアスマラに、ジブチ-ジブチ、エリトリアはエチオピアから独立したんだね。エチオピアや紅海を挟んだイエメンとも国境紛争を起こしていたんだ。天然ガスが取れるもんなぁ。小さいジブチはなんで独立しているんだと思ったら、やっぱりスエズ運河関連でこの辺りが色んな国の植民地になっているんだ。ジブチはフランスで、エリトリアはイタリア。ソロモン王とシバの女王の子孫が継いだアクスム王国の時に栄えたのは紅海側の都市だったから、エチオピアと独立するぐらいの力があったのだなぁ。で、エチオピアの隣、ジブチの南側にあるのが有名なソマリアーモガデッシュ。私の頭で有名になっているのは内乱のイメージなので、他を探してみよう。そうそう、アフリカの角って言われているんだよなぁ。ここは英国の植民地だったところに、社会主義がやってきて、イスラム原理主義がやってきているから、今も正式国名がないようだ。去年の失敗国家ランキングで7位って載っていたので、検索してみると、米国の政局雑誌「外交政策(Foreign Policy)」は、NGOの1つである平和基金会(the Fund for Peace)が編集した2007年破綻国家ランキング(Failed States Index)ってニュース記事を見つけて、向こうのサイトで探したら、ありましたよん。
http://www.foreignpolicy.com/story/cms.php?story_id=3865&page=7
Fsrankings0707 これによると、
1位 スーダン
2位 イラク
3位 ソマリア
4位 ジンバブエ
5位 チャド
6位 コートジボワール
7位 コンゴ民主共和国
8位 アフガニスタン
9位 ギニア
10位 中央アフリカ共和国となっている。殆ど、アフリカだ。分かっていても、厳しいなぁ。
 スーダンの西隣がチャドーンジャメナ、サハラ砂漠とサバナ地帯が半分ずつになっている。ドイツの世界各国の汚職を監視しているNGOの発表では最下位になっている。ウランと油田がある。ニジェールーニアメはチャドの西隣。3分の2が砂漠地帯だが、ウランの埋蔵量が世界第3位らしい。チャドと一緒でフランスの植民地から軍事政権へ、学生デモなどがここ10年の間に起こっているようだ。でも、ウランのおかげで経済支援の方向が見え先が明るい。マリ-バマコ、ガーナ王国、マリ帝国、ソンガイ王国をへて、フランスの植民地になり、軍事政権が長く続いたが、今では民主化されている。ニジェール川沿い以外は乾燥地帯だが、リンやウランの資源が豊富で、ウランは日本が独占契約をしているらしい。サリフ・ケイタというミュージシャンが世界的に有名だそうだ。
http://salifkeita.artistes.universalmusic.fr/
 モーリタニア-ヌアクショットは、サハラの交易ルートの隊商都市シンゲッティウアダンウアラタなどが世界遺産になっている。ベルベル人とかムーア人とかよく聞くけどこの辺りの人のことなのだ。1980年に奴隷制が廃止されΣ(゚Д゚;o)、まだ2003年の人身売買が禁止されているってことは、カカオ農場の働き手ってことかなぁ。
 モーリタニアの北西になるのが西サハラ-アイウン。ここはスペインが植民地としていて、撤退後はモロッコとモーリタニアが分割統治。ポリサリオ戦線が独立を目指し、モーリタニアとモロッコとの境界線紛争を起こしている。モーリタニアは無血クーデターが成功したが、モロッコとはまだ続いているようで、アフリカ連合(AU)に西サハラが加盟するからと、モロッコは脱退している程だ。
 ぎゃー、長くなってしまった。次回、この続きを書く気が起こったら、書きますので・・・。

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June 22, 2007

約束の旅路 -多くの苦労を抱いて人は完成されていくんですね

何になりたいんだろう

 本題Va,vis et deviensというのは、Go,screw and becomeと英語では訳せるのだが、単語の意味は分かってもどんな意味合いがあるんだろう。邦題は、約束の大地の方が映画のイメージには合うなぁと思う。そんな映画があって思いついたかな?検索すると、キングダム・オブ・アークという映画の第二章がその題名になっている。初めて知った作品だが、この映画とも関係が深いモーゼの旅立ちを描いている作品だった。
 この映画の話は、旧約聖書の歴史から知っていくことになる。私は聖書は読んだことがあるのだが記憶力に自信がない。イスラエルの知恵の王ソロモンがシバの女王と関係を持ち、その子が神と結託して父親から契約の箱を盗んだためにエチオピアのアクスムが聖都とを言われるようになった。だから、エチオピアの人達は、ソロモン王とシバの女王の子孫だという。
 この国は、植民地になっていたり、社会主義の台頭や飢餓が襲ってきたり、周辺諸国も内乱が続いている関係もあり、国が荒れ、多くの難民がスーダンに流れ込んでいる。そんな政治的にも大変なときに、まだユダヤ人として迫害を受けていたファラシャと呼ばれる人達がいたために、モーセ作戦と言う名で1984年から1985年の間に、スーダンまで脱出させてから空輸でイスラエルまで移送する作戦が行われた。1991年にも残されたファラシャを救うためにソロモン作戦も行われている。
 主人公は当時9歳の男の子。スーダンの難民キャンプまで移動中に家族が次々に死亡していき、そんな中移送作戦を知った母は無理矢理彼をその列に潜り込ませる。その日息子を亡くしたファラシャの女性が手を握りしめ、息子は助かった死んでいないと彼を連れてイスラエルの地へ。ファラシャでなければエチオピアに送り帰されるために、ファラシャの女性の家族の名をを覚え込まされてこの地に止まることが出来たが、その彼女も病気で亡くなる。施設に預けられるのだが母の元に帰りたい彼は騒動を起こし、養子に出されることになった。フランス系のユダヤ人家族で、新しく姉と弟が増えることになる。家族は温かく迎えた結果、彼の気持ちがだんだん癒されるようになった。
 彼を通して、残してきた母が住むスーダンの難民キャンプ、ユダヤ人と言ってもタルムートではなく、イスラム教でも使われているモーセの五書が聖典であったために、ラビ達からはファラシャはユダヤ人ではないと排斥されたり、イスラエルに住むユダヤ人の多くが白人であったため、黒人差別もあり、多くの悲しい出来事が彼を取り巻いていた。その中でも、自分は嘘をついてイスラエルに来ていると言うことと残してきた母への思いが彼の重荷になっていた。また、イスラエル・パレスチナ問題でインティファーダが起こり少年期にそれを目の当たりにしている。どこにいても自己防衛が必要な民族というのをこの映画を通して肌で感じられた。
 この少年の大人になる迄の生き様を淡々と描いている。最初は子供らしい感情があまりにも憐れであったが、だんだん生きていく術を見つけ、彼の言葉ではなく前向きな生き様が彼のつらさを表現していた。
 主人公の少年の義母を演じた女優はイスラエルで有名な人らしい。主人公は3人代わり最後の大人の彼を演じた俳優は、ソロモン作戦でイスラエルに来た少年だったそうだ。
 イスラエルを扱った作品は多いが意外とこういう作品の方が国内のことやユダヤ教のしきたりが分かりやすいかもしれない。
 上のセリフは、アダムとイブのアダムのことを言っているのだけれど、自分のことでもあるという場面で、彼の心情の表現の演出がうまいなぁと思いました。

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約束の旅路 公式サイト

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June 20, 2007

ゾディアック -これはアメリカの警察がだめだめって映画か!?

 この映画は、1960年代後半から70年代までに起こった実際の殺人事件を忠実に描いた作品です。この犯罪の特長は、犯罪者自ら報道機関に犯行声明を送ったり、暗号を送りつけたりした快楽殺人者ということです。
 この名前は一時期酒○薔薇事件の時に話題になり、ゾディアックの事件に模した犯行に多くの類似点が見られ、マスコミに大きく取り上げました。神戸の事件との類似性は、この犯行の露出狂的なところで、犯罪史上凶悪な未解決事件として、多くの人々に興味を持たれることとなりました。
 この映画は、事件後上梓することとなったロバート・グレイスミスと、同じ新聞社に勤めていた敏腕記者のポール・エイブリー、担当刑事だったデーブ・トースキーを中心に物語をすすめていきます。新聞社で風刺漫画を担当していたグレイスミスが本にするまでの思い入れが描かれ、この魅力に虜になった男たちの人生が何十年にもわたって関わる意味合いを見せつけてくれました。この事件が行われているときに、この事件がモデルかと思われる映画が上映され、その「ダーティハリー」の映画もシーンとして出てきます。

 事件自体は、他のシリアルキラーと比べたら、異常性が少なく、カップルを狙った殺人の割に男性が生き残っていたりと、女性に対する怨恨から派生した事件で、目撃者がいることから、早期に解決出来ていると、再犯は無かったかもしれないと考えたりもする。実際にあった事件の捜査のずさんさを多く描いていて、当時の捜査方法がお粗末なのか、アメリカの捜査がお粗末なのか、あまりにも腹が立つ。また、主人公のグレイスミスもシリアルキラーと知りながら、家族の危険を顧みない姿に、腹立たしさを覚えた。あほかぁ~!!!!と、思ってしまう。

ゾディアック 公式サイト

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June 11, 2007

300 -作品の面白さはどうあれ、芸術品だとは思う。

 紀元前480年8月に起こったテルモピュライの闘いを映画化したものだ。この当時、ペルシア戦争が50年間にわたって行われている。王位を継いだクセルクセス1世は遠征に気が乗らなかったが、焚きつけられてエジプトを平定しギリシャへの侵攻した。この時の大群は、5000万を超えるものと言われているが、実際にそれほどの数を維持出来ないだろうからと、6万から20万と言われている。ヘロドトスの「歴史」が唯一、ペルシア戦争の事を書いているために、他に検証しようもないから、あり得ない事項もそのままとなっている。松本人志説のUFO=未来人飛来説ならば、多くの未来の歴史家がこのペルシャ戦争を見に行っていることだろう。
 迎え撃つギリシャ側は、6000人、大群を前にして、スパルタの王レオニダスは、他の兵士を退陣させ、カルネイア祭で少数しか出ることが出来なかったスパルタ兵300人でこの砦を3日間守って時間稼ぎをした。内通者により迂回路がばれてしまい、王と兵は全滅することとなった。しかしそのおかげで、準備が出来たギリシャ側は、ペルシャ軍を迎え撃つことが出来たのだ。彼ら、300人と王は英雄である。
 このスパルタは、戦乱の世だったために、生まれたときに自分一人で生きていけないものは殺され、7歳で親から離され共同生活し、12歳であらゆる訓練を行い、18歳で認められて成人し軍隊の共同生活となる。女性も肉体的な訓練を必須とし、15歳になると30歳ぐらいの男子と結婚するが、戦死することが多いので、兄弟で一人の妻ということが多かったらしい。結婚をしても男子は共同宿舎で寝泊まりする生活になる。王は2名並立しており、60歳以上になると兵役を免除されるので、その中から選出された28名と2人の王の30名で議会が行われる。司法権は、30歳以上の男子が毎年5名選ばれ、王と市民を監督する権利をもつ。軍以外の仕事はすべて奴隷が行っていた。女性の地位も高かったようで、レオニダス王の妻ゴルゴーは、前王の娘で賢者にして賢妻であったと伝えられている。このような管理下がしかれたスパルタも、この戦争では滅びることはなかったのに、それ以降、外国人が移入してくることで貧富のさが出来、崩壊することとなった。この時代徹底した軍事態勢でないとやっていけなかったと思うが、身体に支障があるものを殺してしまう制度は、自分の身が守れないとはいえ、現在に生きる私にはつらい話だ。
 300名が1日で1万人を斃し、3日間大群を足止めさせたのは、ギリシャで確立された戦法ファランクスが一躍を担っている。それはこの映画を観たらすぐに分かって貰えるのだが、左腕で円形の大楯を持ち体を隠し、右側を右の人の楯の中に体を隠し、年配者を前列と後列にしき、弱い左側を強いものが守り、楯の上から槍をはなち、前列が倒れたら、次列が進んでいくといった戦法で、衝突の時に力を発揮した。テルモピュライは、山と海に阻まれた細い街道で、この闘いに向いたものだったのだ。

 思いっきり、歴史を熱く語ってしまいましたが、史実にうまく話をまとめて、歴史をあまり知らない人にも楽しめるような作品に仕上げている。この作品は、今まで数ある歴史大作と比べて、血なまぐさい歴史が芸術品のように作り上げられているのだ。ストップモーションの多様と、死体や血がセピア色の画面でリアルで無くなっているために、恐ろしい数の気持ち悪さを感じることが全くなかったのだ。ペルシャ軍の驚異を描くために加えられた滅ぼされた村やその象徴となった木も逆光にして観客に重たいものを感じさせなかった。戦争は確かに酷いことだが、この時代の侵略戦争は当たり前で、血なんかを描いていたら、話の方向が本来描きたかったものを湾曲させていただろうから、本当に素晴らしい演出だと思う。この作品を観て、紀元前の世界をまた興味持ったのは言うまでもないことだ。といっても、作品的には英雄譚の話なので、すっごい感動したってのではない。兎に角、どこか芸術品なのか味わってくれ。チャン・イーモウ監督とは違う闘いの美学を映像化している思う。
Gerard_butler_04 主役を演じたジェラルド・バトラー他、有名な俳優は出ていないが、兜を被ると誰が誰か分からない程鍛え抜かれた体に、俳優達の意気込みを感じた。

300 公式サイト

*** 6/11 23:22 ***

 書くの忘れていた。デルポイの神殿に神託を受けに行くというシーンが出てくる。映画は脚色しているが、歴史として残っているのは、「王の命か、ギリシャか」と言われたようである。映画同様、パルナッソス山にアポロンの宮殿があり、神がかりになった巫女から詩を託宣される。
 この作品は、シン・シティのフランク・ミラーアートブックが原作となっている。
Gerard_butler_02 ジェラルド・バトラーって「オペラ座の怪人」の人だったんですね。がーん、こんなに印象変わるんだ。あまりにも分かっていなかったので、お詫びに写真を貼り付けた次第です。

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June 10, 2007

若冲展にゆく

下記の記事を大分前に書いて、公開するのを忘れていました。続きは何を書きたかったのか、忘れてしまいました。中途半端ですが、公開してみます(笑)

Jakuchu01 今日は、おひとりさまの京都散策です。先日、ご飯を友人達と食べに行った際に聞かれた「画家は誰が好き?」の問いに「菱田春草と伊藤若冲かなぁ」と答えた伊藤若冲の有名な動植綵絵を見に行って参りました。
 もう、めちゃくちゃ凄かったです。若冲が寄贈した相国寺での展覧会なので余計に気分が盛り上がっているのもあって、喜び勇んで出かけていったのが、そのままハイテンションで見終わって、2500円の本まで買ってしまいました。貧乏人が我を忘れるぐらいよかったです。第一会場と第2とが分かれていて、動植綵絵は第二会場にあります。凄い人だったので、見に行かれる方は、体力温存して第二会場に向かって下さい。明日行く予定だというS姉妹にはそのようにメールしました。10時開場だったのでその時間に行ったのですが、15分待ちでした。出てきたときには、12時前になっていたのですが、30分待ちになっていました。土曜日ならそれぐらいの混雑のようです。
 その後、どこに行きたいというのもなく、夜は荒野の七人に行く予定だったので、京都に長いが出来ないので、とりあえず、相国寺周辺の食べるところを本で探し、京都御所の西側にあるお店に行って参りました。

Kurikuma05_1Kurikuma01Kurikuma02
Kurikuma03 相国寺から烏丸通を南下、烏丸下長者町の交差点を西に歩いていくとある九里九馬です。昔ながらの外観で喫茶店をされていて、ランチも800円からあるようです。私が食べたのは850円です。味は悪くはなかったですよ。珈琲を飲まなかったのが残念です。


 そこから歩いて。室町通を南下することにしました。

Img_0008Img_0009Img_0012
 勝手に外観を撮らせて頂いていますが、この通りはお金持ちが多いのか、大きなお家が多く、ちょっとお金をかけた昔の家が見られます。学校は平安女学院です。そこから、丸太町通を東に、

 さて、このあと、私はどこを回ったでしょう?

 答えは、
 寺町通りを南下、その日は御霊神社のお祭りあり、通りに屋台が並んでいました。そのまま、商店街に入り、錦市場を今度は西に、烏丸通りを渡って、小学校跡地の芸術センター内でお茶しました。
 頭に、京都の地図が入っている人、分かりましたか?

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April 01, 2007

長州ファイブ ~長州藩士はかっこいい!何のために生きているのかを知っている。

丈夫(ますらを)の 恥を忍びて行く旅は 皇御国(すめらみくに)の為とこそ知れ

 伊藤博文が英国に旅立つ際にうたったものです。映画には出てきません。
 工学学校や聾唖学校を創った、うぃきにさえ載っていない隠れた英雄山尾庸三を中心に、百姓の子として生まれながら初代内閣総理大臣になった伊藤博文、外務大臣など伊藤博文の内閣を支えた井上馨、日本の鉄道の父と言われ、小岩井の創設者でもある井上勝、大阪造幣局の局長となり、その際桜の通り抜けを指示したことで有名な遠藤謹助らが、幕末の時代に生きて帰られるか分からない海外に行き、長州ファイブと呼ばれるように、「生きた器械」となって、帰国後日本に貢献していった話です。
 松蔭がアメリカの船に密航して見つかり処刑されてから数年経ち、今だ禁制で出ていくことは出来なかったため、見つかれば死刑であること、また1年間の滞在費には一人千両が必要だったこと、洋行するために、武士としては恥ずべき、断髪や洋服を着ることなど、それら今で計り知れない試練に耐えて英国に渡った5人。映画では、同じ船で渡航していますが、井上馨と伊藤はふたりで、残りは3人で別の船で旅立ちました。
 着いてからは、産業革命の真っ直中にいる英国を観るだけで、日本が諸外国を敵に回して勝てるわけがないことを悟ります。上記の二人は、長州がイギリスの船に砲撃を行ったことで先に帰って、自分の藩を戒め、この現実を伝えるということで帰国します。映画では描かれていませんが、日本に戻った二人は、早速、英国に藩を説き伏せるから待って欲しいという交渉をし、彼らを認めた英国軍は、わざわざ長州まで船に乗せて送ります。ただ、いくら二人が英国の現実を伝えても信じて貰えず、説得出来ずに終わっていますが、彼らが日本で英国軍に説いたこと、また映画では出てきませんでしたが、英国に残った者たちも働きかけていたおかげで、英国軍は方向転換をする考えが出来てきました。遠藤も病のために早期帰国し、井上は鉄道、山尾は船を勉強するために5年間を費やします。5人が旅立って半年もしないうちに、幕府の許可で薩摩の藩士が英国に留学し、彼らと出会います。この英国の現状を見たら、長州や薩摩と言っているわけにはいけないことをお互い悟り、山尾がグラスゴーに造船の勉強に行く資金がないのを薩摩の藩士がお金を集めて彼に渡している。映画では手持ちの金だけになっているが、100万を集めて彼に渡している。グラスゴーで造船会社で働きながら、設計等の勉強をし、その時工場で知り合った女性との縁で、聾唖学校の必要性を感じたために、彼は日本で創設している。
 幕末好きでも、伊藤や井上馨のような有名な志士の名は知っていても、他の人物は全然知らなかった。この映画の中で語られているように、文明が発達すれば自ずと社会も発展していくと、これからの日本にとって必要なものを学んでいきます。
 歴史の勉強になる映画でした。きっと、幕末に興味がない人が見たら、全然面白くない映画になったかもしれませんが、幕末好きなら、その時代にいたときは絶対志士だ!と思っているはずだから、この映画を熱く感じ取ったのではないでしょうか。兎に角、長州藩士はあつい!藩の風習や、松蔭が開いた松下村塾の影響かもしれませんが、ものを見る目が一点の曇りもない先の方で、確実に歩いていくように見えます。憂国を感じ取る人達が多く、明治政府に長州藩士が多くなっても仕方なかったのだろうと思わせます。
 私みたいに、幕末と言ったら、闘いに明け暮れ、死ぬことでお国が変わると思っているような人達だけ見ていましたが、彼らのような人達がいたこと、日本人として誇りに感じます・ロンドン大学に彼らと薩摩藩士の名が書かれた碑があるそうです。渡英したときには見に行きたいと思いました。
 この映画の主人公山尾役を松田龍平、井上勝を山下徹大が演じている。ここでも違う姿の松田に会うことが出来、いつもながらかっこいい佇まいに惚れてしまいました。なんで、あんなにクールに山尾を演じられるんだろう。私は最近、山下徹大を大森南朗と間違えるようになってしまっている。よく見たら顔が違っているのにね。

敬称略

公式サイト
今年二月より漫画連載が開始されています。
長州ファイブの実際の活動
ロケ地巡り

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われわれはあしたのジョーである

 BSで行われていたあしたのジョー祭りが終わった。残念ながら、殆ど参加出来ず、アニメ夜話などのスペシャルのみ録画をして、色んな人のコメントを聞くだけで終わった。再放送組なので何度も何度も放映していたものを見た記憶はあるのだが、バビル二世やデビルマンを思い出せるかと言っても思い出せないわけで、同じ様に思い出すことは出来ない。ただ、一般的に知られている内容と、ホセ・メンドゥーサ戦の原作⑲と⑳を持っているから、学生の頃は、ラストシーンを読んでよく泣いていた。馬鹿な私は、あしたのジョー死なないでと、最終巻の最後のページに生きているあしたのジョーのリングで座った姿を書いている。アニメ好きは小学生の時からで、アニメージュを購入していたからあしたのジョーのラストシーンのポスターも大事に今でもとっている。・・・でも、詳しく覚えていないのだ(笑)。
 ETV特集と始まったときのんとアニメ夜話を観たのですが、あ~全部観たかったなぁと改めて思いました。

 タイトルに書いたのはよど号事件の犯人達の声明文の言葉である。よど号って何?って、殆どの人は知らなくなってしまった。もちろん私だって知らない。ただ、今定年を迎えつつある戦後しか知らない団塊の世代人達の青春の一部だったことは間違いないだろう。あしたのジョーが世に出たのは、1967年12月15日、1945年8月15日に戦争が終わってから、21年と4ヶ月。その間に生まれた20代から小学生までがオンタイムであしたのジョーと共に、高度経済成長を、大学紛争を、日米安保を、日本赤軍を見てきたことになる。この頃アメリカでもキング牧師暗殺やベトナム戦争があり、懐疑的な世界が混沌と広がっていたのか、或いは分かりやすい方向性が生まれていたのか。1970年3月24日に寺山修司が力石徹のお葬式を行い、その月の31日によど号ハイジャック事件があり、この声明だ。この時、丈は”あした”を亡くしてしまっていたのだ。彼らのジョーは”あした”を無くしていたんだろうか?

 興味深かったのは、偶然が必然になった事実である。原作者の梶原一輝は、ちばてつやが原作を変えてもいいか言う最初の約束に「手塚治虫とちばてつやなら仕方がない」と答えており、最初の頁からちばてつやは変えてきていて、もちろんラストも梶原一輝の「白木邸で余生をおくる」案が却下され、あの伝説のラストシーンが出来ている。だから、ちばてつやと梶原はお互い意図をあまり語り合っていなかった為に、梶原はちばが描いた少年院にいたニヒルな少年をライバルに使おうとストーリーを作り始め、ボクシングをあまり分かっていなかったちばが、梶原が当然分かっていることと思って指示していなかったライバルを頭一つ上に描き上げてしまった。その為に彼らは同じリングに上がることが出来ないライバルになってしまったのだ。しかし、主人公とライバルはお互いの存在が必要不可欠の世界に繰り広げていき、力石が減量と言うことになって死に向かっていくのだ。今の私達が考えたら、力石は自分の階級で成功を収めているのだから、何も減量して戦わないと行けない程の相手ではないのだ。たしか、二階級落とさないとバンタム級にはなれなかったはずだ。普通でも充分必要な筋肉だけで戦っているので脂肪などはないはず、その大事な筋肉を落としてまで力石が戦わないと行けなかった相手であった丈もまた、力石にとっての”あした”なのか、そう言えば番組で白木葉子の存在も要因だったと言っていた。あのコップの水を流すシーン、白木葉子が涙を流したから、我に返り、彼女のために・・という理論もある。
 なんというか、今書いているこういう事をまことしやかにコメンテーターは語るのだよ。昔から、漫画やアニメの評論は好きで見たり聞いたりしているのだが、こんなに深く、また実際にいたんではないかと思わせる程の影響力が、普通の漫画やアニメとは全然違うのだ。聞いている方は、実際活躍したボクサーの話を熱く語られているようなのだ。実際、丈のような戦法をとっていたたこ八郎がモデルと言われたり、その当時有名だったファイティング原田をモデルに力石は創られている。二次元の姿ではあるけれど、実際いたボクサーに近いところに存在し、彼らの内情をも見せて貰っているということなのだ。
 アニメ夜話で、痩せた岡田さんが「長いこと”あした”が何か分からなかったけれど、やっと分かった。あしたのジョーは、我々の明日がジョーであるということなのだ。」と言っていた。この言葉、この答え、私が待っていたものです。高度成長の中で鍛え上げられた人達は、親の愛情を充分受け、幸せな青春を謳歌している中、丈は家族も親も行く場所も何もない、全く何にもない、そんな中で「オレに残されているのは自由だけなんだ。」といっている。何にもないところから這い上がり、人を奮い立たせ、感動させている。その姿が、その当時の若者にも今の若者にも無い”あした”だったのかもしれません。
 また、お互いの存在を求め合うことで、丈と力石は死すらも越えていく。そんな失った人間的な姿にも理想的なものをみいだしてしまうのです。 丈がほほえんだラストは、力石が丈と戦うときにほほえんでいた姿と同じ。何かを越えた二人の姿は、自分たちでは手に入れられないものなのに、憧れてしまいます。
 ちばさんが死んでいるか生きているかのラストにはっきりした答えを出していません。以前どこかの番組で生きていると言っておられたそうですが、丈にとっては、生きていたとしても、真っ白な灰になって、”生きた”という実感が得られたので、生き終わったということなのだと思います。力石にしてもあの対戦が、丈と同じ気持ちだったからなのだと考えるからです。素晴らしい精神性のドラマです。主人公丈の生き様に惹かれた人達は彼と関わることで人生が変わっていきます。彼らの私達の丈だったからです。ほんと、国生さんの「愛のドラマ」も、片岡鶴太郎さんの「丹下段平になりたい」というのも、そのことを表していると思います。
 あと、アニメの演出よかったです。音楽も、崎枕というのは出崎さんの事だったんですね。岡田さんのあしたのジョーのオープニング解説は凄かったです。「あしたのジョーはミュージカルだ!」は面白かった。
 あー、もう一回やらないかなぁ~。

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March 27, 2007

反●マンガ

 反日マンガの世界という本が平積みされていた。
 雑学で有名になった唐沢さんが記事を書いていたりして、マンガ読みにも面白い内容になっていた。
 6カ国協議で、北朝鮮と同じような姿勢になってきた他の4カ国を相手に、日本は戦時の際の言動をどのように持っていくのでしょうか。侵略したものはどうしても批判されますから、まだ戦後60年を過ぎたぐらいでは、まだまだ続いていくでしょうと言わざるを得ません。

 そっか、「美味しんぼ」は反日マンガだったのですね。まぁ、反日というのをどうとらえるかによるかもしれませんが、ここでは原作者の雁屋 哲さんの政治的姿勢がそのようにさせているように書かれていました。一番最初に取り上げられているぐらいなので、相当有名なのですね。アニメでは1.2回程見たことはあるのですが、そのような感じなのはその回数だけでは伺えないですものね。その本では、浦沢さんの「Masterキートン」が絶版になっているのも、関係者でもない雁屋さんの物言いが付いたと言うことらしいです。
 「はだしのゲン」も上がっていました。
 上記2冊とも読んでいないので、コメントの書きようがないのですが、この本に取り上げられていた山上たつひこさんの「光る風」は私の子供の頃の愛読書でした(笑)。小学生が読むべきものではないような気がしますが、小学生でもこの漫画で表しているものは何かが分かる作品でした。何となく、私が手塚作品で一番好きな「MW」にも通じるものがありますが、こちらは政治的プロパガンダががんがん響いているような作品なんで、手塚作品の映画的なドラマチックさとは異なります。
 ストーリーを要約すると、主人公が偶然知ることとなったのは、孤島で行われていた細菌兵器の存在とその兵器のために畸形となって生まれた人達を人知れず政府が隠していると言うことでした。そこから、何も知らなかった日本の社会とは何かと言うことを主人公は苦悩し、軍事大国化していく日本と四肢を失った優秀な兄の存在にだんだん精神の崩壊をさせていくという話です。大分前に読んだっきりなので、あっているかなぁ?
 「がきデカ」で有名な山上さんだけれど、珠玉の作品を多く残されています。彼のイメージががきデカで象徴されてしまっているので、あまり知られていなかったとしても仕方がないことかもしれません。

 先日、ETV特集で「あしたのジョー」の時代を討論されていました。今の60歳未満が戦後の誕生で、団塊の世代と言われるベビーブーマー。彼らの人口の多さが社会を変えてきているのは事実で、戦争のために失った「日本」を独自の形で支えだしたのも、この人達が社会に出てからで、まだ戦前の踏襲と民主教育の中庸をうまく渡ってきた世代の人達が生み出したのは、敗戦国日本の立て替えと戦前の踏襲の批判、そして、守ることが出来なかった家族の形を守らない姿で今に伝えて、多くのニートの子供達を抱える世代となっていきました。
 いつものように面白いなぁとまとめることが出来ない多様性が、今なお続く自国批判の源泉かもしれないとも思えます。
 ETV特集で言っておりました。何かのエネルギーの発散、それが学生運動にかき立て、何かを求めているだけで、思想的なものがないと、この何かが多様性の1部、自国批判だったのでしょうか。一要因として必要不可欠なものでもあったのでしょう。あしたのジョーの力石が死んだように、仮想敵が見えなくなってきた彼らの世代が必要としたのかもしれません。

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March 19, 2007

NHK情報 BSアニメ夜話っするよ、7月からスタートレックだって

 最近、勿体ないことしているので、ちょっと検索して情報を得る。これらの殆どは観られないかもしれませんが、ここに来る方々の好みにも合っているかなと思うので、やっぱり、載せちゃいます。


●今日は1日「吹奏楽」 三昧
3月21日
第1部(13:00~16:00)
ゲスト:佐渡裕(さど・ゆたか:指揮者)
=再生予定曲目=
♪ メダリオン
♪ 素晴らしきヒコーキ野郎
♪ 高度な技術への指標
♪ 国民の象徴
♪ アフリカンシンフォニー
♪ 2つの交響的断章
♪ 組曲「ハーリ・ヤーノシュ」から
♪ アルメニアン・ダンス パート1 など
第2部(16:00~17:20)
リスナーのみなさんからいただいたリクエストにお応えします。
★インターネット http://www.nhk.or.jp/zanmai/ (リクエストフォームにて受付中)
★ファックス    3月21日のみ 12:00~18:00受付
第3部(17:20~18:50)
【ああ、懐かしの吹奏楽】
=曲順=
♪1 バンドロジー(作曲:オスターリング)
♪2 砂丘の曙(作曲:上岡洋一)
♪3 ポップス描写曲「メインストリートで」(作曲:岩井直溥)
♪4 吹奏楽のためのカプリス<2005年改訂版>(作曲:保科 洋)
♪5 プレリュードとダンス(作曲:クレストン)
♪6 ドラマティコ(作曲:マクベス)
♪7 第2組曲(作曲:ジェイガー)
♪8 ザ・シンフォニアンズ(作曲:ウィリアムズ)
指揮:渡邊一正(わたなべ・かずまさ) 演奏:東京フィルハーモニー交響楽団管打楽器セクション
=2007年3月4日 NHK 509スタジオにて収録=
第4部(19:20~21:30)
【栄光のギャルド、幻の名演奏!】
♪1 序曲「ローマの謝肉祭」(作曲:ベルリオーズ)
♪2 ハンガリー狂詩曲第2番(作曲:リスト)
♪3 大空(作曲:須磨洋朔)
♪4 交響詩「はげ山の一夜」(作曲:ムソルグスキー)
♪5 交響詩「ローマの松」(作曲:レスピーギ)
♪6 「アルルの女」組曲 第2番から
「田園曲」「間奏曲」「ファランドール」(作曲:ビゼー)
♪7 ボレロ(作曲:ラヴェル)
♪8 歌劇「ウィリアム・テル」序曲(作曲:ロッシーニ)
指揮:フランソワ・ジュリアン・ブラン少佐(1,2,5,6,7,8) 須磨洋朔(3,4)
演奏:ギャルド・レプュブリケーヌ吹奏楽団
=1961年11月11日(土) 東京文化会館での実況収録=
第5部(21:30~22:45)
【リクエスト~現在吹奏楽事情】
第6部(23:00~25:00)
【バンドを始めよう!】
ゲスト:MALTA(Sax.:まるた)
=再生予定曲目=
♪ スピニング・ホイール <ブラッド、スエット&ティアーズ>
♪ セプテンバー <アース・ウィンド&ファイアー>
♪ バードランド <メイナード・ファーガソン楽団>  などを予定

●20世紀の名住宅物語
「空間のときめき ルイス・バラガン ~バラガン自邸~」
4月2日(月)午後11時~11時25分
「曲線のまどろみ オスカー・ニーマイヤー ~ニーマイヤー自邸~」
4月3日(火)午後11時~11時25分
「反骨のスピリット チャールズ・ムーア ~シーランチ~」
4月4日(水)午後11時~11時25分
「丘の上のデザイアー 

●COOL JAPAN~発掘!かっこいいニッポン~
毎週水曜 午後7時~ BShi
毎週日曜 午前0時10分~ BS1
【BShi】4月の放送予定(内容変更の場合があります)
4月4日(水) 「発掘!クール・オブ・クール」
4月11日(水) 「迅速 QUICK」
4月18日(水) 「日本の春 SPRING」 【BS1】4月の放送予定 (内容変更の場合があります)
4月7日(土) 「発掘!クール・オブ・クール」
4月14日(土) 「迅速 QUICK」
4月21日(土) 「日本の春 SPRING」

●膨張するネット上の“放送空間”
3月21日(水)午後10時10分~午前0時 BS1
 午後10時10分 第一部 誰もが"放送"を送れる時代
 午後11時10分 第二部 "放送スペース"をどう活かすか


●ハイビジョン特集「京都・樂家の四季~十五代 樂吉左衞門・茶室への挑戦~」
3月26日(月)午後8時~

●ハイビジョン特集「杉本家 歳中覚の日々~京の町家200年のレシピ~」
3月27日(火)午後8時~

●BSアニメ夜話スペシャル
とことん!「あしたのジョー」
3月27日(火)~30日(金)午後7時45分~午前0時
3月31日(土)午後7時45分~午前2時30分

●夢の古代文明紀行 謎の巨大遺跡50
第一部 3月31日(土)午後7時~午後10時
第二部 4月1日(日)午後7時~午後10時

●BS世界のドキュメンタリー 「カストロと革命」
フィデル・カストロ~ある革命家の人生~(前・後編) 〔WGBH American Experience 制作〕
4月1日(日)午後10時10分~午前0時 BS1

●BS世界のドキュメンタリー「私の名はフィデル・カストロ」〔Temps Noir (フランス) 制作〕 BS1
第1回 革命家誕生 4月3日(火)午前0時10分(2日深夜)
第2回 ゲバラの素顔と死 4月4日(水)午前0時10分(3日深夜)
第3回 キューバの人権 4月5日(木)午前0時10分(4日深夜)
第4回 反体制派弾圧の真相 4月6日(金)午前0時10分(5日深夜)
第5回 対米関係とキューバの未来 4月7日(土)午前0時10分(6日深夜)

●十二人の怒れる男
4月3日9時~ BS2

●シネマ堂本舗スペシャル BS2
~知って楽しむニッポン映画~
4月6日(金)午後9時~10時30分

●『ヒッチコック劇場』4月7日深夜スタート!
毎週土曜 深夜(=日曜午前)2:05~2:55/再放送:毎週水曜 午前9:00~9:50
1日2話ずつ放送

●お宝TVデラックス BS2
次回4月14日 恋愛のカタチ
「男女七人夏物語」
「タッチ」
「純愛山河 愛と誠」
「君の名は」

にっぽん力検定
4月21日(土)午後8時~(ナマ) ※BS2同時

●シリーズ 新的中国人 ~若き現地監督が撮るディープな今~ BShi
若き30代の中国人監督が、激動の時代を生きる現代中国の人々の秘められた思いを描くシリーズ。中国人監督だからこそ迫れる「中国人像」「人々の心の襞」を長期取材で描き出します。
1. 陳為軍監督「旅芸人 毛沢東に似た男」
4月23日(月)午後10時~
2. 楊茘鈵監督「首都の孤独な舞踏曲」
4月24日(火)午後10時~
3. 黎小鋒監督「農村受験戦争」
4月25日(水)午後10時~
4. 郭静&柯丁丁監督「上海シティボーイの憂鬱」
4月26日(木)午後10時~

●BS世界のドキュメンタリー 毛沢東とその時代 BS1
第1回 巨人の誕生 4月24日(火)午前0時10分~1時(23日深夜)
第2回 勝利と孤独 4月25日(水)午前0時10分~1時(24日深夜)
第3回 文化大革命 権力闘争の内幕 4月26日(木)午前0時10分~1時(25日深夜)
最終回 死、そして改革開放へ 4月27日(金)午前0時10分~1時(26日深夜)

●アニメギガ
次回は4/25 水曜日深夜 午前0時~0時39分 BS2 
カリスマ的アニメ人をロングインタビューで徹底解剖って、こんな番組やっていたなんて、知らなかった!

●ハイビジョン特集「パリ・オペラ座の弁慶」
4月28日(土)午後8時~

●衛星映画劇場 横溝正史シリーズ 5作品 一挙放送 BS2
市川 昆監督が手がけた横溝正史原作の金田一シリーズを大型連休にまとめて放送します。

犬神家の一族(1976年) 4月28日(土)午後10時~
悪魔の手毬唄(1977年) 4月30日(月)午後8時~
獄門島(1977年) 5月1日(火)午後8時~
女王蜂(1978年) 5月2日(水)午後8時~
病院坂の首縊りの家(1979年) 5月3日(木)午後8時~

●BS特集 未来への提言
 遺伝子研究者 レオナルド・ガランテ~老化を防ぎ、若さを保つメカニズム~
4月30日(月)午後10時10分~11時  BS1

●スター・トレック 宇宙大作戦』 7/7よりスタート
毎週土曜 深夜(=日曜午前)1:15~2:05/再放送:毎週木曜 午前9:00~9:50

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March 09, 2007

Wikipediaを愉しむ 2回目 ~兵庫県産

 やっぱり、F4って何?で検索が多かったです。でも、アクセス数は平均越えたぐらいでした。昔のアクセスが600とか来ていたときもあったので、平均を超えることは少なくなりました。昔からですが、TBもしに行かないしね。ブログをする人の方が読む人より多くなっているでしょうし・・・。

 まぁ、勝手にうぃきを愉しんだ記事でも書きます。

■□■□■ 兵庫県出身の有名人一覧 ■
 学者で知っていたのは、浅田彰さん柳田国男さんだけだった。柳田さんはきっと東北出身と思われがちだろうなぁ。やなぎだと読むと思っていましたが、やなぎたが正解らしい。うぃきに載っているのでは、意外と学者さんって少ないのですね。画家はね。東山魁偉さんに小磯良平さん金山平三さん横尾忠則さんと有名な方が多いですよね。私の知っている年配の方が、妹尾河童さんのように、学生の頃小磯良平さんの所に行っていたと言っておられた。笹倉哲平さんも兵庫県出身なんですね。
 作家さんも有名な方が多いんですよ。東京都知事なんかされているから、東京都出身と思われがちですが、石原兄妹は神戸市出身です。石原慎太郎さんに、車谷長吉さんって赤目四十八滝の方なんですが、最近、白州正子さんの特別番組でちょくちょく拝見します。この間のうぃき話にも書いた谷川流さん、玉岡かおるさん、陳舜臣さん、中島らもさん、この人は灘高卒で有名ですものね。トンデレラ・シンデレラのコピーをされた人だったんですね。永田萌さんは今は京都に住んでらっしゃいます。灰谷健次郎さんは中学校の先生が同級生だと灰谷さんの話をして下さいました。村上春樹さん、山田風太郎さん、横溝正史さん。
 漫画家さんは、樹なつみさんは神戸で仕事も続けておられますよね。士郎正宗さんは知らなかったなぁ。手塚治虫さんは大阪で生まれたんですよね。出身とするときに生まれたところ、育ったところどう区別付けるんだろう。出身とは・・・で検索してみましたが分かりませんでした。手塚さんは負けず嫌いが有名なので逸話が多いのですが。ご自身でも負けたと謝罪した石森さんともう一人の大友克洋さんは、手塚さんの嫉妬心にあおられながらも、ヒット作「AKIRA」を手塚さんに捧げていたんですね。西村しのぶさんは神戸市と明記されていますが、生まれも育ちも宝塚市の筈です。神戸市に住みだしたのは大学の時からなんですが、この場合は出身は宝塚とならないのでしょうか?原秀則さん、牧美也子さん、矢沢あいさんもとは知らなかったなぁ。アシスタントを使っていないんだって。横山光輝さんは有名ですけどね。ところで、昔、神戸飯店で食事していた際に、隣で食事していた母娘は誰なんだろう。っていうのを思い出しました。もうしかすると、5年前かもしれませんが、話が聞こえてきて、少女雑誌に連載している漫画家さんでのようで、台湾とかでも売れているから・・・とか話されていました。なんか、長田の辺に住まれているような風情で、食事に来られていたんですが・・・。どなたなんだろう???うぃきには載っていませんが、なかじ有紀さんとか竜巻竜次さんとかもいたよね。
 映画監督は、芦屋出身で有名な大森一樹監督とか、今の世界のクロサワと言われる黒沢清監督が神戸市出身です。
 作詞・作曲家は、詩人でもある三木露風さんとか、阿久悠さん、キダ・タローさんは懐かしいなぁ。友人が彼のCMソング集をくれました。関西人の心のふるさとソングです。彼に関しては、”やしきたかじんと桂ざこばがいつかたかじんの番組の中でジャンケンで負けたほうがキダ本人のカツラを取り上げるか、本人にカツラのことを告白するという約束をしている。(ただ、この件については常に放送上カットとなっているが。) ”らしい。これも面白いから載せておこう。
”1996年6月に「探偵!ナイトスクープ」で逆バンジーをすると約束し、関西では大きな話題になった。「なついてくれないクマのような犬がいるので仲良くしたい」という依頼があり本編に移る前に、顧問のキダが「クマのような犬」なら「チャウチャウ」に決まっていると主張した。さらに、もし違えばチャウチャウでなければ私は逆バンジーをすると言った。結果はチャウチャウではなく秋田犬であったため、局長や探偵が出演しているラジオ番組「歌って笑ってドンドコドン」、「サイキック青年団」、「こころ晴天」などで大騒ぎになった。「大阪の人はみんな見る」、「ナイトスクープの特番になる」、「とうとう秘密が明らかになる」などと上岡龍太郎、桂雀々、北野誠、桂小枝、円広志らがあおり、リスナーを巻き込んでかなりの盛り上がりを見せた。しかし、約一ヶ月後には筆頭顧問から単なる顧問に降りるとわびを入れて、この件は不問になった。その後、いつの間にか最高顧問と名乗るようになり、逆バンジーが話題に上ることもなくなった。 ”らしい。他には、三枝成彰さんでガンダムの音楽もされているらしいので、印税ががっぽりらしい。
 アナウンサーには、関西で活躍している人の方が多いと思うのですが、私が知っている人をあげると、太田良平さん、脇浜紀子さん、大橋未歩さん、瀧川クリステルさんです。アナウンサーに全然興味がないこと、よみうりテレビしか見ていないことがバレバレやなぁ~。
 その他の文化人では、マチベンや14才の母の脚本家井上由美子さん。兼高かおるさんは有名です。高田賢三さん、谷川浩司さん、内藤國雄さん、丸山和也さん、淀川長治さん。
 スポーツは、よく分からない。亀田三兄弟の父は兵庫県出身だよ。あと、上村愛子さん、植村直己さん、堀江謙一さんがいる。
 政治家は、兵庫県出身で有名な土井たか子さん、小池百合子さんがいる。
 芸能人では、まずシンガーソングライターで行くと、岡村靖幸さん、小松未歩さん、平松愛理さん、BOROさん。その他ミュージシャンでは、内田裕也さん、小曽根真さんは昔仲良くしていた人がこの人と同級生だと言っていた。久宝瑠璃子さんは昔行っていた学校の先生が親戚だと言っていた。谷吾郎さん最近ラジ関聞いてないです・・・。MihimaruGTの人と、ケツメイシの人も出身なんですね。ガガガSPやウルフルズ、花*花は有名なので知っていました。SOPHIAの人もそうだったんですね。歌手だと、桑田正博さん、菅原洋一さん、もんたよしのりさん。アイドルだと、相武紗希さん、石野真子さん、堂本光一さん、戸田恵里香さん、松浦亜弥さんは地元民でありながら姫路城に登ったことがないらしい。あと、宮地真緒さんです。
 俳優では、神戸の代表のような浅野ゆう子さん、あいはら友子さん、網浜直子さん、今井雅之さん、上野樹里さん、彼女のエピソード面白いので載せます。
”『てるてる家族』で共演した上原多香子によると「私もみんなから良く天然だといわれるんですけど、樹里ちゃんの方がすごい」という。普通に話していたら上野が真剣な顔で「ウン、ウン」としきりにうなずいていたので話を振ったら、それまでの会話を全く聞いていなかったという事がしょっちゅうだったらしい。また、秋子は原作ではマジメな優等生役だったのだが製作者が上野を面白がって煮詰まると突然マンボを踊り出す役にしてしまったそうだ。
『スウィングガールズ』撮影中も演技が上手く行かず悔しくて泣いていた上野を、しばらくして監督が慰めようしたらゲラゲラ大笑いしていたという。また、主人公が鼻をほじるシーンで女性タレントとして超えていいラインなのか悩んだ上野は、所属事務所に電話確認をし「そんなにやりたいなら好きにしなさい」と言われる。その後監督に「君はアイドルになりたいの?女優になりたいの?」と訊かれると、すかさず「コッチです!」と鼻の穴に指を突っ込んだ。同作品は音楽を演奏する役なのに、何故か光るピアノしか出来ない事を必死にアピールして逆に監督に気に入られた。 ”他に、扇千景さん、大路恵美さんは、剣客商売は彼女の方がよかった!あと、鳳蘭さん、大村昆さん、賀集利樹さん、姜暢雄さんって朝ドラで興味を持ったのですが、スタジオライフの方だったんですね。佐川満夫さんは、志村喬さん、島田順司さんははぐれ刑事純情派の印象が強いのですが、沖田総司役で伝説の人物だそうです。杉良太郎さん、鈴木杏樹さん、寿美花代さん、大地真央さん、高岡建治さんは漢字を変えられたのですね。高島忠雄さん、堤真一さんは鈴木さんとデートの際とよく神戸で見つかっていましたね。生瀬勝久さん、野村将希さん、半田健人さん、福本清三さん、藤岡琢也さん、藤原紀香、古田新太さん、マコ岩松さんは昨年お亡くなりになっていたのですね。松下奈緒さん、南果歩さん、南野陽子さん、森山未來さん、堀内正美さんは最近渡る世間に出られていますね。山本太郎さんはマルタイの女の時の革のパンツがかっこよかった。山口崇さん、由美かおるさん、渡瀬恒彦さん、渡哲也さん。
 落語家は、桂あやめさん、桂小枝さん、桂枝雀さん、桂文珍さん、桂米朝さん、笑福亭松之助さん。
 タレントでは、上沼恵美子さんは大阪と思われているだろうなぁ。他に、千堂あきほさん、濱田マリさんはもう女優の方が認知度高いですよね。松尾貴史さんのエピソード”ものまねのモデルとなった人物から、一回だけ苦情が来たことがある。ロス疑惑の三浦和義から「私のまねするんだったら、お金払いなさいよ!」と言われた。しかし、直後に三浦が逮捕されたため、払っていない。 ”のようなことがあったんですね。
 お笑いタレントは、アジアンの人と、石田靖さんは京都産業大学だったんだね。関西の30代以上の人は、京産はどんなことを示すかわかるよね。かつみさゆりのさゆりさん、島木譲治さん、陣内智則さんは視力が悪いので天然ネタがおおいから、”藤原紀香の白いブラウスにコーヒーをこぼしてしまい、タオルに水をつけてシミを取らなければならないのに、コーヒーをタオルにつけてシミを取ろうとした(○)。 ””机の上に置いてあるヤカンを人の顔だと勘違いし、1人でずっと話し掛けていた。 ””成人式に呼ばれ、ネタ披露の際に新成人が暴れだしたのに腹を立て「おまえらいくつやねん!」と怒鳴った。(○、◎) ””昔、同期のたむらけんじの猫「アル」を預かったときに、アルがズブ濡れになったので、早く乾かさないとと思い電子レンジでチンをしたことがある。その時アルはホヤホヤになったらしい(本人談) ””新年の挨拶で島田紳助にメールを送ったら、全部呼び捨てだった事に送信してから気づいた。 (去年は色々と紳助にお世話になりました。また今度、僕と紀香さんと紳助で食事に行きましょう。等) ””生来の「天然」のせいで、2丁目時代には同事務所の千原兄弟、サバンナなど先輩・後輩問わずいじられまくっていた。特に親友のケンドーコバヤシは、陣内の家に泊まりに行って、「朝起きたらメガネを台所で炒める(それを見た陣内はメガネが炒められていることではなく、「お前かってに火を使うな!」と、かってにコンロを使っていることに怒った)」「メガネをマジックで真っ黒に塗る(その眼鏡をかけて陣内が最初に言った言葉は「世界終わった!!」)」「真夏に暖房をつけて寝ている陣内が出られないように外から玄関を封鎖する」などいじられっぷりは類を見ない。 ”あー、おもろかった。レイザーラモンさん、ぜんじろうさんはアメリカに渡ってお笑いをやっていましたよね。上岡さん共々大好きだったのに、今は出てきませんね。ダウンタウンの二人はあま出身で有名だけれど、きっと大阪府にあると思われているんだろうなぁ。面白いエピソードを載せると、”おそらく芸能界一おならをするコンビで、「芸能界のワンツーヘニッシュ」や「工業団地・尼崎の公害被害が原因」などとネタにしている)。また浜田の屁の臭いは激烈で、松本によると「嗅ぐと記憶が消える(「浜田の屁を嗅ぐ度に思い出が1つずつ消えていく」)」「浜田が屁をした後に家に帰るとその時間で時計が止まってた」「生まれてから一度も日本語を喋ったことのない外国人が『クサッ』と言った」との事。”、松本さんの分では、”松本が広めたと言われる「笑えない、面白くない」意味での「寒い(サブい)」や「落胆する」意味の「ブルーになる」、自分の非を咎められキレることを意味する「逆ギレ」、痛々しい様や哀れを意味する「イタイ」、また性癖に限らず人をとSとMに分ける発想などは、今や日常レベルの日本語として定着しつつある。””尊敬する芸人は志村けん、島田紳助、大竹まこと、そして相方の浜田雅功。志村けんについては「年をとってもコントが出来るんだから凄い」「お笑い一筋で浮気をしない」、島田紳助については「引き芸だから損はしているだろうが他人を面白く見せる技術は凄い」と絶賛している。大竹まことに関しては、「あの犯罪者のような毒気、畳の上では往生できないような雰囲気は芸人として見習うべきだ」と述べた。また、自身の著書「遺書」には「ダウンタウンDX」で紳助と共演した際に「ダウンタウンに漫才では負けた」と素直に負けを認めたところが格好良い、と書かれている。また「松本」に藤山寛美を絶賛する記述も見られる。 ””THE HIGH-LOWS(元THE BLUE HEARTS)の甲本ヒロトと親交がある。滅多にテレビに出ない甲本と自身の番組中で何度も共演しており、また松本も、ハイロウズのアルバムジャケットのデザインを手がけたり、CMに出演するなどしている。ヒロトが作詞した「日曜日よりの使者」は松本のことを歌っているといわれている。 ””あだち充作の野球漫画「タッチ」もお気に入り。描かれている世代がちょうど同世代の為、わが青春を彷彿すると語る。 ””好きではないカラオケだが、付き合いで行くと必ず歌うのが、さだまさしの道化師のソネット。詩に共感を覚えると語っている。 ”あとは、ダチョウ倶楽部の上島さんと寺門さん、ちゃらんぽらんの二人、岡八郎さんは似ていないのに、父を思い起こさせる。ネプチューンの名倉さん、東野幸治さん、安田大サーカスの安田さん、山崎邦生さん、吉田ヒロさん、バッファロー吾郎の木村さん、Mr.オクレさん。
 声優さんは、あのいい声の速水奨さん、宮村優子さん、安原義人さん。
 その他、三洋電機の創始者井植さん、ウシオ電機の牛尾さん、私の好きな白州次郎さん、高田屋嘉兵衛や近松門左衛門、ダイエーの中内さん、楽天の三木谷さん、宮本武蔵に、黒田孝高、赤穂浪士。
 以外なのは、野坂昭如さんは神奈川県出身、常盤貴子さんや藤木直人さん、佐藤江梨子さんは一時期住んでいたらしい。

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March 07, 2007

Wikipediaって面白いなぁ

 昨日、ずっと見ていたら、止めることが出来なかった。一般人が書いたものだから、論文の参考資料としてはダメと言われる程度のものだが、歴史や言葉はその時の世情が作り上げるものだと思っているので、Wikipediaは今の私は肯定的に見ている。
 Wikipediaは、2001年にジミー・ウェールズによって創られたサイトです。運営を寄付で賄っている非営利団体ウィキペディア財団がフロリダにて運営しています。ジミー・ウェールズは親日家で、最初の分割時に日本語版を開設してます。

 まぁ、そんなことはどうでもいいでしょう。面白いと思うものを上げていきます。

■□■□■ 未解決事件の一覧 ■
 有名な切り裂きジャック事件は、劇場型犯罪の元祖と言われていますね。数多くの劇場型犯罪の中で唯一の未解決事件といえます。そうそう、最近ではオレオレ詐欺のような劇団型犯罪と呼ばれるものがありますね。帝銀事件など古すぎて名前だけでどんな事件か分からないものがありますが、先日稲垣君が演じた「悪魔が来たりて笛を吹く」の中で、帝銀事件が扱われていることを初めて知りました。

■□■□■ 悪魔の証明 ■
 初めて知る言葉です。ヘンペルのカラスとも言うようです。要するに、カラスは黒い。ゆえに黒くないものはカラスではないといった逆説論です。「悪魔の証明」という語は、ラテン語の probatio diabolica の日本語訳で、もともと、中世ヨーロッパの法学者が、「古代ローマ法において所有権の帰属を証明することが極めて困難であった」という学説を主張するにあたり、比喩として用いたものだそうです。

■□■□■ 瓶詰の地獄 ■
 夢野久作さんの作品で名品の誉れが高いそうです。私は、「ドグラマグラ」で、挫折しているのですから、無理かなぁ。

■□■□■ うんこ映画祭 ■
 こんな名前の映画祭を見つけたのだが、wikiにはまだ書かれていない。スカトロって事なのかもしれないが、ダメ映画って事もあるのかな?

■□■□■ 猟奇ソング ■
 韓国で作られた動揺をモチーフにしたflashアニメらしい。

■□■□■ 大衆文化における近親相姦 ■
 あかん。こんなんばっかり書いていたら、一般人は引いてしまうようなブログやと思われる。しかし、なんか、昨日、僕いもを見に行ったから、性的虐待の意味ではなく興味を持ったんだけれど・・・。まぁ、旧約聖書でソドムから逃げ出した父娘が交わるのを小学生の時から知っているんだから、まぁ普通に興味は沸くよなぁ。しかし、この聖書の話は、子孫を絶やさないために行われた行為です。有名なのは、手塚治虫さんの「奇子」とか、ワーグナーのニーベルングの指輪がありますね。わぁ、最近、ワーグナー聴いてないなぁ。近親相姦が出てくる作品の一覧

■□■□■ 賞の一覧 ■
 イグノーベル賞 (Ig Nobel Prize) は、結構日本人の受賞者がいますね。中松義郎さんまで受賞されていたんですね。暗黒星雲賞なんてあったんですね。
 
■□■□■ 出歯亀事件 ■
 でばがめとは聞いたことありますが、何の意味かよく分かりませんでした。昔の事件で、出っ歯の亀太郎が起こした事件のようなものをいうんですね。でも、冤罪を訴えていたようなんですが・・・。昔から冤罪になりやすい犯罪なのかなぁ。

■□■□■ 快楽殺人 ■
 悪魔のいけにえのレザー・フェイスに近い人物として、エド・ゲインという人がいたのですね。10代の頃読んだ本にきっと載っていたと思うが、すっかりそう言う方面は疎くなってしまいました。羊たちの沈黙のバッファロー・ビルも彼がモデルのようだ。ジョン・ゲイシーは今でも名前を覚えているぐらいの有名な犯罪者だが、彼の書いたピエロの絵をジョニー・デップが持っているとは知らなかった。ヘンリー・リー・ルーカスは、ハンニバル・レクターのモデルだったんですね。宮○勤のうぃき項目がないのがなんか不思議ですね。日本の事件になると被害者感情を考えずに書いていいものだろうかと感じたりします。身近になると、自分のことも振り返って考えられるのですね。神戸連続児童殺傷事件は身近に起こった出来事なだけに余計に気にしないようにしていた。だから、その当時周辺にいた人達が、雑誌で写真が出たと見せ回っていたが、見たくなかったので見ていない。誕生日や住所も知りやすい環境だったのに、知らない。これは、未成年で、同じ神戸市民で、子供の頃読んでいた本が同じようなものだったから、近親感を感じているのかもしれない。逆に、冤罪主張しているサイトの方をよく見に行った。これで、自分の正当性を書いているわけではないけれど、興味本位なところとこういうところがあるのは、人間的なものかもしれないなぁと思ってしまったからだ。

■□■□■ 日本の珍味一覧 ■
 東北の方にはイナゴの佃煮、中部にはサザムシ、ハチの子なんてグロいのがあるが、やはり冬場に食べ物がない環境だから、そういった珍味があるのですね。ママカリって魚のことだったんですね。酒盗は鰹の内臓の塩から、からすみはボラの卵、このわたはなまこの内臓の塩漬け、ゆべしってゆずのお菓子だったんですね。名前は知っていても知らないことが多い。これで、ヘキサゴンに出られるなぁ(笑)

■□■□■ タレント政治家一覧 ■
 ランディ・バースが政治家になっていたとは知らなかったなぁ。

■□■□■ 企業合併の一覧 ■
 先月だと思うけれど、熱中時間~忙中趣味ありで、銀行等の現金袋収集家が出ておられた。面白かったのが、合併しても載っているデザインが強い側の銀行というところだ。東京三菱UFJ銀行は、三菱銀行の封筒に近い。一体どこの銀行が合体したのか分からないぐらいになっているのに、三菱は流石旧財閥。みずほ銀行もどこの銀行が合併したのかすぐに言えます?

■□■□■ 宗教一覧 ■
 キリスト教でユニテリアン主義と言って、三位一体を否定するのもあるのですね。クエーカー教徒ってよく本などで見るのだが、具体的にはこんなんなんですとかけるような事はないのだなぁと思った。ニューソートってよく聞きますよね。生長の家とも関係があるのですね。自己啓発セミナーが話題になっているからですね。サイエントロジーも同じように批判されて、新興宗教だったけれど、閉鎖に追い込まれたんですよね。
 イスラム教のシーア派スンニ派、テレビでよく聞くのにちがいがよく分からない。インドネシアのイスラムはスンニ派なのね。じゃあ、テロが多い方なのかしら。wikiを読んでもよく分からない。
 よく聞くグノーシス主義は、何となく知っているもののちゃんと読んだのは初めて。反宇宙論と二元論ですか。マニ教がグノーシス主義になるのですね。カタリ派も本によく出てくるのですが、ここもそうだったのですね。世界最古のゾロアスター教も二元論だったんですね。なんでこんなに古代宗教とか興味があるのかと思ったら、「王家の紋章」の影響で色々調べてみたことがあったからなんですね。ははは。色んな国が出てくるから、そこでの神殿や一神教ってのが面白かったんだ。
 ヴェーダ聖典の宗教は私には分かりにくい。昔、JR忘れ物市が好きで、古本屋でも並ばない本をよくあさりに行った。その時に、バガヴァッド・ギーダーの日本語で書かれた聖典を100円で手に入れた。やっぱり、インド人が多い(今は東京の方が多いだろうけれど)神戸ならではの落とし物。日本人でこういったものを興味持つ人がいるんだなぁと面白かったが、やはり、インドの聖典、何でこれが聖典なんだろうって日本人では分からない本だった。クリシュナが出ていたことぐらいしか今は頭に残っていない。三十三間堂に行ったらいつもインドからの素晴らしいお姿の神様を見て、やっぱり、インドから宗教が伝わってきてるんだなぁと思います。あそこはたまに行くと、なんか幸せになるなぁ。

■□■□■ 良心的兵役の拒否 ■
 軍隊を持たない国って、日本以外に、周辺国に守られたアンゴラやモナコ、バチカンやリヒテンシュタイン、アイルランド、コスタリカの7カ国しか無いのですね。徴兵制がある国は、イスラエル・エジプト・韓国・北朝鮮・キプロス・キューバ・ギリシャ・クェート・シンガポール・スイス・スウェーデン・タイ・台湾・チリ・デンマーク・ドイツ・ノルウェー・フィンランド・ブラジル・ベトナム・ベネズエラ・マレーシア・メキシコ・モンゴル・ラオス・ロシア。その内良心的兵役拒否が出来ない国は、韓国と北朝鮮とトルコ。東アジア諸国で徴兵制がない国は、日本と中国のみ。インドシナ半島にある国は、ビルマが軍事政権になっている以外は全部徴兵制があるのだ。各国での良心的拒否は、平和団体であったり、アムネスティやエホバの証人だったりしている。

■□■□■ 日本の新興宗教 ■
 黒住教って、竹内文書の人が入信していたんだね。天理教は奈良県だけれど、金光教は黒住教と同じ岡山が発祥なのだ。PL教団は大阪、創価学会と霊友会は東京に本部があるのですね。大本から新しい宗教が出来ていんだ。

■□■□■ 神の一覧 ■
 子供の頃、「サイボーグ009」や「クリスタルドラゴン」の影響で北欧神話やケルト神話を図書館でさがしまくっていました。今でも、ゲームとかの影響で、名前を知っていたり、興味がある人が多いのではないでしょうか。日本はそういうところに恵まれているなぁと思うのが、子供の頃に接する漫画の世界が嘘八百ではなく、たくさんの資料の基に構築された歴史物であったり、SFものであったりするので、子供の頃から大人も知らないことに興味を惹かれたりするんだよね。有りがたいこっちゃ。

■□■□■ パラドックスの一覧 ■
 ゼノンのパラドックスはあの有名なアキレスと亀のことだったのですね。誕生日のパラドックス23人以上になると自分と同じ誕生日の人がいる確率が50%以上になるのですね。双子のパラドックスは、相対性理論でよく出ている双子の片方が宇宙に行って帰ってきたらってやつです。親殺しのパラドックスは、タイムマシンで過去に行き、自分が生まれる前の自分の親を殺したとき、自分は産まれてこないことになる。またそうなると自分が居ないために親が殺されない。さらに、親は殺されないため自分は生まれてくる。という循環ができるというやつだ。なんか子供の頃読んだリプリーの不思議な話。私は嫁の連れ子と結婚し子供が生まれた。その子は息子の孫になるから・・・てのを思いだしてしまった。
 料金紛失トリックも面白い。ある3人が食堂で食事をし、3000円を払ったが料金を間違えていたので給仕が余分の500円を返すように言われた。しかし給仕はその500円から200円をこっそり盗んで自分のふところに入れ、300円だけ客に返した。300円を返してもらったから客3人が払ったのは2700円になる。また給仕が盗んだのは200円である。合計すると2700 + 200 = 2900であるが、残りの100円はどこにいったのだろうか?
 2700円は「払うべき金額 + 給仕がくすねた額」であり「払うべき金額 + おつり」ではないのでくすねた200円を足しても3000円にはならない。払った額 + 盗られた額 = 全額と短絡しがちなところが盲点である。うぃき以外にパラドックス集なるサイトがあった。

■□■□■ 伝説の生物一覧 ■
 これを見たら、本当に漫画の影響を多大に受けているのが分かる。山岸涼子の漫画だったり、青池保子の漫画だったりと漫画で出てきた怪獣・幻獣達が多いのだ。そうか、渋沢龍彦さんや荒俣さんを読んでいたしなぁ。知っていても当然なんだ。
 ケサランパサランが載っている懐かしい。おしろいに入れるのは知っていたけれど、年に2回以上見たらダメとは知らなかった。
 
■□■□■ 探偵!ナイトスクープ ■
 上岡探偵局長が引退後、誰になるかと言うことで、石田靖さんがNが付く人と言ったばっかりに、西川きよしさんが勘違いして、挨拶回りしたという逸話があるらしい。泉谷さんが第3の局長の座を狙っているらしい。クドカンがこの番組のファンで、ステッカーをノートパソコンに貼っている。福井敏夫さんが顧問されていたの思いだしました。懐かしいなぁ。浪速のモーツァルトのキダ・タロー先生は、本当は難波のショパンと呼ばれたかったらしい。
 ここ近年の依頼が詳しく載っていますね。謎のビニールひも事件はしらんかったなぁ。

■□■□■ 車種名一覧 ■
 今号のBRUTUSは車を特集している。会社の車にしか乗ったことはないのだが、車に乗るのは大好き!ゆとりがあるなら、車が欲しいぐらいだ。神戸に住んでいると、車が入らない所だとよく分かってしまうし、あっても邪魔な都市である。この間、レンタカーを借りて帰りにお茶でも飲もうかと、こましな駐車場がある所って、サザンモールしか浮かばない。仕方なく43号線まで走って、南面を見たら駐車場に入り待ちの車の列。仕方なく、港島行き入り口近くの洗車スペースのあるセルフの店に行くことになったよ。本当に、車はいらないところだよ全く。
 買うとしたら、一番欲しいのは、シルバーかブラックのポルシェ911。のもかっこいいけれど、10年ぐらい前のも好きかな。まぁ、まずなんか悪いことでもしない限り、中古を買えても維持出来ないだろう。で、あとはやっぱminiクーパーだよなぁ。黄色がいいかなぁ。ルパンのカリオストロの城のはシトロエンだったかな。あれもいいよね。トヨタのマークXも佐藤浩市がCMしているから余計にかっこよく見えるよね。昔は三菱のパジェロミニ欲しかったなぁ。今買うなら、日産のキューブが欲しいかな。私にはお手頃ってのがそんな感じじゃないかな。やっぱり、車と時計はその人の趣味の豊かさを見てしまうよね。外だけではなく、内部も。やっぱりケチっている車ってのは、それだけでイメージダウンだし、無理しているのも、人物があって無くて浮いてしまっているもんね。20才ぐらいの時に、新しい車を買ったからあげると言われた事があるのですが、それがフェアレディZでした。無茶苦茶欲しいけれど、分にそわないよね。維持費も考えたら、そんな身分じゃないのでお断りしました。でも、あの頃手に入れていたら、あの車に相応しい人になろうと頑張ったかもしれません。昔つきあっていた人が、ホンダのビートに乗っていたのですが、その人も私も似合わない(笑)。ナイトスクープの依頼じゃないけれど、オープンカーに乗る人に格好いいひとはいないののりになっていたのではないかなぁと思う。でも、めちゃくちゃ、嬉しかったけれどね。
 BRUTUSに載っていましたが、ホンダのヴィッツがむこうで人気で1年待ちとか書いていました。日本の宮沢りえと西島秀俊のCMもいいですよね。音楽がいいし。ところで、光岡の大蛇は売れているのでしょうか?出たときは、テレビでもよく取り上げられていましたね。昔の角張った頃のハコスカとかいうのかなそのスカイラインに乗ってみたいですね。あと、トヨタの2000GTも。やっぱり、頭文字Dの影響でしょうか。映画やCMの印象もあるものね。反町が男の子と出ているCMの車はめっちゃかっこいいお父さんの車ってイメージだもん。

■□■□■ 特殊部隊の一覧 ■
 陸自の特殊部隊は、特殊作戦群という名称なんですね。変わった名前だ。第一空挺隊は、御須鷹山で作業をしてくれた陸自の部隊なんですね。海事は、特別警備隊というらしい。空自は基地防衛教導隊というようだが、特殊部隊なのに、名前がそれぞれ異なるんですね。日本の警察の場合は、特殊急襲部隊略してSAT。SATはよく聞きますよね。これはハイジャックとかのテロ担当です。特殊捜査班SITは、誘拐事件等のようです。NBCテロ対応専門部隊は、核や細菌を扱ったテロの担当のようです。
 アメリカ特殊作戦軍(United States Special Operations COMmand : USSOCOM)は、米国の統合軍の一つで、陸軍、海軍、空軍、海兵隊の特殊作戦部隊を統合指揮しているそうです。ラインが一つの方が動きやすいでしょうね。アメリカ陸軍の第一特殊部隊連帯がグリーンベレーなんですね。そういえば昔柘植さんの読んでいたなぁ。デルタフォースとかは映画で知りましたね。テロ対策の特殊部隊だったんですね。SWATは、スピードで名前を知ったんです。あの頃は、SWATのジャンバーとか欲しかった。センタープラザの西館で今でもついついSWAT関係のものがあったら、見入ってしまいます。
 今でも続いているフランスの外人部隊ってのが凄いですよね。募集のHPを見ると、10ヶ月ぐらい働くと、1ヶ月で1100ユーロぐらいだから、17万円ぐらい貰えるのです。予選はフランスの色んな都市で出来るようですが、本選はマルセイユ近くで行われるようです。精神病質のテストや医学検査、スポーツ能力が問われ、17才から40才までが応募出来ます。最初は5年契約で、あとは6ヶ月更新のようです。

■□■□■ 小説 ■
 学生の頃、ローダンシリーズを読もうと頑張ったことがありましたが、数巻も行かないうちに諦めました。諦めて正解だったでしょう。今は300巻を越えています。友人は、グイン・サーガを学生の頃から読んでいますが、まだ続いてますねぇ。

■□■□■ 演劇 ■
 劇団の一覧があるのが凄い。天井桟敷の公演見てみたかったなぁ。映像でしか知らないものなぁ。一度大人計画の舞台も見てみたいなぁ。スタジオライフトーマの心臓をテレビで見たのですがよかったです。スーパーエキセントリックシアターの舞台で前の方だったのに、疲れてずっと眠っていたことがあります。演劇集団キャラメルボックスと加藤健一事務所は神戸に来たらよく見に行きます。
 お菓子系アイドルとか、ロリータアイドルという名称があるとは知らなかった。ジャニーズjrの一覧があるのも凄い。

■□■□■ アニメ・漫画のテレビドラマ化作品一覧 ■
 そう009ノ1ってやってたんだよなぁ。そんな時代もあったんだ。見たことがないけど。花のあすか組!もやってたんだ。そうだそうだ。しかし、このうぃきの項目凄いなぁ。よくここまでまとめたなぁと感心します。だめんずうぉーかーって2回ドラマ化されていたんだね。最初のは飯島愛が主役でこの間のは藤原紀香だった。
 2007年は、めぞん一刻と嬢王と生徒諸君!があるんだ。

■□■□■ アニメ・漫画の実写映画化作品一覧 ■
 実写版の野球狂の詩、ドカベン等、昔TVでやっていました。また、そういうのやんないかなぁ。ドラゴンヘッドとデビルマンは辛かったなぁ。

■□■□■ 性科学の話題の一覧 ■
 デザイナーベービーっていうんですね。受精卵の段階で遺伝子を操作することを。スコプチというロシアのカルト宗教は、性欲が悪の根源としているらしくて、去勢してしまうそうです。怖いですね。宮刑という羅切とも言われるそうですが、昔の中国で、死刑の次の罰として生殖器が切られるというものがあったそうです。それもその刑を受けた有名人に司馬遷がいるなんて・・・。もっと怖い刑に五刑というのがありますが、怖くて書けないので、興味があればリンクに飛んで下さい。女性でありながら女性器のことあんまり知らないなぁと思いました。分泌物には、スキーン腺膣分泌液バルトリン腺というものがあるらしい。CMでよく聞く臍帯血は、造血幹細胞が多量に含まれているので、白血病や再生不良性貧血などの難治性血液疾患の根本的治療のひとつである造血幹細胞移植において、幹細胞の供給源として骨髄および幹細胞動員末梢血とともに利用されている。韓国の教授が幹細胞の再生に成功というのが偽りだったと出たあと、日本の科学者が成功させていましたよね。勘違いしているかな。幹細胞はサイエンスZEROでよく取り上げている今後大きな役割を持つ分野です。皮膚や臓器の移植などに今後使われていくものだから、私の20年後には研究が進み、老化や不妊の特効薬が出来ていたり、フィリピンで法律が成立されているような臓器提供は無くなって、自分の幹細胞から腎臓や癌摘出などで失った一部を再生出来るようになっているのではないかと思っています。医療産業都市神戸の恩恵をその頃には味わえるかな?就職活動で見かけるマザーズやヘラクレス上場企業のポーアイにある再生医療の研究所たち。ずっと報告が必要なものに上場するぐらいに経営も未来もしっかりしているところが神戸に根付いてくれているので未来は嬉しい限りです。
 騸馬(せんば)と言う言葉初めて知りました。去勢された牡馬のことです。

■□■□■ アナスタシア皇女 ■
 ドイツで、自分がロマノフ王朝の継承者だと裁判を起こして、結局は認められないまま亡くなった自称アナスタシア皇女のアンダーソンは今の科学でDNA鑑定の結果、皇女ではなかったことが確定していたのですね。映画などで有名なこのはなしの結末を初めて知りました。ということは、自称していた人は凄い詐欺師だったって事ですね。しかしなんで、アナスタシア皇女は聖者の一覧の中に入っているのでしょう?ロシア正教会ってそんなところなのかな?

■□■□■ 守護聖人 ■
 ガールスカウトの守護聖人はジャンヌダルクだったんですね。ガールスカウトってキリスト教の組織だったっけ?確か昔、友人が入っていたガールスカウトは金光教の関係だったはず。検索するとやはり教会が絡んで広まっているようです。日本も教会から広まったようです。しかし、守る内容に、神や仏の語句が出てくるようなので、キリスト教にはこだわっていないようです。一時期、ガール出身者の人に多く出会うことがあって、何となくガール出身者を見分けられるようになってきました。子供の頃からよく動いているから、社会人になっても筋金入りだね。
 警官や救急は、大天使ミカエルが守護天使なんだって。ルシフィルの弟だったんだね。日本の守護聖人はザビエルのようです。

■□■□■ 架空の学校一覧 ■
 中学生の頃ドカベンのファンだったので、登場する学校名を友達と出し合った紙を先生に拾われて、「これは本当にある学校か?」と読み上げられたことがありました。ちなみに私は、土佐丸の犬神と不知火守は・・・わぁ名前が出てこなくなった・・・。情けねー。そっか、白新だったなぁ。
 ハイスクール奇面組は一応高校だったんですね。そう言えば一堂零も好きだったけれど、豪君のファンだった(笑)。ひかわきょうこのまんがで、いつものところって名前の喫茶店があったことを思いだした。「じゃあ、いつものところで」って言っていたなぁ。まいちんぐマチ子先生はあらま学園で働いていたのですね。
 架空の学校で有名なのをあげたら、やっぱり、タモリの中州産業大学とか、花より男子の英徳学園とか、コータローまかり通るの巨大な私立鶴ヶ峰学園とか、伊賀のカバ丸の金玉学園とか、ヒカルの碁の海王中学とか、幼稚舎からあるCLAMP学園とか、生徒諸君!の聖美第四中学校とか、ずっと勝ってる明訓高校、コナンの帝丹小学校はインパクトが残っています。明訓高校は新潟明訓高校がモデルとして有名ですよね。
 今話題の鈴宮ハルヒの学校北高校のモデルは、兵庫県立西宮北高等学校だったのですね。なぜ?作者の母校?作者の谷川流(これもおもろいネーミングやなぁ)さんが兵庫県出身で、関学卒業なんですね。彼の母校がモデルのようです。ファンの方の母校詣でがあるそうです。帯をぎゅっとね!学校のモデルは、育英高校だったのですね。ここは柔道家の篠原さんの母校です。割とスポーツ関係を輩出しています。高校の時に好きだった先生の母校だったので、何となく知っています。ですが、昨年、ここの出身者の人に荒れ荒れだったと聞いたので、この漫画どんな内容だったのか興味が沸きます。もう、ハケンの品格の大学がUPされているよ。すげー。たかじんの委員会の永田町小学校まである。おけいはんのCMの枚方パーク学園ってのまである。
 エースをねらえ!は埼玉県立浦和西高校がモデルなんですね。アニメ版の坂が多いのは、絶対に横浜だと思っているのですが・・・。で、大きく振りかぶってのモデルもここ浦和西なんですね。

 とりあえず、大量になりそうなので、ここまででUPしておきます。
 うぃきはおもろいなぁ~。

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March 03, 2007

と言うわけで、超能力者・霊能者・宗教家の星座

 以前に書いた通り次をやってみます。って、あの時次に浮かんだには霊能力者は?でもって、すぐに思いだしたのは出口王仁三郎だった。彼は割とおもしろいアカデミックな試みをしていて、エスペラントを推奨していたりする。だから、何となく気になる御仁だったのだが、生年月日は分からない。自分の何となく知っている人達をあげてみました。

■宗教家■ 色々問題があるかもしれませんが、とりあえずアイウエオ順 前と違って、私は知っていても、他の人は知らない人が多いですよね。私の独断と偏見の略歴です。許して下さい。

麻原彰晃 1955年3月2日 魚座
  言わなくても分かると思います。
内村 鑑三 文久元年2月13日(1861年3月26日) 牡羊座 
  キリスト教関係の人です。私は中学生の時の読書感想文用に彼の本を選びましたが、挫折しました。
大川 隆法 1956年7月7日 蟹座
  幸福の科学の方です。日本でもっと大きい宗教団体の方は書いたらまずいかもと思い、入れていません。どっちがいいのでしょうか・・・。
大谷 光瑞 1876年(明治9年)12月27日 山羊座
  大谷派の方です。シルクロードの美術に関してこの方のおかげで残っているものが多いです。神戸の六甲山に美少年ばかりの学校を作られたので、余計に興味がありました。大きな勘違いでしょうか?
賀川 豊彦 1888年7月10日 蟹座
  コープの元になる考えを作ったキリスト教の方です。神戸市民だからよく知っていますが、他の都市の人は知らないだろうね。
谷口 雅春(たにぐち まさはる 1893年11月22日 蠍座
  生長の家の教祖も神戸の方なので、昔から知っていました。たくさんの方が神戸に集まるってのも、電車の中で知らない人に話しかけられて、教えて貰ったことがあります。子供の時から、知らないおばさんによく話しかけられるんですよ。なぜだろう。
出口 直 1837年1月22日天保7年12月16日 水瓶座
  出口王仁三郎さんのお母さんです。
土井 辰雄 1892年12月22日 射手座
  カトリックの総本山、バチカンの枢機卿をされていた方です。
中山 みき 寛政10年4月18日(1798年6月2日) 双子座
  この方は、天理教の教祖の方です。
南部 利昭 昭和10年(1935年)9月16日 乙女座
  靖国神社の方です。珍しい名前だから、ご存じの方が多いかも。
文鮮明 문선명、ムン・ソンミョン Sun Myung Moon 1920年2月25日 魚座
  統一教会です。有名な方ですよね。
山本鈴美香 ?年6月17日 双子座
  エースをねらえ!の著者で、新興宗教を立ち上げられています。今はお体の方がすぐれないというのをHPで知っているのですが、回復されたのでしょうか?
  
■霊能者・超能力者■
エドガー・ケイシーEdgar Cayce  1877年3月18日 魚座
  超有名な超能力者ですよね。
池田 貴族 1963年5月8日 牡牛座
  お亡くなりになったロックシンガーの霊能者の方です。
江原 啓之 1964年(昭和39年)12月22日 山羊座
  言わなくても分かりますよね。
宜保 愛子 1932年1月5日 山羊座
  この方もそう。
清田 益章 1962年4月30日 牡牛座
  スプーン曲げの方です。
サティヤ・サイ・ババSathya Sai Baba सत्य साईं बाबा 1926年11月23日 射手座
  インドの霊能者。一度お会いしたいです。
ジーン・ディクソンJeane Dixon  1904年1月3日[公称]  山羊座
  ケネディ暗殺を予言した人です。
フローレンス・ナイチンゲールFlorence Nightingale 1820年5月12日 牡牛座
  なんか分かりませんが、wikiに霊能者として載っていたので、載せてみました。
北條 希功子 1943年2月9日 水瓶座
  女優さんで、霊能者の方です。はっきり名前を覚えていなかった。
細木数子 1938年4月4日 牡羊座
  有名な方です。
御船 千鶴子  1886年7月17日 蟹座
  リングのモデルになった方ですよね。
美輪 明宏 1935年5月15日 牡牛座
  有名ですよね。
森 公美子 1959年7月22日 蟹座
  wikiに霊能者として載っていました。オーラの泉での発言でここにはいることになったのでしょう。
ユリ・ゲラーאורי גלר Uri Geller  1946年12月20日 射手座
  この人が超がいっぱいつく超能力者。

■その他■
エマヌエル・スヴェーデンボリ Emanuel Swedenborg, 1688年1月29日 水瓶座
  よくこのブログに書いているスウェーデンボルグさんです。神秘家で有名な方です。
アーサー・コナン・ドイル Sir Arthur Conan Doyle  1859年5月22日 双子座
  シャーロック・ホームズの作者です。よく降霊会をしていました。
丹波 哲郎 1922年(大正11年)7月17日 蟹座
  霊界の宣伝マンの方です。
福来 友吉 明治2年11月3日(1869年12月5日) 射手座
  この方の偉業は後世にも残すべきです。多くの超能力者をあの時代に取り上げているのですから・・・。

■反対の人■
大槻 義彦 1936年6月18日 双子座
ひろさちや 昭和11年(1936年)7月27日 獅子座

 興味がある長南年恵さんや長尾郁子さん、高橋貞子さん、三田光一さんという福来さんが研究されていた本物の方々のも知りたかったなぁ。
 宗教家の方、蟹座が多いかなってところですね。霊能者の人は山羊座が多いかなって所ですね。逆にない星座が、獅子座っていうのが面白いかも。大して、差がないですね。バラバラなのが何となく悲しい・・・。

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February 15, 2007

トップ或いは時代の寵児の 星座

 先日、歴史は動いたで、武田信玄をやっていた。今大河ドラマで風林火山をしているからだろう。
 昔の座右の銘が、武田信玄の「人は城人は石垣人は堀情けは味方仇は敵なり」だった。座右の銘が武田信玄の言葉であったとしても、全然彼のことには関心がなかったので、殆ど知らなかった。
 しかし、彼の略歴を垣間見たら、もしかしてこの人、射手座じゃない?きっとそうだ、射手座だ!と思い、wikiで検索すると・・・
武田信玄 大永元年11月3日〔1521年12月1日〕 - 元亀4年4月12日〔1573年5月13日〕となっている。
あってるじゃん。
昔は、歴史小説を読む度にこの人は、この人は何座なのかと推理した。
当たっていないと思うけれど、wikiで検索をかける前に、私の推理は・・・
織田信長は、牡牛座か蟹座、豊臣秀吉は、よく分かんない、うちのおばばさまと同じ水瓶座、徳川家康は山羊座。
近藤勇は魚座、土方歳三は乙女座B型だ!、沖田総司は射手座か水の星座かな。

 さて、答え合わせ
織田信長 天文3年5月12日(1534年6月23日) - 天正10年6月2日(1582年6月21日) 蟹座。当たり
豊臣秀吉 天文6年2月6日(1537年3月26日) - 慶長3年8月18日(1598年9月18日) 牡羊座。外れ
徳川家康 天文11年12月26日(ユリウス暦1543年1月31日) - 元和2年4月17日(1616年6月1日) ユリウス歴だけれど、水瓶座でいいんかなぁ。外れ
近藤勇  天保5年10月9日(1834年11月9日) - 慶応4年4月25日(1868年5月17日) 蠍座。外れ
土方歳三 天保6年5月5日(1835年5月31日) - 明治2年5月11日(1869年6月20日) 双子座。外れ
沖田総司 天保13年(15年という説もあり)6月1日(1842年7月8日) - 慶応4年5月30日(1868年7月19日)) 蟹座。まぁ当たりと言ったら、確率が・・・。
 ぐぁ~。全然当たらなかった。信長が運よくってだけだった。なんか、蟹座って男男しているでしょ。だから、思いついたんだが・・・。射手座と獅子座は何となく当たるので、武田信玄も当たったってことだろう。

 他の関係を見て見ると、明智光秀も石田三成も誕生日がわからんなぁ。
竹中半兵衛 天文13年9月11日(1544年9月27日) - 天正7年6月13日(1579年7月6日) 天秤座
伊達政宗 永禄10年8月3日(1567年9月5日) - 寛永13年5月24日(1636年6月27日) 乙女座
上杉謙信 享禄3年1月21日(1530年2月18日)-天正6年3月13日(1578年4月19日) 水瓶座
朝倉義景 天文2年9月24日(1533年10月12日) - 天正元年8月20日(1573年9月16日) 天秤座
加藤清正 永禄5年6月24日(1562年7月25日) - 慶長16年6月24日(1611年8月2日) 獅子座
黒田官兵衛 天文15年11月29日(1546年12月22日) - 慶長9年3月20日(1604年4月19日)山羊座
前田利家 天文7年12月25日(1539年1月15日) - 慶長4年閏3月3日(1599年4月27日) 山羊座
私の興味ある戦国武将誕生日が分かるものを書き出してみました。

 なんか、この星座を見ると、もっと深く関係性を感じることが出来ますね。親がお館様だったから上り詰められた人、何にもない所から上がってきた人面白いなぁ。牡羊座なんて、青年誌なんかで池上遼一が描くような下から上に這い上がるような性格だもんだから、なんか秀吉の星座がそうだとすると、なるほどって感じてしまう。牡羊座と獅子座は偉人に多い星座だ。兎に角大きなことをやっている。武田×上杉も、射手座×水瓶座で時代が時代なら仲良くやってそうな気がするし、塩を贈ったのも何となく分かるエピソードだ。若い身空で隠居をしていた竹中重治も色んな方面に振り回されてうろうろしていた朝倉も天秤座ってのがなんか納得出来るし・・・。まぁ、いってみたらってことなので、星座の性格が正しいと思っているわけでもないが、自分の星座の性格の情報は深くなるなぁ。

 戦国時代なんかは、本当に這い上がって来た人と、環境がよかった人達の這い上がった時代だと思う。それと同じに、幕末のように新選組がのし上がってきたのと、藩に所属して這い上がっていった人がいたので、同じような気がする。ただし、戦国時代は、生きるために、自分の領土を守るために、全国統一を目指すために生きていたのに反して、幕末は、日本を守るため、藩を守るため、という。社会的な文化的な大義名分で意志を貫いているので、またちょっとばかり違うのだ。
維新三傑は、
木戸 孝允(桂小五郎 天保4年6月26日(1833年8月11日) - 明治10年(1877年)5月26日 獅子座
西郷 隆盛 文政10年12月7日(1828年1月23日) ‐ 明治10年(1877年)9月24日 水瓶座
大久保 利通 文政13年8月10日(1830年9月26日) - 明治11年(1878年)5月14日 天秤座

変えようと頑張っていた人とその関係者が、
坂本龍馬 天保6年11月15日(1836年1月3日) - 慶応3年11月15日(1867年12月10日) 山羊座
他の文献に12月8日誕生日と載っていたのに・・・、変換出来るサイトで確認したから間違いなく、射手座じゃなくて山羊座だ。射手座のような性格だと思っていたのになぁ。残念~。
坂本乙女 天保3年1月1日(1832年2月2日) - 1879年8月31日 水瓶座
おりょう 1841年7月23日(天保12年6月6日)-1906年11月15日 双子座
陸奥宗光 弘化元年7月7日(1844年8月20日) - 明治30年(1897年)8月24日 獅子座
勝海舟 文政6年1月30日(1823年3月12日) - 明治32年(1899年)1月21日 魚座 
山岡鉄舟 天保7年6月10日(1836年7月23日) - 明治21年(1888年)7月19日 獅子座
武市瑞山 文政12年9月27日(1829年10月24日) - 慶応元年閏5月11日(1865年7月3日) 蠍座
中岡慎太郎 天保9年4月13日(1838年5月6日) - 慶応3年11月17日(1867年12月12日) 牡牛座
佐久間象山 文化8年2月28日(1811年3月22日) - 元治元年7月11日(1864年8月12日) 牡羊座
吉田松陰 天保元年8月4日(1830年9月20日) - 安政6年10月27日(1859年11月21日) 乙女座
高杉晋作 天保10年8月20日(1839年9月27日) - 慶応3年4月14日(1867年5月17日) 天秤座
吉田稔麿 天保12年閏1月24日(1841年3月16日) - 元治元年6月5日(1864年7月8日) 魚座
井上馨 天保6年11月28日(1836年1月16日) - 大正4年(1915年)9月1日 山羊座
板垣退助 天保8年4月17日(1837年5月21日) - 大正8年(1919年)7月16日 牡牛座
後藤象二郎 天保9年3月19日(1838年4月13日)- 明治30年(1897年8月4日 牡羊座
岩倉具視 文政8年9月15日(1825年10月26日)- 1883年7月20日 蠍座
三条実美 天保8年2月7日(1837年3月13日)- 明治24年(1891年)2月18日 魚座
永倉新八 天保10年4月11日(1839年5月23日) - 大正4年(1915年)1月5日 双子座
斎藤一 天保15年1月1日(1844年2月18日)-大正4年(1915年)9月28日 水瓶座
井上源三郎 文政12年3月1日(1829年4月4日) - 慶応4年1月5日(1868年1月29日) 牡羊座
清河八郎 天保元年10月10日(1830年11月24日) - 文久3年4月13日(1863年5月30日) 射手座
松平容保 天保6年12月29日(1836年2月15日) - 1893年12月5日 水瓶座
松平春嶽 文政11年9月2日(1828年10月10日) - 明治23年(1890年)6月2日 天秤座
伊達宗城 文政元年8月1日(1818年9月1日) - 明治25年(1892年)12月20日 乙女座
山内容堂 文政10年10月29日(1827年11月27日) - 明治5年6月21日(1872年7月26日) 射手座
島津斉彬 文化6年3月14日(1809年4月28日) - 安政5年7月16日(1858年8月24日) 牡牛座
徳川慶喜 天保8年9月29日(1837年10月28日) - 大正2年(1913年)11月22日 蠍座
榎本武揚 天保7年8月25日(1836年10月5日) - 明治41年(1908年)10月26日 天秤座

 ほんと、私も好きだなぁ。自分が好きな幕末本に出てくる有名人で誕生日が分かる人をあげてみた。割と嫌なやつとされているのに、射手座がいる。この時代は生きにくかったのかな。同じ火の獅子座は、うまく最後まで生き延びている桂小五郎がいる。単に頭がいいだけなのかもしれない。吉田松陰が乙Bなら、カリスマ性と無鉄砲さが共存するから、分かるような気がする。やはり、政治の世界に天秤座が多い。うまくやれるからだ。夢見る魚座が多いのもなんか納得。桂×西郷が、獅子座×水瓶なのは、何となく分かるのだが、仲介役の坂本が射手座じゃなく山羊座なのが、やっぱり納得出来ない(笑)。自分の墓のそばに近藤の墓を持ってこさせた容保公の水瓶座は意外だなぁ。近藤に命かけた土方が双子座なのも何となくピンと来ないし。でも、そう言うところもあるのだろう。

 総理は、日本のトップだけれど、最初の頃は、維新で戦ってきた人達、戦争を経て日本を守ってきた人達、で、今は親や環境が政治家でないと這い上がっていけないような現在。

伊藤博文 初代・第5代・第7代・第10代 天保12年9月2日(1841年)10月16日) - 明治42年(1909年10月26日) 天秤座
黒田清隆 第2代 天保11年10月16日(1840年11月9日) - 明治33年(1900年)8月23日) 蠍座
山縣有朋 第3代、第9代 天保9年閏4月22日(1838年6月14日) - 大正11年(1922年)2月1日 双子座
大隈重信 第8代、第17代 天保9年2月16日(1838年3月11日) - 1922年(大正11年)1月10日 魚座
西園寺公望 第12・14代 嘉永2年10月23日(1849年12月7日) - 昭和15年(1940年)11月24日) 射手座
原敬 第19代 安政3年2月9日(1856年3月15日) - 1921年11月4日) 魚座
高橋是清 第20代 1854年9月19日(安政元年閏7月27日) - 1936年(昭和11年)2月26日) 乙女座
犬養毅 第29代 安政2年4月20日(1855年)6月4日 - 昭和7年(1932年)5月15日 双子座
広田 弘毅 第32代 1878年(明治11年)2月14日 - 1948年(昭和23年)12月23日) 水瓶座
近衛文麿 第34、38、39代 1891年(明治24年)10月12日~1945年(昭和20年)12月16日) 天秤座
平沼騏一郎 第35代 慶応3年9月28日(1867年10月25日) - 昭和27年(1952年)8月22日 蠍座
米内光政 第37代 明治13年(1880年)3月2日 - 昭和23年(1948年)4月20日) 魚座
東條英機 第40代 1884年7月30日(戸籍上は12月30日) — 1948年12月23日) 獅子座
鈴木貫太郎 第42代 1868年1月18日(慶応3年12月24日) - 1948年(昭和23年)4月17日) 水瓶座
吉田茂 第45・48 ‐ 51代 1878年(明治11年)9月22日 ‐ 1967年(昭和42年)10月20日) 乙女座
鳩山一郎 第52・53・54代 明治16年(1883年)1月1日 - 昭和34年(1959年)3月7日 山羊座
岸信介 第56、57代 1896年(明治29年)11月13日~1987年(昭和62年)8月7日) 蠍座
佐藤栄作 第61、62、63代 明治34年(1901年)3月27日 - 昭和50(1975年)6月3日 牡羊座
田中角榮 第64,65代 1918年5月4日 - 1993年12月16日) 牡牛座

東条英機の獅子座がなんとなく凄いなぁとか思ってしまう。

第二次世界大戦前後の時代は、
アドルフ・ヒトラー 1889年4月20日 - 1945年4月30日 牡牛座
ウィンストン・レナード・スペンサー=チャーチル 1874年11月30日 - 1965年1月24日 射手座
ベニート・アミルカレ・アンドレア・ムッソリーニ 1883年7月29日 - 1945年4月28日 獅子座
ウラジーミル・イリイチ・レーニン 1870年4月22日(ユリウス暦では4月10日) - 1924年1月21日 牡牛座
モハンダス・カラムチャンド・ガンジー  1869年10月2日-1948年1月30日 やっぱり、天秤座
シャルル・アンドレ・ジョゼフ・マリー・ド・ゴール 1890年11月22日 - 1970年11月9日 蠍座
ヨシフ・スターリン 1879年12月9日(グレゴリオ暦12月21日) - 1953年3月5日) 射手座
エルヴィン・ヨハネス・オイゲン・ロンメル 1891年11月15日 - 1944年10月14日 蠍座
パウル・ヨーゼフ・ゲッベルス 1897年10月29日 - 1945年5月1日 蠍座
ハリー・S・トルーマン 1884年5月8日 - 1972年12月26日 牡牛座
ポル・ポト 1925年5月19日 ‐ 1998年4月15日 牡牛座

 やっぱり、牡牛座って強いなぁ。私がついつい織田信長に牡牛座かもってのを感じてしまったのは分かってもらえるかも。しかし、ここでは悪いイメージになってしまいそうなので書いておくが、牡牛座はめちゃくちゃ多彩な能力を持った、母親の愛情を分け与えるような大きな人物の人が多い。

最近の総理だと、

中曽根康弘 第71-72-73代。大正7年 (1918年) 5月27日生まれ。 双子座
海部俊樹 第76-77代。昭和6年 (1931年) 1月27日生まれ。 水瓶座
宮澤喜一 第78代。大正8年 (1919年) 10月8日生まれ。 天秤座
細川護煕 第79代。昭和13年 (1938年) 1月14日生まれ。 山羊座
羽田孜 第80代。昭和10年 (1935年) 8月24日生まれ。 乙女座
村山富市 第81代。大正13年 (1924年) 3月3日生まれ。 魚座
森喜朗 第85-86代。昭和12年 (1937年) 7月14日生まれ。 蟹座
小○純一郎 第87-88-89代。昭和17年 (1942年) 1月8日生まれ。 山羊座
安○晋三 第90代。昭和29年 (1954年) 9月21日生まれ。 乙女座

 何でか知らないが、水と風の星座の人が多いよね。うまくやっていく能力が高いのかなぁ。うまくやってこなけりゃ。まわりが政治家で政治家になりやすいといっても、首相になれるものではない。あんまりにも、変なことを書いてしまったので、怒る人がいるかもなぁ。
 勝手な言い分なので、許してたもれ。

 やっぱ、星座見るの楽しい。次は他の職業でもやってみようかな。

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December 29, 2006

龍馬検定

 龍馬ゆかりの地神戸で、龍馬検定ってのが出来ました。ゆかりのちは高知・東京・京都・長崎・鹿児島・兵庫県と他府県に渡っておりますが、神戸編というので作られるのは面白い。これは、各ゆかりの地も長崎編とか作って貰えると、総合ってのも出来て面白いかも・・・。

龍馬検定神戸編

今日は時間がないので挑戦していませんが、yahooでも作られている坂本龍馬検定

ガンダム名セリフ使い方検定なんてあるんだから、もう・・。と言っても、ファースト限定でしかできませんが・・・。

龍馬検定一つ私から出題
Q.海軍操練所があったと言うことで碑が置かれているのは、今改築中の元ホテル・シェレナがある神戸市中央区ですが、その頃勝海舟が住まいとしていたのは、何区だったでしょう?

 答えは、このブログを昔から読んでいた人なら分かるはず。

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December 23, 2006

神戸文書館

Bunnsyokan0234 先日、滅多に歩くことがない辺りにある会社の面接に呼ばれたので、その周辺を散策がてら早めに出かけた。その際に文書館みっけ!外観もHPも充実している割に、内部は大したこと無いのだが、私的に面白いものを発見することが出来て、有意義な1日だった。その後面接に行ったところは、人間関係もよさそうで、会社の背景に山々があって、交通の便も良いというなかなかいいところだったのだが、即お断りの電話があった。^^;

 この神戸文書館の内部には、神戸又新日報という神戸新聞とは違って、労働争議の際も労働者側にたった記事を書き、溝口健二監督が挿絵を描いていたこともあるなかなか一地方でも味がある新聞が閲覧出来るようになっている。

 私は子供の頃から、奇々怪々な事件、猟奇的な事件を好む傾向があり、明治大正のそのような事件を扱った本などを良く読んでいた。猟奇的な挿絵が載った本まで子供の頃買っていた物だから、机の背に隠していたその本をおばばさまに見つかって泣かれたときには往生したものだった。でも、そんな怖い物見たさも中学で軽く卒業出来るみたいで、高校の頃は読みもしないチェ・ゲバラの本を買ったり、内村鑑三なんて買っていたりしているから、一体私はいつの時代の何歳なんだと、今の自分でも突っ込みたくなる。
 しかし、子供の頃呼んだ明治から昭和初期にかけての変わった事件は、今でも興味を惹く。先日来、話題に上っている切り裂きジャックも、霧に霞んだロンドンの一部のように子供の頃思い描いていたので、奇妙な話だが、それをきっかけに文書館に寄ってみようという気にさせて貰った。

Bunnsyokann_syorui しかし、寄ったがいいが昔のようにシグマリオンがないから、さて、いつ頃の年代だったっけと考えてみて、たしか1889年だったよなぁ夏じゃなかったっけ。と、その年の日報を取りだしたが・・・、おしい!もう、1888年だったんだよ!無いはずだよね。何か、その事件に関することが書かれていないかとめくったけど、あるわけにじゃんね。残念!まぁ、色々見ていて面白かったので、ついつい写真を撮ったりしていたら、これに記入して下さいと持ってこられた。なるほど、今でも営業している企業や関係している個人の名前の子孫があるからか、このようなことをきっちりしているようだ。別にブログに書くかどうか分からなかったので、面白かったからとしか書かなかったが、とりあえず、あんまり問題ないやつだけ写真のUPすることにする。
Meiji22Meiji22_koukoku これが、明治22年の日報になるのだが、明治の他の年にも出てくるスコット乳菓が気になる。検索してみると流石にwikiにあるわけでもなく、戦時下の美術書を読むと題した書痴という雑誌に名前が出てくるぐらいだ。

 明治の初期の新聞はかたかなと漢字なので読みにくい。この辺りだとひらがなが混ざって今の人でも内容が分かりやすい。


あー、もうお出かけの時間だ。また、帰ってきたら続きを書くね。しかし、こんな話の続きを読む人はいるのか、否。


*************** 12/25 am.8 ***************

 まぁ、自分の日記みたいな物なので、記録代わりに残りも書いておこう!

 この写真の明治22年というは、2月11日に大日本帝国憲法が発布され、パリで万国博覧会が開かれた年でもあります。この時に日本の工芸品が注目を浴びたんですよね。100年以上昔が歴史なのか、身近なのかというと、もう歴史の一部でしか見えてこないのですね。だって、この年の2年後、私の子供の頃の世界の中での最大の事件だったシャーロック・ホームズとモリアティ教授の崖墜ちがあったんですもの。もう歴史よりも、この年代は小説の世界でもあります。

 なんか、写真撮っている私の品性が疑われるようだけれど、なぜか精神病と性病の医院が多かったんだよ。だから何で?という感じで写真を撮ったのだが・・・。
 これらは、大正4年。イタリアで大きな地震があり、死者が3万人も出ています。今と昔では、3万人の死者も忘れられてしまうのですね。もう、第一次世界大戦が始まっています。
Taisyou4_funeunkouTaisyou4_ginkou 最初の写真にあるのは船の時刻表ってことだよね。この写真には載っていないけれど、この頃活躍している回漕店の名前は今でも営業している。神戸ならではものだ。
 2枚目に載っているのは、財閥の三菱・三井。何か違うと感じませんか?なぜか、三菱は合資会社になっている。両替屋で上がってきた三井が多くのオーナーを持つ方を選び、武士からの出の三菱が大事に手放さずに持っていた。私ら庶民には計り知れないが、今の三井グループが三菱よりバラバラなのもこんなことで理解出来たりして・・・、無理か(笑)
Taisyou4_iinTaisyou4_koukoku 花柳病ってのはなんだ!ってんで、写真を撮ったのだが、そうか、こんな病気が蔓延していたのね。だから、お医者さんも多かったんだ。何かこの頃の活字を見ていると、横溝正史の世界のようで、アレは昭和の話だったのに、不思議な気分だなぁ。精神病院ってだけで、ドグラマグラとかのイメージにいっちゃうし、まぁ私のイメージも貧困だけれど・・・。
Taisyou4_okikiTaisyou4_youzyo なんか、新聞紙上で夏休みの子供の暮らし方を子供向けに書いている。一部の家庭の子供になるのだろうけれど、なんか凄いなぁと感じてしまった。新聞はよまなあかんなぁ。こんな面白いもんがあるねんでぇ~。
 この養女貰い受けたいってのが気になる。何なんだろう・・・・。
Taisyou4_zassiTaisyou4_1915_ajinomotoTaisyou4_suzuki 新日本という雑誌広告と並ぶ花柳病の専門誌の広告。なかなか活字の美としてはいいじゃないか。
 20世紀が始まった頃に見つかったうまみ成分。その名を味の素と命名したセンスは今の時代でも凄いと思う。大々的な広告が多く出ているのだが、その頃から巨大企業になっているのだね。
 米騒動の鈴木商店は実際に営業していたんだなぁと思う名刺ご挨拶広告。やっぱり、大正は「歴史」の一部だ。

 大正15年。昭和に入る年の新聞です。
Taisyou15Taisyou15_fujin 夫人の貞操を守る器具ってのが新聞に紹介されていまして、そんなスプレーを目にやられたら、失明するじゃんとも思うけれど、被害のレベルはそれ以上受けるわけで、難しい選択だ・・・。このような記事が載ること自体、男性の性欲が取り締まりを受けるような時代に突入していて、他で悪さをする人が増えてきていたってことでしょうか?
Taisyou15_aoime 青い目をしたお人魚さん。私でも知っているものが増えてきました。
Taisyou15_kawasima 川田芳子さんってのは、この時代の有名な俳優。今のように綺麗な俳優さんが化粧品のCMに出てくるってことは、昔から行われてきていたことなんですね。
Taisyou15_hon 大正のはじめにあんなにあった花柳病の関係の広告は消え、このような恋文の書き方なんてのが出てきています。生活に余裕が出てきたんでしょうかね。
Taisyou15_kaibutu やっぱり、今とは違って変です。こんな怪獣はアフリカにはいません!ほら吹きが楽しい時代でもあったんですね。こんなのに騙されて、凄い凄いと楽しんでいるのもやってみたいなぁ~。いい時代だなぁ~。
Taisyou15_kikeiji やはり、奇形児は話題を誘います。家族は悲しいぐらいでしょうが、今は色々報道されているので、明るく対応出来るようになっています。今の時代って、何でもあるってことに柔軟になって、そういう意味でいい時代になったなぁ~(笑)
Taisyou15_koukoku02Taisyou15_koukoku03Taisyou15_koukoku この頃から、動脈硬化や脳溢血なんて文字が出てきているんですね。恐るべき老衰病か・・・。で、もうこんな時代から、痩せる薬ですよ!困ったモンだ!このイラストのキャラ達も怪しくて素敵。女性の腕に手をはやした広告はう~ん。金が入ったら、痩せたり、毛が生えたりを望むようになりますよね・・・ほほほ。
Taisyou15_sekaiissyu この時代に、娘を連れて世界一周ですよ。凄いよね!確かに記事になるよね。この娘さんはこの先どんな人生だったんだろう。
Taisyou15_takasima 生きているときから、高島さんは有名人だったのですね。黙って座ればぴたりと当たるって人がこの人だ。結局は殺される自分の未来は見通せなかったので、死んでから批判されたらしいが・・・。それでも、今でも年末になると高島易断の冊子は頂いて来年に備えている(笑)
Taisyou15_zassi
 小説の雑誌の広告は出ていました。吉川英治さんと菊池寛さんの名前が見られます。

 もっと、見たかったのだが、また行ってみよう!

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October 27, 2006

神戸からはじまったんだぁ~その2

前回の続きです。楽しみに待っていてくれた人はいるのでしょうか?(>_<)まぁいいや。自己満足のブログなので(^_-)

■ 駅弁
  明治10年2月、西南戦争のために、官軍は神戸港から兵隊を船で九州まで輸送していたので、神戸駅に派遣途中の兵士が多くいたため、そこで立売弁当販売の需要があり始まったとされています。

■ チンパンジーの人工保育
  昭和49年、王子動物園の飼育係亀井さんは母親を亡くしたチンパンジー「神ちゃん」を自宅に引き取り、おしめを付け、哺乳、お風呂に入れるなど満3才まで我が子のように育てたそうです。

■ 鉄筋コンクリート製の灯台
  明治26年11月、東垂水の平磯に初の国産セメントを使った灯台が建てられました。この灯台を舞台に、サマセット・モームが短編「困った時の友」を書いています。

■ メロンパン
  ラクビーボール型の白あんが入ったメロンパンは広島県のパン屋さんが発祥の地ですが、パン工場で大量生産を開始したのはコープこうべがはじめて。

■ 水上署
  開港当時からあったそうです。

■ カラオケ機器
  中央区日暮通にある音響メーカー「クレセント」が昭和47年頃にカラオケを考え出しました。

■ アルミ車両
  昭和37年、日本ではじめてアルミ車両を導入したのが、山陽電鉄の2000系でした。

■ 水族館
  明治30年、和田岬にあった「和楽園」に日本最初の水族館が建てられました。タイムスリップして見てみたいなぁ~。

■ 乗馬倶楽部
  社団法人神戸乗馬倶楽部は、大正4年に中央区脇浜に馬場を作り創設されました。民間の乗馬倶楽部では日本最古だそうです。

■ ケミカルシューズ
  昭和27年、長田区で誕生しました。

■ ゴム工場
  明治18年、日本護謨製造所が、兵庫区上橘通に出来たのが最初です。

■ 市民による生協
  大正10年、賀川豊彦が中心となって作られました。現在、単一の団体としては、世界一の規模だそうです。出来たきっかけは、8時間労働をはじめて開始した川崎重工の職員達が、正しい価格でものを買いたいと考え、労働組合からではなく、市民による協同組合を作ったのがはじまりです。すごいね!

■ 缶コーヒー
  書かなくてもすぐに分かるでしょうが、昭和44年、UCC上島珈琲が世界ではじめて缶コーヒーを開発製造販売をしました。

■ ブラジル移民
  明治41年4月、第1回の移民船が神戸から出航しました。制度が廃止される平成5年まで約30万人が移住しています。平成になってからもまだ続いていたのですね。知らなかった。

■ デパートの土足入場
  昭和12年、土足で入場出来るデパート「白木屋」の神戸出張所が、福原に出来ました。

■ 健康優良児
  昭和5年5月5日、第1回日本一健康優良児に大開小学校の望月さんが選ばれました。

■ 温泉
  3000年以上前に、有馬の里に温泉を発見したのが最初とされています。

■ 公営の海釣り公園
  昭和51年にオープンした須磨海釣り公園が公営では日本ではじめてです。

■ サンバ
  昭和40年頃、ブラジルからコーヒー豆を運んできた船員達が入港中の暇を見て街に繰り出したのがはじまりとされています。ちなみに現在、在神戸ブラジル連邦共和国名誉領事館という国際機関がUCC内にあり、同じくコーヒー豆の原産地コロンビアの名誉領事館もUCC内にあります。

■ 寝台列車
  明治33年、神戸から山口県防府市間を山陽鉄道が日本初で走らせました。

■ 河川トンネル
  明治34年に作られた会下山トンネルが我が国初です。

■ 花時計
  現在では100カ所近くもある花時計は、神戸が最初。

■ ウィスキーボンボン
  大正12年、マカロフ・ゴンチャロフによって、灘区船寺通で生まれました。

■ バス事業
  明治38年、有馬自動車鉄道が三田~有馬間にガソリンエンジンの乗合馬車を走らせたのが最初です。

■ 鉄道可動橋
  明治33年、和田岬にかけられたのが我が国初。

■ パン
  明治2年、外国人居留地に、イギリス人とフランス人のショップが同時に開店しました。

■ 斜張橋
  昭和30年代末から摩耶埠頭に建設が始まった。

■ いかなごのくぎ煮
  垂水区が発祥地と言われている。1960年代に垂水の漁業関係者がくぎ煮と名付けました。

■ マッチの輸出
  明治10年、県庁が神戸刑務所内にマッチ工場を開き生産。翌年に、神戸港から中国に輸出したのが我が国初とされています。

 まだまだ続きがあります。お楽しみに! 

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August 25, 2006

信長の棺

 ドラマがあるようで、姫路城でロケをしていたそうです。信長の死骸はどこに行ったか?歴史ミステリーのようです。いつするのかなぁ???

ニュース

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May 14, 2006

ホロコーストの復讐

 先日読んだレポートに、昨年出た記事が載っていた。

 AP通信で発表されているので、有名な記事かもしれないが、私は知らなかった。

 それによると、第二次世界大戦後、殺人部隊を組織して、ナチ党員の迫害者たちに復讐した話が、年配のホロコースト生存者のグループがあきらかにしたとのこと。彼らは、何百人ものナチス親衛隊(SS)を毒殺したらしい。
 イスラエルのテレビ番組で、生存者達が、真夜中にSSの将校達の狩りをしたことを語った。アメリカ人やイギリス人の将校を装って引きずり出し、処刑したという。
 もっとも大きな作戦は、「報復者たち」という暗号名で、パリから大量の砒素を入手し、アメリカ部隊に拘禁されているSS隊員達数百人分の食料であるパンに練り混ぜたというものだった。
 彼らは、ダッハウやニュールンベルグでも大規模な作戦を予定していたが、イスラエルの指導者になる予定のユダヤ人達が殺人を諦めさせたという。
 この数年間で殺人集団の報告者が発表され、イスラエル政府は、これらの報告書を見て見ぬ態度に出ており、昨年初めのポーランドからの殺人集団の被疑者の引き渡し要求を拒否している。

 実際、殺害されたとして報告されている数字はなく、入院患者が出たことまでしか分かっていない。

 この考え方にどう思いますか?
 復讐や報復はあんなに酷いことをされているのだから、仕方がないことだろうと思いますか?日本は、第二次世界大戦では加害国になっているので、被害国の多くの人達が何をしてもいい事にも繋がります。
 いつも、ナチスドイツと敗戦国日本を別物のように感じている自分がいます。
 ここには、ナチス親衛隊のみが報復にあっていますが、戦時中は他の国へドイツ国防軍が出向いています。また、ホロコーストを止めることも出来ていません。これも、日本と全部同じこと、知らされていなかったのではなく、その国だから知っておかなければならなかったことなのだと思います。
 よく会社で、社員一人一人が外に出たら、会社の顔と言われますが、
 日本人一人一人が、日本人の代表でもあるのですよね。
 では、いつになったら、解き放たれるのでしょうか。
 たくさんの戦争があったから、歴史が教えてくれています。総てが過去になったときなのでしょう。関係者が、知っている人間が、その時代を生きた人が、生きている間中、解放されることはないのですね。

 まだまだ、日本人の代表として、戦争に向き合わないといけないんだなぁと、この記事を読んでお思いました。

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March 01, 2006

実録・連合赤軍

 を「17才の風景」の若松孝二監督に撮らせたいそうだ。その為に資金提供を呼びかけている
 「天使の恍惚」という映画を見たいなぁとは思っていた。出来たら見に行くなぁ。

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February 28, 2006

ヒトラー 最後の14日間

 今月初めに方に見に行ったのに、忙しくって、しんどくって、書く元気が湧かなくて・・・、こんな感じになってしまいました。ところどころわすれていますが・・・。

 この映画見に行けて良かったです。私は、絶対見に行かないといけない映画でした。私は、変わったことが好きで、中学生の時には第二次世界大戦のナチス、高校時代はロシア革命と、ちょっと危なそうな子どもでした。
 なんせ中学生だから、周りは殆ど知らないのをいいことに、黒い下敷きに私の好きなゲッペルズやイギリスへ終戦を訴えに行ったルドルフ・ヘスの名前を書いていました。で、ヒトラーの忠臣ゲッペルズを好みながら、白バラの活躍やフランスのパルチザン、ヒトラー暗殺計画などに夢中になり、「大脱走」などの映画も愛しました。今の好きな有名人が、坂本龍馬と土方歳三という好対照なのと同じで、忠義を尽くしたり、それを守る美を愛したりすることと相反するテロやレジスタンスに魅力を感じるのです。割と、土方と龍馬のフアンは多いそうです。人間両方必要なのかもしれません。
 黒い下敷きに名前を書くぐらいでしたから、第二次世界大戦シリーズを読み、我が闘争を読み、ナチス関連本を読みする中学時代でした。そのおかげでこんなに変わった人間に形成されましたが、頭と外見は違って、ゲシュタポのコートも着ることなく、ごく普通のおねーさんになりました。
 その頃の歴史や好きだった暗殺計画の関係者や国防省の人達の名前なんかはカナリス提督ぐらいしか出てこないぐらい忘れてしまっていましたが、この映画で最後のヒトラーの周辺を見ると子どもの頃に返って血が呼び起こされたような感じでした。と言っても、また本を引っ張り出して読みたいまでは思いませんが・・・。

 この映画は、戦時中ヒトラーの秘書をしていた人からみたヒトラーやその周辺の人達を描いています。最後の2週間は、諦めムードのヒムラーに代表されるような嘘の顔で接していた忠臣は離れ、指揮系統も把握出来ずに始終イライラしているヒットラーのそばに、色々不満を漏らしながらも、最後まで離れずにいた人達の姿や、忠義をつくし、ヒトラーが死んだ後に同じように死んだゲッペルズなどの姿を見せて貰い、ブルーノ・ガンツが本当のヒトラーに見え、本当の最後の参謀本部がそこにあり、歴史を見せてくれているようでした。自分の街が壊滅されていくのに、第三帝国のためには綺麗に無くなった方がいいと語り、国民なぞ礎としか考えておらず、その中では600万のユダヤ人は完全に無視されていた。そんな中にいたら、普段は優しいヒットラーはヒットラーおじさんとして愛されもするだろうし、有能な秘書がそんな悪いことをしていたと知らなかったと言っても仕方がなかっただろう。
 荒廃したミュンヘンは、最後の姿をまるでソドムのように君臨している。

 凄い世界だなぁと今なら冷静にその時代を見ることが出来る。
 一番驚いたのは、四方から敵がやってきて、ミュンヘンで無条件敗北をしたのにもかかわらず、600万のユダヤ人が亡くなったのにもかかわらず、亡くなったドイツ人は5000人ぐらいだった。阪神大震災より少ない数字。600万と0.5万。なんて違いだ。惹かれる気持ちは今でもよく分かる。でも、本当の姿は大人になってやっと理解出来たのだ。

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January 26, 2006

龍馬の黒幕

 って、あーた。そんな論議は困るなぁ~。TBS系で2月に放映されるのだが、黒幕なんていってもらっちゃあ、まるで龍馬がコマのように動いていたみたいじゃん。
 そんなことはない!私の愛しのダーリンは、色んな人の影響を受け、右往左往しながら、自分の道を見つけていったんだい。

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November 12, 2005

オーパーツ

 オーパーツって何か知っていますか?
 Out Of Place Artifactsの略で、「場違いな遺物」という意味です。

 まだ、全部は読み終わっていないのですが、TVやHPで紹介されていないものを取り上げます。

■太古のはずみ車
 エジプト国立博物館所蔵で、現在は展示されていません。5000年前のもので、副葬品として出てきました。形は、船のスクリューのようになっています。考古学的には石皿だそうですが、何も知らされずにこの写真を見たら、船や飛行機のプロペラ?と思ってしまいます。

フラクタル図形
 何のことか分からない人の方が多いと思うので、分からない人はまずはリンク先を覗いて下さい。余計にわけ分かんなくなったでしょう(笑)。
 提唱されたのは近年、1975年。マンデルブローが従来の数学理論では説明不能な事実をこのフラクタル理論で説明出来ることを発見した。この図形は、マンデルブロー量の演算をコンピュータで行うことによって初めて行うことが出来るのだが、13世紀の聖書の口絵や、中国神話の「天竜」の図案、古代の絨毯、チベットの曼荼羅図にフラクタル図形と見られるものが存在している。

■地図
 有名な聖徳太子の地球儀なども存在しているので、地球の形が遠いところから見られて全体像が認識されていたとしてもおかしくないと、はっきり言える時がいつかやってくるのでしょうが、今は近代の発見の中での知識なのでそんなものがあるはずないといったたぐいになっている古代の地図達。
 湖南博物館所蔵の2100年前の遺物であった地図が、縮尺18万分の1の衛星写真と同じ精度で描かれていた。

■部品
 1990年代初頭にロシアのウラル山脈で発見された工業部品と思われるような小さな物体。大きさが0.003ミリから3センチと多様で、螺旋状の物体である。銅やマンガンなどで作られているのだが、推定2万年前から30万年前だそうだ。

■ツタンカーメンのトランペット
 は、トランペットを吹く人には有名なのですが、その神秘性を知っている人はあまりいないようです。これは単なる偶然と言われるかもしれませんが、トランペットを調整し吹き鳴らしたら、カイロ市及び周辺が大停電になったそうです。それも2回も、結局2回で吹き鳴らすことは止めたそうです。

■石に閉じこめられたヒキガエル
 イギリスで多く報告されている。また、いずれの場合も、石を割った時点で、中にいるヒキガエルが生きていたらしい。これは、オーパーツと言うよりも自然の神秘かもしれない。オタマジャクシの時に多孔質の石の中に紛れてしまったという説がある。しかし、割った人はびっくりですよね。

■その場所
 南米・中南米は黄金ジェットや恐竜の土偶などは有名ですが、他にも色々存在するする地域です。
 宇宙人のような土偶も多いですが、それなら日本の遮光器土偶も負けていないでしょう。宇宙人古代飛来説はいつか学問として扱われる日が来るでしょうが。
 エクアドルのジャングル「ラ・マナ」というところで、ピラミッド・ストーンが発見されています。同じ廃坑から300点のオーパーツが出たそうです。
 ここから出たピラミッド・ストーンは、有名なロスチャイルド家とブリュッセルの魔女の家と発見したソトマヨーア氏所有の3つあるそうです。このピラミッドストーンは21センチぐらいで、頂上に蛍光物質を埋め込んだ目を埋め込んでいて、紫外線を照射すると、赤みを帯びた燐光を放ちます。
 また、この地は鉱物資源が多く含むため、磁気エネルギーが強く、その土地の水は、ゴールド・ウォーターと言われ、ボヴィス値が高い。このボヴィス値は検索しても説明しているHPがないのだが、フランスのボヴィス教授が野菜や果物の新鮮なものと古いものと比べたときに、新鮮なものの方が高い値をつけたものをボヴィス値と呼んでいる。これが高いものを食することで免疫力が高まるという。その値が高い水だそうなのだ。で、この著者達は、この水を自国で輸入販売しているらしい。自然食品の情報が多いと思われる日本ではまだ販売はされていないようだ。オーストリアに行かれる人は一度お試しあれ。

テキサス・ハンマー
 テキサスで出土した1億4000年前から4億年前のハンマー。現在クリエーション・エヴィデンス博物館に所蔵されている。鉄製のハンマーに木製の柄が付いている。これが現在のものでなかったのなら、タイムマシンに乗って過去に行けるようになる日が来るって事でしょうか?ドラえもんが何度も恐竜時代にタイムスリップしているように、いつかは白亜紀に行くことが出来るのでしょうか?私の好きなTレックスをサファリパークのように車に乗って見回る日が、私の体が動く間に来ますように。

 取りあえずこの辺でおきます。興味を持たれた方は、オーパーツ大全という本をお読み下さい。これよりももっとたくさんのオーパーツを目にすることが出来るでしょう。

 ところで、年代測定というのは、どれぐらいの精度を有しているのでしょうか?

 年代測定法というのは、含まれる有機物などにより年代が分かり、二種類以上の測定法を用いることにより確実な年代測定が可能だそうです。放射線炭素測定法があるようですが、私には分からない世界なので、詳しくはリンク先で確認して下さい。
 年代測定法にも誤差があると言われてる方もあるようで、全部が全部オーパーツでなくても私はかまいません。
 やはり、夢や謎は人生の楽しみでもあるのです。子どもの頃に1999年に恐怖の大魔王が7の月に降りてくると知りました。どんなことが起こるのだろうかとドキドキわくわくしたものです。上記のことが嘘偽りがあったとしても、どれほどのロマンをかき立ててくれたかは言い切れないでしょう。
 それに、今の歴史が正しいとなんて誰も信じちゃいないでしょうし。歴史の研究されていた方のお家に訪れたときに、膨大な書籍が二束三文という話をされました。変わりつつある過去の歴史。どんなことが出てきてもおかしくないですものね。いつも、ビル建築現場の発掘作業中の看板を見るだけで、熱い気持ちをたぎらせています。

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November 03, 2005

兵庫の歴史講座

 兵庫といっても、兵庫区。それも兵庫津のお話を聞いてきました。話の中心は、蕪村・大魯・来屯の話。その話を書く前に、今回は別にお話の無かった資料を見ると、2~3万年前に、兵庫区会下山に石器を使った人達がいた。縄文時代の石器は、垂水区の大歳山、西区平野町で出土。灘区の桜ヶ丘で弥生時代の銅鐸が発見され、古墳時代には、務古(武庫)水門と敏馬浦(みぬめうら)の名称が使われていた。灘区に敏馬神社があり、8世紀の伝承を語り継いでいる。兵庫津が神戸の古い港という印象があるが、万葉集にも出てくるこの灘区のHAT神戸の辺りが一番古い神戸の港ということだろう。あまり意識して考えたこがなかったが、大阪は都に近いがなぜ繁栄した港にならなかったかというと、浅瀬であったためらしい。都に近い所で、浅瀬ではなく、先端が出ているところ、そこが目につきやすいということで、敏馬浦や兵庫津が港として利用されたということだろうか。
 そして、古事記・日本書紀に、兵庫区の夢野の名前が出てくる。やっと、8世紀になると大輪田の泊の名が出てくることになる。以前に書いたが、清盛は六甲山渓と瀬戸内海の城壁にはさまれた海の玄関口を兵庫津に選んだのであるが、同じ山裾の敏馬浦をなぜ選ばなかったのか?やはり京都からの街道と結ぶ今でいう有馬街道があったからでしょうか?
 清盛により経ヶ島建設が行われ、大輪田の泊はクローズアップされてきます。一ノ谷合戦のことを記した「吾妻鏡」に初めて兵庫の名が出てきます。前にも書きましたが、兵庫県庁は兵庫区に置かれていました。兵庫という名前が県名にまで使われるぐらいの重要度がこの時代から始まるのです。しかし、平安・鎌倉・室町時代に隆盛を極めたこの港も、応仁の乱で荒廃し、堺に貿易を奪われることになります。その後、秀吉が兵庫を直轄地とした事もありますが、ちょうど震災の400年ほど前に大震災があり全滅したそうです。1596年。1995年、じゃあ次は2395年あたり?
 次に兵庫津の隆盛を担ったのは、上記3名に関係する北風家。江戸時代には廻船問屋として力を付けて、当時の貿易港堺からお客を奪っていきます。
 流通ビジネスの才は昔からこの地域にあったのか、荷主や船頭たちにサービスをしたようです。兵庫津に着いたら、この北風家で食事を頂き、お銚子が1本付いてくる。時化で出られないときには、宿泊も出来ると、サービス向上で荷が集まり、とうとう堺と同じ、幕府の直轄地とされ、米や材木なども扱っていたようです。
 そんな北風家に庇護を受けたか、サービスの勉強をしたのか、全国的には函館じゃないのと思われがちな高田屋嘉平衛が兵庫津に店を構えます。場所は前にも書いた川崎重工の辺りです。
 司馬遼太郎さんの「菜の花の沖」は彼が主人公で、北風家のサービスは船頭たちを見下げたようなサービスと批判的に書かれているそうです。
 やっと、上記3名の話になりますが、ここからが今日聞いた講演の内容なのですが・・・。

 須磨浦公園の瀬戸内海を望む所に蕪村の句碑があります。

春の海 終日(ひねもす) のたりのたりかな

 この展望に相応しい句だと思います。芭蕉から遅れて生まれてきた蕪村は、芭蕉と違ってお金が無く、旅をして句を詠むと言うことも少なかったようです。京都に居を構え、上記の豪商北風家当主に厚遇されて、庇護を受けます。その蕪村の弟子が大魯。それから、北風荘右衛門貞幹の俳号が来屯(きたむろ)といいます。
 俳句塾という形で、北風家に蕪村を呼び、句会を開いた記録があります。
 和田岬駅近くの和田神社は江戸時代までは海の近くにあり、その社務所で句会が開かれたりしたそうです。しかし、三菱に追い出され、今の場所はずいぶんと陸地に入りました。その時の句会の句碑が和田神社でみることが出来ます。
 北風家は明治20年代に没落するそうです。しかし、神戸の港を盛り立ててくれた一族に感謝したいです。ありがとう。

 

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September 25, 2005

源平合戦の道を歩く⑦

 今回も歩いたわけではありません。源平の話も終盤を迎えてきました。大河ドラマの方は佳境に入ってきました。
 今日参加したのは、兵庫区主催の源平のシンポジウムです。タイトルに、虚実と上がった講演会も兼ねていたので、大盛況のようで、200名定員だったのが、場所を変えて300名ほり込んでくれました。大河が放映しているからでもあるのですが、歴史熱の高まっているのかなと感じてしまいます。しかし、いつ見ても老紳士ばかり、たまに老婦人などを見かけるのだが、若年者がいない。私たちが一番若いと堂々と言える(笑)。こんな面白い話なのに、勿体無いなぁと思ってしまいました。帰りに友人T1とケーキを食べながら、なんか知らんけれど、地元の歴史に関心を持つような義務教育をしていないよなぁと話し込んでしまった。
 で、今回、「源平合戦~伝承された闘いの虚実」と題して、行われたことはと言うと、東京の大学の教授が大胆な仮説を聞かせてくれたのだ。最初の兵庫区まちづくりの人の話では、須磨区・兵庫区どっちが逆落としのような話をされていて、「そら、長田区やろ。西の守りやで。」と勝手につっこんでいたのですが・・・。そんな生やさしい話ではなかった(笑)。
 冷房が効きすぎて、すべての体の組織が体を温めるのに必死になっていたから、「眠っちゃいかん!」って状態になりながら聞いていたので、大きく間違っていたら、ごめんちゃいね!

 簡単にまとめてしまうと、源平の生田の森・須磨一ノ谷の闘いは、平家物語や吾妻鏡に記されているのだが、どうもこの地のことをよく分かっていない人物が書いている。これはまた、生田の森の合戦を伝えた源範頼の報告による影響、一ノ谷の闘いを報告した義経の影響と言える。土地が分かっていないのに、闘いに行けるのかと言うことになるのだが、源氏はその土地の有力者に参戦を求めるやり方を常にしており、それによって進軍がしやすくなっていた。
 清盛が福原京を開くときに海までの土地を眺めながら構想を練ったという神社の話は以前に書いたのだが、そこは鵯越から南、今は有馬街道と言われる所の山へのは入り口にある。福原京はそこから南へ東西に広がっている。福原京の守りは六甲山渓が存在するのであるが、六甲山渓を超えたところに、街道があり、それは東西に道が出来、加古川まで続いているのだが、その街道の唯一の南に下る道が鵯越、有馬街道の辺なのだ。清盛は理想郷を求めただけあって、街道から南に下る鵯越までの界隈東は宝塚まであるらしい山田庄という土地を持っていた。もう一つ、加古川のあたりも持っていたらしい。入り込むルートは抑えたと言うことだ。しかし清盛の時代が終わると、対平家の武者たちが便乗して武功をあげようと、源氏軍と組んでいる。資料に「儒林拾要」を出されて東国武士だけではなく、土地勘のある摂津の武士が部隊を編成しているのだ。ここで面白い仮説を唱えられているのだが、重要な多田行綱の名前がその回覧手紙に載っていない。なぜか、それは回覧した人物要するに重要な人物であったから、一ノ谷の闘いから1年後に、多田が源氏に滅ぼされている。なぜか。京都で人気があり、一ノ谷から屋島までの間1年近い間に京に止まっていた義経が、一ノ谷の闘いを話するときに、自分の手柄ではないものも自分の手柄のように触れ回っていたことだろう。で、多田行綱の逆落としのいきさつが義経の話となって伝説化したのではないかという話をされたのだ。
 おぉー、逆落としは義経にあらず!?

 色々異説を唱えることで、その証拠固めで文献を探しまくり、今までの文献も違う方向から見る。それによって、歴史の新たな発見が・・・。異説ほど歴史を楽しくして貰えるものは無いだろう。これがまた定説となっていくのだ。
 今日は面白いことを聞いた。

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August 11, 2005

腕がいたいのら

 今日はとても疲れたのら。午前中、盆休み前の配達の手伝いに行って、25キロとかをとととっと運んだのだ。で、昼から、社内の掃除となって、1階のすべての机をマイペットで拭き拭きしたのです。折角綺麗にするんだからと、テープの糊跡とかをてててととっていました。
 で、4時から会社に来たお中元の抽選会。私はビールが当たったのですが、隣にいたMさんがビール当たればいいなぁと言っていたのに当たらなかったので、交換して、海苔とサラダ油を頂いてきました。お中元で一番良かったのは、YSLの掛け布団でしょう。これって、会社のお中元らしくないですよね。きっと、会長とかの個人宛のお中元がまわってきたんでしょうね。この業界は、お中元が多いから、いいねぇ~。
 今日は、すっごい汗のかき通しで、手に力を入れすぎて、早く帰ってきたのにもかかわらず、ばたんきゅうでした。おばばさまも日曜日も休まず働いていたので晩ご飯も近くのお好み焼き屋で、モダン焼きを買ってきました。あ~ぁ、ソースの味もう極楽でした。本当にこの辺から引っ越し出来ないです。でも、腕のつらさは取れません。あしたは整体のところに行くつもりです。骨盤もいがんできているし・・・。

 昼休み、素敵に昼ご飯に向かおうとしたのですが、私の可愛いデジカメちゃんを持ってくるの忘れてしまって・・・、それなら久しぶりにモスバーガーでも・・・って入ったら、久しぶりのモスチーズバーガーめちゃ美味しい~。マンゴラッシーなんかもある。これは、モスバーガーを食べ尽くさなきゃ。早く終わったので、図書館に本を見に行った。
05_08_11 大きな図書館ではないのだが、会社の近くにあるので、こりゃ便利。お盆休み中読むものを借りてきた。このあたりに、以前アサヒシネマという懐かしの映画やアジアの映画を良くやってくれた映画館があったのだ。で、今の会社はいる前に働いていた会社は、その近辺にあり、映画館の近くだったので受けに行ったのだが、就職する時点で、私の家から自転車で約5分のところに移転してきたのだ。がっくし。それ以来、会社帰りの楽しみは、コンビニしかなかったという。悲しい出来事だったんだが、今は、その図書館にも行けるし、もうすぐ新聞会館が建つので、その中にシネコンが入るらしいから、私にとってはあとは素敵な昼ご飯で、毎日の会社ライフが充実するのである。

 借りた白州正子さんの世界。今BSで白州正子の世界というのを夜中にやっているので、毎週録画してみているが、最初から消さずに残しておいたら良かったと悔いるような番組だ。短い時間であるが、近畿地方を今取り上げているので、近畿地方の歴史が好きな方は面白いかもしれない。
 そうそう、9月25日に源平合戦~伝承された闘いの虚実というシンポジウムがある。申し込みが必要なので、詳しくは兵庫区役所まちづくり推進課に聞いて下さい。

 なんか、blogさんに貼っていた「レインボーマン」の俺たちゃ悪魔だ死神だぁ~あいつを倒せ~の音楽が耳に残って、覚えてしまった。会社でふと歌い出しそうになるので、いくつやねんと思われたらいけないから、歌わないように気をつけていました。

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June 29, 2005

源平合戦の道を歩く⑥

suma01suma02suma03 一昨日須磨区にいた。梅雨なのにいい天気。須磨の海岸は海開きに向けて急ピッチで海の家を造っている。基礎はH綱なのね。125ぐらいの小さなものだった。ちょっとびっくり。しかし、まだまだ出来ない海の家を尻目にねーちゃんやにーちゃんは浜辺でわいわいしていた。この須磨海岸に来るのは、観光客が多い。地元は明石の林崎の海岸が綺麗なので、山電に乗ってとことこいくのだ。そこにはおしゃれな海の家もTVの取材もないが、えー海が広がっている。長いこと水着で人の目を苦しめていないなぁ~。やっぱ、痩せなきゃいけないし、お呼びじゃないよなぁ~。
 この日は、私の入っているところでの内輪での源平合戦巡り。チラシまで作ったけれど、大して集まっていない。まぁそれの方がいいんだけれど・・・。私の福原京からの簡単な源平合戦の説明を集合場所で聞いて貰ってから、敦盛塚へ。義経が駆け下りたのは須磨区の一ノ谷じゃない話をすると、みんなへぇ~と驚いていた。やはり、知盛が生田の陣から西の守りの長田区まで来てそこから船で逃げる話とかすると、自分も楽しくなってくる。これって、平家物語の琵琶法師が語り継ぎたくなるような面白みが分かるってことかなぁ~(笑)。
sumaurakouennekisumaurakouen 須磨浦公園を通って東へ。ここは、花見の時期になったらたくさんの宴会が行われる公園だ。子どもの頃ここに良く連れてきて貰った。その頃と今も変わらない。残念ながら、遊んでいる子どもはいない。住宅地より遠いので、簡単には遊びに来にくいのだ。この上に須磨山上遊園がある。昔ドレミファ噴水パレスちゅうのがあったので、その話をわいわいする。記憶にないが、昔CMで、「どれみふぁどれみふぁ噴水パレス、わぁ~♪」ちゅうのを聞いたような気がする。
sumaurakouen03 こんなんあった。震災時に落ちたから震災モニュメントになった。公園を抜けて、北に向かう。
itinotanichoitinotnicho02kazunomiya 一ノ谷町を上に上がると、階段の上にこんなんが。車通るわけでもないのにね。もしかして、広いから間違って下りようとする車が入るのかも・・・。んなわけないか。そこを過ぎたら、マンションの入り口にとてもかわいい置物が置かれていた。盗られる心配がない所なんだとみんな感心する。その近くに安徳天皇内裏跡がある。ここの説明書きに二位の尼こと清盛の妻、ドラマでは松坂慶子が安徳天皇を抱いて入水したことが書いている。「神戸みなもとの道」パンフを持っている人、質問の答えはこれだよ。その時に、三種の神器と一緒だったはずなので、天皇側は見つかったとしているが見つかっていないだろうから、今見つけると継ぐことが出来るかなと、みんなで笑っていた。須磨の海に朽ちてあるかもしれない。徳川埋蔵金より確実かな?最後の写真は和宮の像だ。何でこんな所にと思われるだろうが、須磨区にある離宮公園とか垂水区の舞子ビラとかは有栖川宮の別邸跡のはず。この場所を北東に行くと離宮公園がある。有栖川宮が東京に入り込んだときに、持って帰ってきたのかもしれない。有栖川宮と皇女和宮は婚約していたにもかかわらず、公武合体の犠牲になった。そういう経緯だ。須磨の山奥に置かれていたのをここに移転させたそうだ。今じゃ、有栖川宮って聞くと、あの夫婦を思い出すね。そうそう、モルガンユキのなんかがあるとも書かれていたが、確かめてこなかった。モルガンユキって何ってきかれ、明治頃に貴族か金持ちの所に嫁いだ日本女性だ。NHKでドラマもしていたはずだよと、説明する。何って聞いて貰うのがめちゃくちゃ嬉しい私であった。自分に対して何が一番の褒め言葉かっていうのは、18歳の時に25歳の人からホーンブロワーって知ってると言われ、帆船ものでぇ~って説明すると、「なんでも知ってるなぁ」と言われたことだった。そうそう、中1でサド侯爵とザッヘル・マゾッホの話が出来るぐらいだったのだから、そこから大したことがないのに変な自信が生まれてしまったのだな。
 そこから、さくらの季節なら素晴らしいだろう道を通って、須磨寺へ。
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 800年代にはこの寺があった。敦盛の首はここで洗われて、首塚に納まっている。ここには、敦盛関連のものが多く残っているのだ。有名なのは、青葉の笛。京で雅やかな暮らしをしていた平家の人達は歌や楽器に素晴らしい才を持っていた。この敦盛も16才にして笛の名手だったらしい。今で言う高校生の年齢で、戦っているのだ。昔の16才は今の30才と言うが本当にそうだろう。この寺にはマニ車とかも置いているのだが、ぶじにかえるという石像もあって、忙しい人は目を回して、借金に苦しんでいる人はかえるの首を回すと言ったしゃれもある。あとは、どこにでもある3ざるが5ざるになっている。時計は1時間おきにあらわれるからくり仕掛け。運よく見られる時間にいた。
sinohara この中の休憩所でお昼を食べた。私だけがお弁当を持ってくるのを忘れてしまって、須磨寺の商店街でいつもTVの取材が来る志らはまでお弁当を買ってくる。この写真ので900円。このあたりではめちゃくちゃ有名店なのだ。もちろん美味しかったよ。でも、水分補給しすぎで、おなかがぽんぽこりんになってしまった。
sumadera_isininngyou 須磨人形と言って、石で人形を作っている。ここには須磨琴というのもある。弦は1本だけだ。
IMG_0032 この須磨寺の近くに池がある。綺麗な色のトンボが飛んでいた。あとは、須磨寺駅に行って解散。と言っても、全員JRなので、須磨駅に行った。須磨駅では海の家がないからかトイレの中で着替えをしていた。入ってされるとトイレに入る人を待たして悪いのだろうが、トイレを待つところで他の人がいるのにどうどうと着替えをしていた。しゅごい。

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June 20, 2005

源平合戦の道を歩く⑤~兵庫区歴史花回道

 兵庫区は神戸発祥の地です。と書かれたパンフレットを持って、兵庫区内を歩きまくった。昨日は福原京コースを巡る。パンフレットの順番通りに回ることにした。前のウォークラリーと違ってのんびり気味で歩くことにしたので色々寄り道が出来た。
bigmanbigman2 まず最初は、神戸駅から出発。番号①にビックマンとあるが、何かの店があるのかと、新開地商店街の南端をうろうろしていると、今どき珍しいパイプを持ったおじさんが声をかけてきた。ビックマンしらんなぁと地図を見てくれて、もっと西やとそっち方面に行くから一緒に行こうと歩いてくれた。で、結局おじさんが言うところにも無く、おじさんとは別れを告げた。神戸には当たり前にいる気さくなおじさんなのだが、いまから愛人との旅行やねんと嬉しそうで行ってしまったパイプおじさんは新開地ならではかも。友人達とあの服装にあのパイプどんな職業の人だろうとあとで話題が出た。朝早かったので、聞く人も歩いていないと思っていたところ、シャッターを開けたおじさんを見かけ、ビックマンを聞くと、そのおじさんも知らないのに、こっちとちゃうか、こっち行くから一緒に行ったげると、新開地商店街に戻った。で、やっとスタンプ発見。それが置かれている理容室の主人が出てくれて、ビックマンの説明をしてくれた。それは、商店街の南端にあるゲートのこと。近くに寄ったら何のことか分からないけれど、離れてみるとチャップリンの形に見える。公募を募って完成させた作品で、高専の先生が作ったらしい。その先生は、この作品で有名になり、学校を辞めてフリーで活躍しているそうな。その主人がこれもって行きと、新開地100年記念の冊子をくれて、それに載っている喫茶エデンに行くことにした。そこまでついてきてくれた親切なおじさんとT1との話は満州まで遡っていたらしい(笑)。
eden4eden2 三菱で船を造っていたドイツ人に設計して貰った喫茶店で、懐かしい昭和の臭いがぷんぷんしていた。ここで、ミニサンドが付いたモーニング350円をとり、懐かしいおばあちゃんの家はこうだった話をした。私にはこんなところに住んでいるおばあちゃんちがないからいいよなぁとは思った。チャコールグレーの色合いってなぜか過去にタイムスリップさせる魅力があるね。
minatogawa_kohen1minatogawa_kohen2tenpu 最初からのんびりムードで始まった散策。このあと、新開地商店街を抜けて湊川公園にはいると、骨董市をしていた。そばには将棋にいそしむおじさん達。友人達は古いものに見入っていた。2枚目の写真。とっても気になるけれど、手に取るのが恥ずかしかった。まだまだ修行が足りないなぁ~。3枚目は、夢の栄町の店舗にいいなぁと思った木製ののらくろ看板。骨董屋の主人にどこに店があるか聞いておいた。これで、1枚1万3千円らしい。高い?安い?本当に店を始めるなら、ヨーロッパも東京も骨董市回るよきっと。
minatogawa_kohen そこを過ぎると、公園の北東に足つぼ歩きや健康器具の場所があった。靴を脱いで試すと私は肝臓のところが痛い。でこぼこのところを歩いたら、痛い痛い、思わずつま先歩きになっちゃう。いいなぁ~こんなの家の近くにあったらいいのになぁ。
 ここを過ぎて荒田町の界隈にはいると、安徳天皇の菩提を弔う為に建てられた宝地院、清盛の弟・頼盛の山荘跡に建つ荒田八幡神社に向かう。前と違って、「ただの通りすがりです」と念じながら、スタンプを押してきた。それから、平野に向かって北に上がり、途中、ここに市場があるねんと連れていったが日曜日は定休日だったので残念した。そこから北に上がり、清盛が自邸が出来るまでに住んだと言われる東福寺に行った。そこから、有馬街道沿いにある祇園神社に向けて歩いたのだが、地図のコースと違うところに行ってしまったので、修正しながら歩いていたら、えらいものを見つけてしまったのだ。
katukaisyuu1katukaisyuu3katukaisyuu4 勝海舟の寓居跡を発見したのだ。神戸の教練所のために来ていたときに使っていたらしい。と言うことは、その頃塾頭だった坂本竜馬も来ていたってことだ。神戸に詳しいと思っていたが、初めて知った。今日のめちゃくちゃ大収穫だ。でも、教練所は、元町商店街の西端神戸駅の近くにある。あんな遠いところにここから通っていたとは、確かに見晴らしは最高だっただろうけれど・・・。
gionjinzya1gionnjinzya2で、祇園神社から見た神戸。この祇園神社で、清盛が経ヶ島の築造の計画をここで海潮の響きを聴きながら練ったそうだ。この山寺で・・・、神戸がどれほど海に広がって作られたのかが分かる話だ。この神社が建つそばに有馬街道が走っている。この道を北に進むと鈴蘭台や六甲の裏を走る道路へと繋がる。北区住民が南に行くときに使う道路だが、新神戸トンネル以外にはここしかなかったので、混む道路だ。神戸が歴史的に他者の行く手を阻む街だと言われる所以である。その自然の頑固な守りに打ち勝った義経勢は凄かったってことか。
minatoyamaonsenyukiminogosyo この道路が出来ているのも、川があるから、谷間が出来ているからなのだ。その川はつい最近まで台風が来ると氾濫し、浸水を繰り返してきた湊川だ。その山裾に天然温泉が2つある。スタンプのある方は、写真の湊山温泉、もう一つは天王温泉だ。一度は行ってみたいのだが、ちょっと不便なところだ。駐車場があるので、車がある人は来やすいかもしれない。そこを南に下がり、夢野に向かうバス道沿いに、清盛の邸があったとされる雪見御所跡がある。2枚目の写真がそうだ。そのまま夢野に向かって、石井町から氷室神社に向かった。
himurojinzya2himurojinnzya1himurojinzya3 どうやらここは、兵庫区としての見解の義経の逆落としの場所らしい。各区とも見解が違うのも、義経人気がそうさせていると言うことなんだろうけれど、死者が多い長田区が義経が下ったコースではないかと私は思っている。ここに行くのは大変だった。親切なご近所さんに何度も道を尋ねながら、向かった。珍しいことにこんな住宅街の神社にお札を置いてお金を入れる入れ物を設置している。両方ともとる人がいるかもしれないが、昔ながらのところなのでそんなものをとる人はいないいても困っている人なんだろうといった下町感覚なのだろう。で、もう一つ珍しいのが、そのあたりに関係している漫画を置いていた。もう一度行って読んでみたい気もするが、もう二度とこの坂道は上らないかもしれない(笑)。そこから、熊野神社に行き、その南にある夢野商店街を通り南に下った。川崎病院から南に進むと願成寺がある。ここには源平合戦で死んだ平通盛とその妻達の供養塔が建っている。そこを南に下ったら、神戸のマンションの大手和田興産のマンションギャラリーがあり、その横でオール電化に対抗するために頑張っている大阪ガスのDelipaのイベントカーが食べ物を配っていて、声をかけられアメリカンドックを頂いた。中に入って見たら、3LDKで70㎡ってなんかこれせますぎるやん。で、3千万以上。おいおい一人しか住めないよこの広さ。いま住んでいるところを棚上げして思わず思ってしまった。お風呂は広かったかな。風呂の窓があるのは気に入ったけど・・・。
ippei で、神戸で有名なグリル一平でランチをする。友人T1がカレーをお昼に食べたら、家に帰ったら夕食カレーだったってことがよくあるんだよなぁって言っているのを聞き、私んちの夕食はカレーだった(笑)。ここは、オムライスが有名。オムライスにしていたらよかった。新開地商店街の北側は、パチンコ屋さんばかりになった。こんな大きい店舗どれだけ来るねんと思ったが、昼から前を通るとお客でいっぱいだった。昔、この通りを歩いてはダメと言われたって話を通りながらする。私はこの雰囲気が好きだから昔から一人で通ったりしていた。でも、昔の雰囲気が無くなってきていて、惹きつける魅力が無くなってきたのが寂しい。夫婦餃子って水餃子の美味しい店があったのに、それも見あたらなかった。綺麗で、誰でも歩ける商店街を目指しているのだろうが、ちょっと寂しい気もする。神戸の中心だったところだから、繁華街で当然なのになぁ。
 食べた後、最後の厳島神社に向かう。判子を見せて記念の弁天人形を貰ったが、すぐにどっかにお納めしないといけないので、貰わなかったらよかった。このコースのは、この日でおしまい。他のコースも回っていたクさんは、七辨天てぬぐいが貰えるのに、この神社では品切れで、もう別のコースを行く力もなく諦めた。残念。こういうのがあると、別に欲しくはないけれど、回ってみようと思うよね。兵庫区さん有り難う。
metrokobe_alice ここから、二人が行ったことがないというので、神鉄会館を下りて、メトロ神戸を東に向かった。ここには飲食店が並んでいる。お気に入りのじゃーじゃー麺が200円ぐらいで食べられる御座候の店が無くなっていてがっかり。この値段ならめちゃ美味しい所だったのにぃ~。新開地の駅を越えると、昔の大学生達が書いた壁画に出会う。もう何年見ているだろう。そこから、西にゲーセンがあり卓球場があり、古本屋街が続く。この古本屋は、元町の高架沿いにあった店が移転してきたものだ。子どもの頃、そんなところにまで古本や巡りしていた自分も凄いなぁと感慨にふける(笑)。そのまま、高速神戸に出て、ディオ神戸と繋がり、ハーバーランドまで繋がる地下道だ。
kihinnsitu 最後に神戸駅の中のイタリアントマトでお茶をする。なんと、天皇陛下が御召列車を待つ間に使われた貴賓室が奥で公開されていた。兵庫区も侮れないのだ。まだまだ知らないものを隠している。

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June 04, 2005

blogうろうろしてみました。

 ひっさしぶりに巡回してたら、X51.ORGさんの失われたアークの発掘が始まった記事を見つけた。わーい、古代のロマンだぁ~。死海文書だってあんなところにちゃんとあったのを偶然に見つけられているんだ。楽しみだぁ~。インディ・ジョーズも映画が出来るし、嬉しいことが続くなぁ~。
 京の昼寝♪さんのところでは、ピンク・グレープフルーツを飲むと6歳若く見えるって記事が載っている。そうかぁ、だから、美容に詳しい友人Sがいつもグレープフルーツを飲んでいたんだ。これから、オレンジばかり買わずにグレープフルーツを買おう。
 超絶さんで、ニワトリの洋服が出来たと書いているのだが、めちゃ可愛い~。

 そうそう、6月の教育テレビでやっている知的好奇心は爆笑問題の太田光が向田邦子のことを取り上げている。昨日本屋で読んでいたものに、12年おきに優れた逸材が生まれているといった記述に彼の名前があった。爆笑問題は、さんまに続く逸材なのか。私は期待したいが・・・。

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May 28, 2005

学校へ行こう~♪

siminntosyositu 学校の図書館が開放されていたので、入ってみる。司書と子どもが二人いるだけ。小学校だから、学校内の図書館とは違うのかなぁ。大人が読む本が多いので、別の図書館なんだろう。物見遊山で入ったのだが、あまりしーんとしているので、取りあえず何か借りることにした。1週間5冊かぁ。と、目の前にあった電車男を借りることにした。身分証明もいらなかった。
 長いこと大倉山の図書館に行っていない。大倉山とは神戸の中で一番大きな図書館だ。中学生の頃からずっと通っていた。クラシックのレコードをただで聞かせて貰えるし、気持ちいい光が入ってくるし、面白いジャンルが山ほど広がっていた。ここで、第二次世界大戦シリーズを借りまくったのだ。1日いても飽きないところだった。学習室がある塔に食堂があり、学食のような味わいがあった。建物から抜けると、いつも行列が出来ていたもっこすがあった。もっこすは、昔はめちゃくちゃ美味しいラーメン屋さんだった。ただ、この図書館に出向くのがめんどくさかった。家の近所ではないから、電車に乗っていかないといけない。借りるときはいいが、返すときはめんどくさくなる。でも、本当に良く通った。子どもの頃から図書館が好きだった。小学校の図書室で、不思議な話を読んだ。それから、この傾向が出来てしまったのであろう。今でも覚えている。外国のお話で、不思議な話がつまっている本だった。いじめられていた女の子が、殴られて目の玉が飛び出したのだ。それを綺麗な水で洗って、押し込んで入れると、前よりも何十倍もよく見えるようになった。子供心に体の中身を部品のように取り出せて、洗えたらと思う気持ちが残ったんだろう。今でも頭に残っているってことは・・・。鼻が詰まったら、鼻をぱかっと開けて綺麗に掃除したいし、頭を開いて配線をなおすようにシナプスを色々増やせたらどんなにいいだろう。今でももう一人の自分が欲しい。パーマンのように。自分を第3者的に見てみたいのだ。背中が見たい。後頭部が見たい。お尻が見たい。
 変わったものが印象に残ったおかげで、リプリーという人の奇妙な話ばかり詰まった本を良く読んでいた。中学の頃から今でも人に話したりしているバカみたいな話。自殺した男の人の手紙の中に、「自分の息子が連れ子のある人と結婚し、その連れ子が成人したときに結婚することとなった。息子は、後妻とも子供が生まれ、自分の孫にもなるのだが、妻の姉弟となった。妻が子どもを産み、自分の子どもでもあるので、息子と兄弟になるのだが、息子の孫にもなる。息子の兄弟でもあるから、私としては生まれてきた子は私の叔父にも当たるのだ。そして、妻の父は、私の義父でもあるから、私は私の祖父となるのである。」という内容だったらしい。バカみたいな話だが、そういやぁ、これを中学生の時にいくら友達に説明しても、私は私の祖父はなんでやと分かってもらえなかった。私の説明の仕方が悪かったのだ。分かった?まぁ、いいや。またバカなことを書いてしまった。
 

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May 26, 2005

どうして何だろう~ 2

 前の続きを書きます。
 気になるのは、日本の人間を神様にしているという土着の宗教が世界に特にアジアで知られているのだろうかということと、そういうことを含めた日本の歴史を日本がちゃんと外国に歴史を伝えてくれているかをあれっかいていると分からなくなっちゃった。兎に角、日本は日本を理解して貰うために努力をしているのかと言うことを知りたいんだなぁ。でも、日本語特に関西弁しかできない私に検索出来る範囲は、日本国内だけ、まぁ四の五の言わず、検索の旅に出てみましょうか。って、そこまでたどり着けるかな(笑)。
 取り合えず外○省(www.mofa.go.jp/mofaj/)に行ってみました。外○省には、4つの重点外○政策があり、その一つに、3.「主張する日○外交」~戦略的な情報発信~というのがあります。その中には、
(2) 魅力ある日本を売り込むための「ニッポン・プロモーション」 の中の「伝統から現代まで、豊かな日本文化紹介」ってのが包括的すぎるけれど、該当するものかもしれない。で、その政策の一つの形のWebJAPAN(web-japan.org/)。”日本の経済・社会・文化・歴史等の一般事情を包括的に紹介”しているらしい。その中に、「History of Japan(web-japan.org/museum/historyofjp/histjp.html)」ちゅうのがある。

Showa Period (1926-1989)
Heisei Period (1989 to present)

The financial crisis of 1927, which occurred in the aftermath of the Great Kanto Earthquake of 1923 that devastated the Tokyo area, eventually led to a long period of economic depression. In these circumstances, the power of the military increased, and it eventually gained control of the government. The Manchurian Incident of 1931 launched a series of events that culminated in Japan's entry into World War II. This war ended in Japan's defeat, with Emperor Showa accepting the terms of the Potsdam Declaration. Japan rose from the rubble of defeat, going on to achieve an almost miraculous economic recovery, which has allowed it to take its place among the world's leading democratic powers.

 この上に書いてあった大正時代の文化的な歴史と比べて、この時代には、1927年に起こった世界恐慌と1923年に起こった関東大震災で、軍事の力が強くなり、政権を軍が掌握し、1931年の満州事変を皮切りに、世界大戦に参戦したようなことを書いているようだ。誤訳していたらごめんよぉ。

 で、中国語の中文簡体字にすると、日本縦覧(縦覧=欲しいままに見るという意味)(web-japan.org/factsheet/chi/index.html)と言うのがあるが、項目の中に、歴史に該当する历史lishiはない。しかし、宗教の中に神道や現在の宗教の項目があるが、靖○参拝に関したことは書かれていないようだ。

 で、ハングルの方だが、キッズウェブステーション(web-japan.org/kidsweb/foreign/ko-index.html)があるが、上記のようなものはない。しかし、この中に歴史があるのだ。
1914- 1918 제1차 세계대전 1923 관동 대지진 1925 남성에게 보통 선거권 부여 1929 세계 대공황 1941- 1945 태평양 전쟁 1939- 1945 제2차 세계대전 1945 히로시마(広島)와 나가사키(長崎)에 원자폭탄 투하 1945 국제연합 발족
これには、1914- 1918 第1次世界大戦 1923 関東大震災 1925 男性に普通選挙権付与 1929 世界大恐慌 1941- 1945 太平洋戦争 1939- 1945 第2次世界大戦 1945 広島と長崎に原子爆弾投下 1945 国連発足と書いてあるだけなのだ。

 これじゃあ、いかんのじゃないか!他に日本が発信しているのはないのか、ネット以外に何か活動はしていないのか・・・。疲れたので、これで中断。しかし、おいらもよく頑張ったなぁ~。あっそうそう。

お、おいら、英語も中国語もハングル語も出来ませんからぁ~。残念。間違っていても、許しておくれ斬りぃ~。


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May 18, 2005

どーしてなんだろう~♪

 2001年の国会で辻○清美議員の質問に、ソーリは「靖○神社への公的な資格での参拝は、専ら戦没者一般への追悼を目的として行うものであるから、いわゆるA○戦犯の名誉回復等につながるものではないと認識している。」と答弁していた。
 いまあれだけの抗日運動があったにもかかわらず、福田さんの進言に、あんな風に答えてしまうソーリ。早速、中国の反応が出ているし・・・。ソーリの基盤が参拝OK派が支えているとしても、どちらがいいのか、おいらにゃ分からない~。バルザックが40歳未満の女性には思想がないと言ったそうだが・・・大当たりじゃん。靖○神社について書けなんて言われたら、100字で終わるよきっと。で、いつもおざなりにしているこのことについて、ネットで探してみようと思う。

 靖○神社、○文字を入れるのは論客が現れたってあほのおいらじゃ・・・、だって♪わからないんだもん、許してぇ~♪(よよと泣き崩れる)になるので。相手にもされないだろうけれど(笑)。

 まず、靖○神社を見ると、「当神社が受けているサイバー攻撃の状況 」というので、”発信者及び返信先アドレスに靖○神社のアドレスを詐称した中国語のス○ムメールが不特定多数に大量に発信され”たり、”中国国内のインターネットの掲示板システムに靖○神社に対する攻撃を呼びかける書き込みがあり、当神社のサーバーに関する詳細なデータが掲示されたり、攻撃ツールが配布され”たりしているもよう。「皆様へのお願い」では、”国家のために尊い生命を捧げられた250万柱に及ぶ御祭神に対する攻撃であるばかりか、ひいては日本国に対する悪意に満ちた挑戦であると受け取られます。”とのこと。
 そもそも、”明治2年(1869)に明治天皇”により、”戊辰戦争で斃れた人達を祀るために創建された”もの。”西南戦争後は、外国との戦争で日本の国を守るために、斃れた人達を祀ることになった神社である”そうだ。内210万は大東○戦争ということらしい。
 では、その”祀る”というのは、大辞林では、
(2)神としてあがめ、一定の場所に安置する。 「戦死者の霊を―・った神社」
で、例としてはっきりさせている。
 では、今までに死んだ人間を祀った神社ってのはどんなものがあるのか。古事記や日本書紀の世界の素戔嗚尊等は別としたら、伊勢神宮の「日本の神様」で八幡神社の第15代応神天皇、また、”源義家が石清水八幡宮の社前で元服をした機縁で源氏の氏神となり、さらに源頼朝により鎌倉に鶴岡八幡宮が創建されてからは、武家の守護神として各地に勧請され”たそうだが、”氏神さまは、もともとは一族が共同でお祀りする神さま(血縁的な神)のことをい”ったそうなので、これもそういうことだろう。武家の出身者を今まで祀っているのだ。天満宮などは、菅原道真が”讒言により、都を遠く離れた大宰府に左遷され”、”道真公が亡くなられて、都では異変が起こり”、”これらの災いを鎮めるために道真公を手厚くおまつりした”というのは、戊辰戦争の靖○神社の創建理由の一つにも繋がるかなと思う。
 海外では、祀ったのはないのかというと、色んな聖遺物が教会の守り神になっているけれど、テンプル騎士団の騎士が祀られているというところまでは確認取れなかったのと、たとえ聖遺物があってもそれを神として祀っているって感じではないかな。どんな宗教でも人間が神になっているのはなっている。武人がなっているかと言っても、なっているかもしれないし、そういうことまでは分からなかった。
 日本は八百万神がいるという信仰が、実在の人物を祀るといういうところまで根付く地盤があったのだ。
 まぁ、全部は否定されていないとしても、A○戦犯はだめとよく書かれている。wikipediaによると、”日本においては戦争を行ってしまった事が戦争責任として指摘追求される場合が多く、戦争を引き起こした人物達「平和に対する罪」がもっとも重視されており、等級的上位を連想させるA○が定着したとも考えられている”と書いているが、”日本人による日本人の戦争犯罪を裁く自主裁判が実施される事はなく、日本にあって戦争犯罪を裁いたものは連合国による極東国際軍事裁判であり、BC○戦犯を裁いた各国の軍事法廷のみで”、”ドイツにおける「裁いた罪」と日本におけると「裁かれた罪」といった、戦争犯罪への認識に格差を生じさせている”らしい。その「平和に対する罪」で、書かれている人達は、陸軍大将とか、文部大臣とか、総理大臣とか、その時の最高機関にいた人達。まぁ、そうなってもおかしくはない人物。なら、BC○戦犯では、”A○、B○、C○の区別は極東国際軍事裁判所憲章の英文 Charter of the International Military Tribunal for the Far East における単なる分類であり、しばしば誤解されるように罪の軽重を指しているわけではない”らしく、”BC級戦犯とは、主として捕虜取り扱いに関する不法行為による摘発で、B級は指揮・監督にあたった将校・部隊長、C級は直接捕虜の取り扱いにあたった者、主として下士官、兵、軍属である”そうだ。
 てぇと、何というか、ABCの感覚がちょっと変わってくる。やっぱ推進したのが一番悪くてってことになるんだなぁ。気持ち的には、A○に入っている人より、BCの人の方があかんやろうと言う人も出るだろうなぁ。

 長文になっちゃった。もっと、検索したい事柄があるのだが、今日はこの辺で。こんな風に興味の対象を広げていっても、おいらはどう思うかってのはまだ分からないけれど、こんなことさえあんまりにも知らなかったのだと言うことがよく分かったのだ。情けないぃ~。

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May 02, 2005

平家と源氏の家紋

 ロード・オブ・ザ・リング二つの塔の完全版をしていたので、頑張ってみていたのですが、疲れて横になったら、肝心な闘いのシーンを見ていなかった(泣)。3時間近いものが5時間近いものに、2時間も増えているのに、違いが分からない女だった(泣)。

 内輪で源平合戦の道を歩くことになり、他も誘って2,30人で歩く、ということで、チラシを作ることになり、何でもいいと言って貰ったので、早速チラシに使う源氏と平家の家紋を検索した。
 私、今まで人数の多い色んなところに入っていたので、よくイベントのチラシとかグループの何某をこしらえることがあり、なんとなくそういうことが好きだなって思ったので、今までの仕事と全く関係のない広告業界?に行きたい、なんて思ったりしている。取りあえず仕事が忙しいときだったけれど、WEBデザインの勉強もして、ソフトを使えるようにはなっているけれど、こればっかりは美大出でもないし、経験もないので、就職がかなわない。経験があってもセンスがものを言う世界なのに、大それたことを考えているんだろうと思っているが・・・。まぁ、素人の中で私ならうまいからと依頼して貰えるだけでも嬉しい話なのだ。

heike_kamon  で、平家の家紋は有名な揚羽蝶。これは、色んな揚羽蝶を見かけたりするが、揚羽蝶の家紋は変わらない。
 源氏の家紋は有名な笹竜胆。が、ちょっと待ったなのである。これは、数十分私が検索しただけなので、間違っているかもしれないのだけれど・・・。頼朝は、清和源氏である。清和って何って人もいるだろう。源氏名は、例えば、「陰陽師」に源の何某が出ていたりするでしょう。その源ってのが天皇の子に生まれながらも、下に下った人につけられる名字のようなんだ。だから、色んな天皇の時代の源氏がいると言うことなのだ。で、清和源氏の流れをくんでいるのは足利だったり、武田だったりしているのだが、その時代になると、笹竜胆じゃないところも出てきているのだが、反対にその時代に笹竜胆を使われていると書かれているのだ。一般的には源氏は笹竜胆と、検索した殆どが書いているのだが、頼朝の時代は、笹竜胆などは使われておらず、平家の家紋と同じ揚羽蝶を使っていたらしいのだ。
 源 頼朝が兵を挙げた時代は、雅な公家の時代から武家の時代に移行し始めた頃だった。また、彼は幼くして戦場に出て尚かつ、京の都より遠く離れた所で育つので、家紋が雅との考えもなかっただろうし、武家としての必要性までもいっていなかった。
 それ以降の武士の時代に誇示するために使われ出し、家紋によって自分の証明となりブランドになっていった。
 今読んでいる本に、アラン・ドロンが出た「サムライ」という映画で出てきた羽織の家紋が、盗まれた当家のものだというので返還を申し出たエピソードが載っている。私みたいな庶民では、家紋なんて何かすら覚えていないが、家紋でどこの子孫かということを大事にされる人がいるのも事実なのである。
 以前、笑っていいともでご先祖様は有名人というコーナーがあり、楽しく見ていたことがあるのだが、子孫が羨ましかったりしていた。藤原紀香さんは、藤原家の子孫らしい。武将が活躍した地域には多くの末裔が住んでいるだろう。学生時代の友人は柴田勝家の子孫だった。いいなぁ~。

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April 06, 2005

源平合戦の道を歩く④

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 兵庫区の南にある清盛塚は長い間高名なお坊さんが清盛の遺骨をここに埋葬したという言い伝えのために墓とされていたが、道路拡幅工事に伴って発掘調査した結果、単なる供養塔だったことが分かった。兵庫津を作った人物にそばにいて貰いたいという地元の気持ちが入っていたのであろう。
 清盛塚と並んで建立されている琵琶塚は、清盛の親族で琵琶の名手の平経正の碑で元々は前方後円墳だったそうだ。
05_04_06_ireihi こんなところに太平洋戦争の神戸空襲の慰霊碑があるとは思っていなかった。火災で火にあおられて川のはたまできて亡くなったということだろう。しかし、中にはいるようにはなっていなかった。残念。
05_04_06_amidaji 楠木正成が首を落とされ、置かれた石だそうだ。湊川合戦でこの地で亡くなったのかどうかはよく分からないのだが、首を置いた石を他に譲り渡していたのが、こちらにまた寄贈されたらしい。その時代の話はめちゃくちゃ疎い。平家物語も安徳天皇が先日壇ノ浦で死んだと聞かされてそうなのかって、感じで、今年の大河で時代を勉強出来たらいいんだけれど、住んでいる場所なのにあんなまり興味がないのが残念でならない。
05_04_06_saikutuba これは、上記の石があった境内に設置されている。徳川時代の石切場があったようなことを書いている。
05_04_06_kenntyouato 数年前、運河をプロムナードとして綺麗な散歩コースになった。ちょうど、この写真の箇所が、最初にあった兵庫県庁の所在地である。ここに県庁があったままなら、神戸市の交通網も大分変わっていただろうなぁ。
05_04_06_tyuuouitiba 神戸の中央卸売市場の特設である。この前を歩いていると、日本じゃないどこかアジアの街並みに見えるのが面白い。

 この続きは、私の勝手なつぶやきなので読み飛ばして下さい。

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March 19, 2005

源平合戦の道を歩く③

 今日は歩きません。一ノ谷合戦の話を聞きに行ってきました。最初に、琵琶の「祇園精舎」「逆落とし」をきいて、びよよんって音に引き込まれてしまいました。雅楽のあのゆったりした響きは、アルファ波をくすぐるのか、ノンレム睡眠を引き起こしかけます。むかし、唱名を聞く音楽会に出かけたことがありますが、あれも聞く人にアルファ波を出させているような気がします。音の幅が少ないところで繰り返されているからでしょうか、微妙なぐらいのビブラートをかけているからでしょうか?私にはよく分かりませんが、日本の古来の音のとらえ方が好きです。
 演奏後、田辺教授による講演がありました。友人T1曰く、よく講演されている方だそうです。壇上に上がった田辺教授は、つかみの話から入り始めました。私も知らなかったのですが、今のスカイマークスタジアムとユニバシアード球技場の間に旧街道があるそうで、そこには六地蔵があるらしいのですが、その道が凄いらしいのです。神戸には他では考えられないところが数カ所あるそうで、その一つのここは、新幹線の上を市営地下鉄が走っているらしいのです。てっちゃん(鉄道マニア)には有名写真スポットで、日曜日の3:30ぐらいに交差するところが見られるらしいとのこと。そんなところにそんなのがあるとは、って見に行くこともないだろうけれど、一度見てみたい気もする。他に全国にない珍しい所っていうと、割と最近有名になってきている日本で一番短い国道。色々騒いだので、神戸市が「日本で一番短い国道」の看板を上げるようになったと言っておられたけれど、教授はそれでは物足りないと、国道174号線の起点と終点の看板をあげて貰ったら、写真に両方が入って余計に面白いのではないかと提唱されていた。確かに187mなので写真には納まるだろうから、写真撮影スポットが危なくないような方向に設置してくれたら面白い写真が出来るだろう。それと、もう一つは灘区の阪急王子公園駅・JR灘駅・阪神岩屋駅・2号線・阪神高速3号神戸線・ハーバーハイウェイが歩いていけるぐらいの近距離に存在するということ。約2キロの範囲内に、鉄道や公道があるなんてってところは珍しいと言っておられた。この点から話が入り始めた。神戸は、東灘から須磨区までが摂津の国で、京都を中心とした中心の区域として、畿内と言われる場所の呼び名があるのですが、その中に摂津の国迄が入っていた。ちょうど畿内の西端に位置する神戸では、海と山とが近づき、敵を襲うにしても絶好の場所だったので、古くから歴史的な戦場になりやすい所であった。教授は須磨区役所主催の一ノ谷の講演で、一ノ谷は須磨区にあらずという話をしてきたので、区役所の人が講演を聴きに来た人に「それを区役所で主催するか」と言われたそうだ。どうしても地元であったってことにしたい人が多いので、こういった発言が出てしまうと話されていた。教授自身も須磨区民なので、地元にしたい気持ちは山々ですがと言いながら、持論を展開されていった。
 一ノ谷合戦があったのは、一ノ谷ではない!?ってのは、よく疑問視されることだけれど、地元を愛する力で、名所を作ったりするのも、これまた歴史の一部かなぁって思います。
 まずは、福原遷都。神戸市民以外は、大した場所の違いも分からないので、福原って言ったら、福原でしょうっで終わればいいのですが、元々清盛の屋敷跡は兵庫区雪御所町の辺りにあるが、福原京として、区画を考えられていたのは、それより南で、東は和田岬の辺りから、西は西代までらしく、兵庫区から長田区にかけてを福原京としていたようだ。
 1184年2月7日に、歴史的有名な義経の奇襲攻撃があった。鵯越から抜ける道は、中央・兵庫・長田区に存在するが、須磨にはない。東の攻めを源範頼が生田の森へ、鵯越からは義経で、義経と別れた土肥実平は一ノ谷に向かう。平家勢の西の守り手は、②で腕塚と胴塚を紹介した平忠度。その他多くの墓が長田や板宿にあることからして、鵯越から長田に下りてきたっていうのが、義経のルートだろうとしている。一ノ谷というのは、須磨の一ノ谷町の辺りのことだけを言っているわけではなく、記述で残っている「東は生田の森、西は一ノ谷」という範囲を一ノ谷として総称しているという話だった。色んな記述をわざわざコピーしてレジメにされていて、その資料の正確性も分かるし、話も面白いので飽きることがなく楽しい講演会だった。つかみの部分だけで、1時間近く話をされて、残りを大急ぎにされていたが、つかみが面白かったので、つかみをもっと聞きたかった(笑)。

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March 12, 2005

源平合戦の道を歩く②

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 今日は長田区主催の「長田区源平歴史ウォーク~駒ヶ林いかなご散策~」にT1と参加した。神戸市には兵庫・北・長田・須磨区に渡って、源平合戦の名所がある。今回は、高速長田に近い長田区役所をスタートに歩き回った。区役所から北に村野工業という昔甲子園の土を踏んでいた学校があるのだが、その校門前に、監物(けんぶつ)太郎の碑がある。清盛の子平知盛・知章親子を守るために戦った監物太郎が祀られている。大河ドラマの中では、平知盛の役を阿部寛がしている。05_03_12kenbutu05_03_12tomoaki_haka そこから、新湊川の方に行くと、知章の墓が、道路のの拡幅工事のために移動してきている。この辺りで、源氏の木村源吾重章と相打ちになり、同じ場所で仲良く祀られている。ここを北に上がると長田神社があり、この辺りで神攻皇后が船を着けたところとして、御船山旧跡の碑が建っている。中央幹線を西に板宿方面に歩き、山麓線を少し上がると、平盛俊の墓がある。上記の系図に名前がないのは、清盛の側近平盛国の子であるからだ。普段は、開いていないので特別公開と言うことらしい。05_03_12moritosi_haka
05_03_12kusunoki 板宿から南東に行くと西代の楠と言われるご神木がある。よくTVなどで道路拡張よりも木を大事にってので良く取り上げられた木である。天保年間に庄屋がこの木の幹に斧を打ち込んだことで、西代村では頻繁に火事がおこったという言い伝えがあり、この木が残ることになった。高さ12m周りは5mある。ここから、更に南東に進むとJR新長田駅北側のシューズプラザが出てくる。ここは、かつて靴工場が多かったところで、震災時に火事がおこり、今なお空き地が多い。1,2階に靴屋さんがあり、4階には神戸アジア交流プラザがある。ここでは、あのまるっこい字のビルマ語やインドネシア語やモンゴル語などが勉強出来る。たまに面白い講習をしている。この辺りを歩いていたら、民家からご詠歌が聞こえた。以前に大阪出身のT2がご詠歌なんて田舎しかしないと思っていたと言っていたが、私の近くでも聞こえたりする。昔ながらの下町だからだろう。父親が亡くなったときも、たまに近所の人がきてくれて、一緒にご詠歌あげてくれた。05_03_12asia
05_03_12ryuukyuu JR新長田駅を越え2号線近くまで下ると、昨年出来た琉球ワールドがある。2階には体験出来る所がある。さんぴん茶を貰い、泡盛の試飲もさせて貰う。たまに、無料演奏会をしているので、もっとお知らせを出してくれていたらいいのにとよく思う。沖縄の人はこの辺りは少ないが、兵庫区には住んでいる人が多い。長田は奄美や徳之島の人が多い。昔東京にお嫁に行ってしまった大阪の友人が、琉球舞踊を習っていたので、新大阪で働いていたときに、会社帰りに大正区のホールでの沖縄のイベントを見に行ったことがあった。沖縄の人が多い大正区だから、音楽が入ると観客席も踊りまくる。もちろん私たちも踊りまくった。最近の人は音楽が入ってもすぐに踊り出せないので、沖縄が流行っているうちに踊れるようになって欲しい(笑)。昔、神戸市の成人式のお手伝いに友人Mと参加して、めちゃくちゃ有名ではなかったけれどのりのりのバンドだったのに、だーれも踊っていなくって、友人Mと二人で踊っていたら、のりが悪い成人式の対象者に怒ったボーカルが、「スタッフのおまえらだけ踊ってどうする!」とマイク越しで言われた。本当にのりが悪い若者が増産されている。特に神戸市民はお行儀良すぎて(笑)、のりがめちゃくちゃ悪いのだ。踊れよー。
05_03_12manpuku105_03_12manpuku4 琉球ワールドから西に進むと、通称亀の子寺と言われている満福寺がある。ここは、清盛の創建という言い伝えがあり、JR鷹取にやや近いこの辺りに「字福原」の地がある。清盛が厳島神社の参詣をこの辺りの西国街道でおりて、陸路で向かったと伝えられており、昔は福原と呼ばれていたので、福原荘の発祥地とも謂われている。
05_03_12douduka 満福寺を南に進むと清盛の末の弟忠度(ただのり)の胴塚(首塚)があります。先に腕を切られて、この地で首を切られました。最初の写真の系図はここにある。
05_03_12udeduka 胴塚から南東に進むと切り落とされた腕を祀る腕塚がある。ここは、かなり入り組んだところにある。駒ヶ林の昔ながらの路地がまだ残っている界隈なので、それも楽しむことができる。胴塚の地名は無いが、腕塚の地名は残っている。実際あるところは駒ヶ林だが、ここは駒ヶ林村として古くから地図に載っているところだったので、ここに付けずに2号線を沿ったところに付けられている。ここを海側に出て、東に進むと駒林神社がある。ここは厄除け神社だ。ここで、スタンプが最後になり、長田港に向かう。長田港では、いかなごのお吸い物を頂戴したのだが、寒い体が芯から温まり、いかなごでだしを取ったのかめちゃくちゃ美味しかった。もういっぱいと言いたいぐらいだった。面白いことに各名所に係の人がいたのだが、胴塚のある駒ヶ林の辺りになると、道案内がちゃんと立っていて、揃いのぱっぴで頑張ってくれていた。同じ長田区でも自治が地域でこれほど違うのだと感心させて貰った。
05_03_05komagabayashi05_03_12shibata T1と志ば多のお好み焼きを食べに行く途中、子どもの時から通って大人になったときも滑り台を占領して本を読んでいた公園が様変わりしていたのを知った。がーん(T_T)。大きい滑り台も私の読書用も無くなって、小さな遊具が少しだけになっていた。ショック。写真撮っておけば良かった(。>_<。)。T1お奨めのお好み焼き店で、かきそばモダン焼きを食べる。美味しかった!
05_03_12pinokio105_03_12pinokio2 帰りに本町商店街を下るとロボットの店を発見。怪しい~。怪しすぎる。この衣装はなんなんだぁー。

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February 20, 2005

今日のトップランナーは今敏監督だった。

 いつもは見せて貰えないんだけれど、今日は強引にTVを見せて貰えた。へへへ。「パーフェクトブルー」と「千年女優」しか見たことがないが、イマジネーションの凄さを感じさせる監督なので、チャンネルを変えたのだ。
 私はこのトップランナーって番組2人の司会者の個性もいいし、話の内容の要点のまとめ方が、バカなおいらにでも分かりやすいので好き。今日の監督もなかなか内容の深い言葉を青少年の耳に届かせていた。おいらも一青少年となって拝聴していた。一番頭に入ったのは、個性は内在していない、外に出たものが個性になる、前を向いて走り続けろって所だろうか(解釈間違いしてたりして^^;)。まだ齢41歳の監督にしては自分の人生を言葉に当てはめられるようなステレオ的な物の考え方をしていて、淡々としているところが、作品の圧倒的な迫力と反比例していて面白かった。個性を内在している物だと思うから、自分探しの旅をする人が多いと語る監督に、自分探しの旅の経験もあって、尚かつしたいことをしてきて、それが繋がったからという実体験が言わせている言葉なんだろうなぁ。


 今日は、T1と源平合戦のイベントに行く予定だったのが、T1がダメになって、おばばさまと出かけたら、雨が降ってきて、もう~って、出かけられなかった。神戸新聞の今日の兵庫史はちょうど今やっている清盛の大輪田の泊の場所だった。2000年前は私が住んでいるところは海だった。大輪田の泊も兵庫駅の南東部に位置している。宇治川の河口と書かれているが、今は宇治川があったと言われる宇治川商店街は、神戸駅の東にある。川の流れはよく変わっているのだ。大輪田の泊がそこなら、やはり今、福原と言われている場所に清盛の福原があるのだろう。今の福原は、男性の園になっている。パルしんから神戸駅に向かうときにたまに通ったりすることがあるが、昼間っから高級外車が路上駐車してたり、黒服のおにーさんが立っていたり、通るのも楽しい。友人Fが仕事で福原の店に入ったことがあるそうだが、裏側を見るのは面白いぞって言っていた。彼は神戸で一番有名なお家にも仕事で上がったことがある。私の前の会社の人も仕事で行ったことがあるらしい。私も是非両方とも入ってみたい(^o^)。
 次回は三草山と書いていたので、弁慶石が出てくる。平家追って義経は京都から兵庫県の真ん中を通って須磨の海岸に向かうのだ。三草山は現在加東郡社町というところにある。ここは現在も酒米を作っていて、山田錦の産地である。その山田錦でも一番美味しいところで取れた米だけで作ったお酒の名にその場所名が使われている。上三草という名前だ。高いので飲んだことはないけれど、お味はどんなものだろう。
 昨日神戸新聞の奥様手帳の話しになった。この間貰ったのは、ちょこの美味しい店の紹介だったからだ。どうやらみんな奥様手帳のファンのようだ。内容が毎回充実している。よく○日新聞の勧誘が半年間取ってくれたら、自転車上げますとか、15千円の商品券とか置いていくらしいのだが、やっぱり神戸新聞がいいよなぁとみんな地元紙びいきなのだ。面白い。

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February 12, 2005

源平合戦の道を歩く①

2005_02_13_012005_02_12_02atsumoriduka 神戸市では、大河ドラマ「義経」の放映で、歴史道を整備し、各区で義経の道を取り上げたイベントを催している。今日は、友人T1と須磨歴史倶楽部主催の源平合戦の足跡を訪ねてに参加した。
 まず最初に、敦盛塚に行く。内部には敦盛の骨はなかったそうだ。毎年11月に行われる六甲縦走の出発地点である須磨海浜公園近くの海を覗む所に建立されている。そこから、須磨海浜公園に戻り少し坂道を上がったところに、蕪村の句碑が建っている。
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 春の海 終日(ひねもす)のたり のたりかな

 瀬戸内の海を現した。良い句である。案内人も芭蕉の「静けさや 岩にしみいる 蝉の声」も出して、情景の浮かぶ句だと話していた。のたりのたりが悪いらしいが、立っているところからの海はそれにぴったりだと思う。
 その後、ロープウェイで山上に上がり、「須磨明石殺人事件」の内田康夫氏もおののいたカーレーターで更に上に向かう。友人曰く「みかんになった気分」の簡易な乗り物だ。
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 旗振山は名の通り、大阪商人達に知らせるため、畳2帖分の旗を振ったところだ。茶屋のメニューにかっぱえびせんがあると友人が喜んでいた。今は佐川満夫さんがオーナーらしい。
 この須磨までが畿内の端だった。ここから西方に向かうと帰ってこられないと言われたらしい。明石まで行った光源氏は帰ってきているが、明石の君は田舎者と意識していたのはこのためかもしれない。一ノ谷の合戦は、一ノ谷を下ったわけではなく、一の谷と二の谷の間の二の尾根を降りていったと言われている。
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 写真の道がそうなのだが、かなり細い尾根を馬で駆け抜けたのだ。眼下にはすぐに須磨の海が見える。平家の船がよく見えたであろう。そのまま、私たちは二の尾根を通って、一ノ谷町の抜けて、海浜公園で解散となった。
 お昼に新開地で長くから営業している所の支店である金プラで食事をする。新開地同様美味しかった。そのまま、綱敷天満宮へ。前に来たときのように、なすびの上に座って写真を撮った。受験前でお百度参りしている家族がいた。よくつなしきとあみしきを間違えるのだ。ここの名の由来は、菅原道真が九州に流されるときに、途中ここで休まれたのだが、地元の漁師が網にする綱を敷いたことが由来である。そのため私は、いつもどっちだったっけと迷うのだ。
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